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😶 プレイヤーが物語を描き進めるTRPGについてのお話 この一年くらいで学んで解釈したことをもとに書いています。話半分未満のつもりでお読みください。他の資料をご参照ください。また、個人的な事情により、海外システムの話がメインとなりますのでご了承ください。90年代におけるストーリー志向の国産TRPGとして深淵を思い出す方もいらっしゃるでしょうが、わたくし深淵に触れておりませんので、識者の方の解説お待ちしております。 ご機嫌よう。 前回は、特定のルールに従うことで特定の物語が生まれるという発明について書きました。今回は、特定のルールを超えて、どうしたらプレイヤーが物語を描くのか、という発見についてお話しします。 90年代中頃に、Fudge というゲームが生まれました。わたくしは寡聞にして存じませんでしたが、後の FATE に繋がるゲームだったようです。そして、Fudge は、プレイヤーが物語を描くことを意図したゲームだったようです。そう。プレイヤーが物語を描くということが、ついに発明されたのです。 前々回では、プレイヤーに語らせたらシナリオがめちゃくちゃになると思われたと書きました。それでは、どうしたらめちゃくちゃにならないのでしょう。その答えの一端が、ついに見つかりました。 ですが、Fudge について語ることができませんので(さきほど、95年版とSRDをDLしたばかりでまだ未読です)、ここでは FATE についてお話ししましょう。 Fudge の後を受けてゼロ年代に登場した FATE にはいわゆる能力値がなく、キャラクターの特徴を自由記述の文章で記述します。というか、キャラクターが何者なのか、シーンがどんな状況なのか、特徴的な要素は全て短いフレーズや文章で表現されます。FATE ではこれをアスペクトといい、そしてアスペクトは、プレイヤーが描いたり利用したりすることができます。 TRPGなので言葉で表現されるに決まってるとお思いでしょう。GMが描いた要素は利用できるともお思いでしょう。でも、違うのです。 FATE の最初の章は「ゲームを作る」です。そこには、全員が協力して舞台設定を作り、全員が設定について同意しなさいと書かれています。その後のゲームプレイは、すべてこの同意を前提とします。舞台について同意したのだから、プレイヤーは他の全員が納得できるPCを作ることができるはずです。しかも、PC作成は担当するPL一人では完結しません。そうして作ったキャラクターは、全員が納得できる行動をして、その結果に至るはずです。それは、言葉によって表現され、言葉によって制限されます。同じように物語そのものも、プレイヤーが描けるはずです。シンプルなルールに従うだけで。そう、厄介な目に遭い、それを克服して、ついに目的を達します。それでは、どんな厄介な目に遭いますか? どんなことが起こったら、全員が楽しめる物語になりますか? 同意した前提の上で厄介な目に遭うキャラクターの姿、その厄介ごとさえもプレイヤーに描かせるという形で、ついにプレイヤーが物語を直接語り、それでもゲームになるようになったのです。 そしてもちろん、プレイヤー判定に成功することで、物語を進める要素をもっと直接的に描くことができます。たとえば、条件を満たして判定に成功すればアスペクトを自由に描くことできす。そのものズバリ「優位に立つ」というルールで要素を積み重ね、誰もが思いもよらなかったような勝利に、誰もが思いもよらなかった方法でつなげることといった具合です。もちろん、それも持っていたんですよ!(これは、それ以前のTRPGにおけるヒーローポイントに近いかもしれませんね) プレイヤーは自分のPCに有利になるように好き勝手するのではないか、という疑問を感じる方もいらっしゃることでしょう。ですからGMがいるのです。GMはプレイヤーの提案を拒否したり、うまく物語に誘導します。いずれにしても明白だったのは、ロールプレイではなく、物語を面白くすることが第一だということでした。物語志向ということが明示されたのです。 それでも、これではあまりに自由すぎるでしょうか? そこで、そこにハンドアウトが発展して合体しました。物語の舞台をあらかじめ決められたものにし、自由度をある程度制限し、特定の方向へのモチベーションを与え、それでもプレイヤー自身に「厄介ごと」を語らせる……こうして、10年頃になるとPbtAのような現代のストーリーゲームが生まれました。さらに、PbtAは物語を駆動するための質問を選択肢としてルールで提示することにも成功しました。その上、別の進化もありました。GMはもうダイスを振らず、難易度設定も不要になり、それどころかシナリオすら不要になったのです。 こうして、ゲームの焦点はあらかじめ書かれたシナリオでもキャラクターの運命でもロールプレイでもなく、全員が物語を語ることになりました。そうしてついには、GMさえも不要になっていきます。 ところで、言葉で全て表現するという方向性は、日本でも Wonder Roads to Lord のようなタイトルで試されましたが、こちらはそれほどプレイアビリティの高いものではなく、プレイヤーの獲得には至りませんでした。
> 日記:プレイヤーが物語を描き進めるTRPGについてのお