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🤔 以前おっしゃられたことを思い出してみた話(長いので畳み (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)そういえば、以前このような助言を受けたことがありました。 「キャンペーンはいいですよ。単発のシナリオだと遠慮してたあんな展開もこんな展開も出来る。」 (ただ、一方で私のようにGM経験が乏しい身であれば 最初からロングキャンペーンというのは難しいのでショートキャンペーンのが良い、という趣旨の 忠言も受けましたが(・ω・; 思えば、最近読了したソードワールド2.5リプレイ「水の都の勇者」のGMさんの話の中にも 「今は単発セッションが隆盛してる時代だけどソード・ワールドはキャンペーンに向いていて その魅力は素晴らしいものだから、どっちも遊ばれてほしいね」とおっしゃられていました。 (そういえば、最近見学したセッションでもシナリオ終了後に キャンペーンもやってみたくなった、とおっしゃられていた方も。) さて、まぁ。ひとまずそのキャンペーン開催の実現のためにどうするか、 そもそも本当にやるのかどうか、といった具体的な問題点を考えるのは また後の課題として、その前に一つ気になったことがありました。 キャンペーンの終わり、言い換えれば一つの物語の終わりに 「参加者さんはどんな心境になるのだろう。」という興味です。 いやまぁ「そりゃそのキャンペーンがどんな話だったか次第だろう。」 という至極当たり前のツッコミはセルフで入れさせていただくとして☆ 私はキャンペーンはやったことがないのでその心境はわかりませんが その経験がないのであれば、類似の例をいくつか見てみることでその心境は想像できる気がします。 (・・・まぁ、どうせ日記を書くなら好きなものの話を書く方がいいかなぁ、と思い) 印象に残った物語・ゲームの終幕・・・それを見た時の心境を思い返してみることにしました。 そして思い浮かんだのはこの物語。 ある世界に突如として「自分で動く不思議な力を持った人形があちこちに現れる」 という異変が起き、その世界へと呼ばれた主人公がその問題の解決のために (ちょうど、オンセンでもTRPGとしてコミュニティがあるポケットモンスターのように) 自分のパートナーの人形たちと共に、各地にいる人形遣いと戦ったり会話したりしながら 異変の解決のために進んでいく…というお話。 さて、このお話。面白おかしく進んでいくので忘れてしまいそうになっていたのですが 異変を解決する、ということは確かにその世界に平和がもたらされますがその一方で 人形たちが消えてしまうことを意味しています…それは、つまり。 (自分も含めた)これまで出会った人形と楽しく過ごしていた人々に対して ”それまで共に過ごしてきたパートナーとの別れをも意味する。”という結末をももたらしてしまいます。 同時に、主人公にとってはこれまで旅してきた世界から元の世界に帰らなければならない、という意味も。 そして狙ったようにその最終局面である・・・今回の異変の首謀者の居城を攻略する際、 その前座を務める相手(いわゆる中ボスですね)のBGMが”悲しき人形”である (そしてその名の通り、どこか悲しげな曲調)というのも酷く重く感じさせてくれるものでした。 確かに、言ってしまえばゲームなので戦わなければ…というより勝たなければ話は進みません。 そも、プレイヤーキャラの感傷とプレイヤー自身の感傷を同一視するのはいかがなものか、という もっともなツッコミはひとまず免除していただくとして(・ω・; (さすがに、”ゲームだから”で何もかも割り切るというのはそれもちょっと味気ない気がするので) 「それでも、進まないと。」と何とか踏ん切りをつけてようやく異変の首謀者と直接相対したわけですが・・・ さて、首謀者がどうしてこんな異変を起こしたのか。そして事ここに至って 何を思うのか。その答えがこれでした。 ”可愛い人形だからその辺にいっぱいいてくれた方が楽しいかな、と思った。” ”一緒にいて楽しいでしょ?だから見逃してくれない?・・・やっぱダメ?” いともあっけなく、それはもう能天気にこう宣ってくれました(・ω・) いやまぁ、一応それなりに大騒ぎにしたという自覚はあるみたいですがそれはそれとして。 なんかこう、さっきまでのシリアスな葛藤に使った時間全部返せコンチクショウ☆ と、言いたくなるくらい。 言ってしまえば、一かけらほども悪意がなかったというか(・ω・; ええ、はい。思わずこう言いました。 こ れ は ひ ど い(・ω・) まぁ、でも。 そのおかげで最後の最後に肩の荷が下りた気がします。 かくしてこの陽気で愉快なスットコドッコイのおかげで何とか最後は迷いなく戦うことができました。 そして勝利した後、何とも意外なことでしたが。 最後の最後に先のスットコドッコ…もとい首謀者はもう一度こう問いかけてきました。 ”本当にいいの?”と。 ・・・最後の最後で、こっちの心境を看破していたかのような物言いでした。 見ようによっては、見逃してもらえないかという言葉も こっちの心境を慮ってのことだったのだろうか。と推測することもできました。 もちろん、異変の解決を選び、物語は閉幕を迎えましたが 悲しんだり笑ったり悩んだり。二転三転目まぐるしい有様だった気がします。 ただまぁ、このゲーム自体をやったのがだいぶ前のはずなのに 今でも当時のことを鮮明に思い出せるくらいには思い出深い話です。 ・・・ゲーム・・・とりわけRPGを楽しむ上で、珍しいアイテムの獲得、キャラの成長などは TRPGであれこういった電源系ゲームであれ、それが重要なものであると私は考えます。 そしてもう一歩踏み込んで考えるのであれば、それらを通して そのゲームを楽しんだ人(=プレイヤー自身)が獲得できる最も大きなものは”思い出”なのではないか。 そして、その思い出を構成する重要な部分は「その閉幕を経てどう思ったか」ではないか、と…私はそう思いました。 ・・・まぁ、何を思ったかはその人の心に問うべきもので、そこにはそれこそ百者百様の答えがあるとして。 顧みてみればその思い出にこそ価値があるという本質(と言っていいのかどうか)は、 TRPGにせよ、その他の物語にせよそう大きくは変わらないのかな、という気がします。 さて、余談ですが(・ω・) 或いはもう一つ。個人的にこういった長い物語の果て(というかTRPGの単発セッションでも同じだけど)に 個人的に「できれば得られるといいなぁ」と思うものが一つありまして。 ・・・それが何かというと・・・ 同じものを遊んだ友人(あるいは仲間と換言してもいい)でしょうか? ・・・うん、まぁ、それもあります。 同行の士がいる、というのは大変喜ばしいことですからね(・ω・; でもまぁ、そこは敢えて脇に置いておくとして (というかそれはだいたいの人に当てはまる話なので個人的に、と前置きすることもないかな、と) 一つ挙げられるのはその物語を見て(あるいはゲームであればそれに参加して) これをやって本当に良かった、とか自分のやったことは無駄ではなかったのだ、という”達成感”が 欲しいなぁ、と思う時があるのです。 ・・・とはいえ、これも大概、人の価値観によって千差万別なので ”具体的にどういう演出があればいいのか”と問われるとすごく悩むことになりますが・・・。 さて、ここで一つ、個人的には今でも思い出せる”達成感”を感じたお話を一つ。 とあるゲームのラストエピソード、動物と共に相手と競う競技のチャンピオンとなった主人公は その旅路の最中に会った、ある人物と競うことになります。 ・・・その人物の来歴は、とても特殊なものでした。 はるか昔、死んでしまったパートナーを蘇らせたくて他の多くの生き物の命を犠牲にし そのパートナーに永遠の命を与えた後、パートナーの命を奪った人々へ復讐を敢行。 その結果、パートナーは深く悲しみ・・・彼の元を去って行ってしまいます。 そうして3000年もの時が過ぎ、去っていったパートナーを探して当てもなく彷徨い歩いた後、 彼は主人公と出会い、主人公が動物と共に競技に取り組む姿に、 かつてパートナーと共にあった自分を見出したのでしょうか。 ”その競技を知りたい。”という理由で挑んできます。 そして主人公の勝利という結果には終わりましたが、 一方で、彼は競技を通じて”悲しみに囚われるだけの自分との決別”という一歩を踏み出すことができました。 そんな彼のもとへ。ようやく、探し求めていたパートナーが帰ってきた…という形で物語の幕は下りました。 ・・・考えてみると結構唐突な閉幕ではあったわけですが(実際、そのような指摘もありますが) この閉幕を見たときに私はとても大きな達成感を得ました。 ”主人公の為したことが、まぎれもなく人を救ったのだ”と。 結局のところ、競技である以上そこには勝敗があり、それは時に誰かを挫折させることもあるでしょう。 ・・・それでも。 自分の為したことが大きな悲しみを抱えた誰かの救いになる、ということ 或いはもっと単純に自分の好きなものの良さを誰かが肯定してくれる、 自分の背に続く誰かがいる、というのは存外嬉しいものである、と私は思います。 (大げさに言えば)それこそが名誉や栄光と呼ばれるものなのかもしれません。 で、あればこの物語(ゲーム)の結末は達成感というものを感じさせるに充分なものである、と 少なくとも、私はそう感じました。 まぁ、それが正しいかどうかって改めて聞かれると 反証・反対の意見は山ほどございますがそこはまぁ、個人の感想、ということで一つ(・ω・; 締めくくりに。 ”We are such stuff as dreams are made on” (我々は、夢と同じ糸で織りあげられている。) 元は世の無常を謳った言葉ですが、今は敢えて別の意味で使ってみることにします。 物語は一睡の夢のように儚いものであるかもしれません、でも同時に、希望と願いを意味する”夢”でもある、と。 私は、そうあれかしと願います。
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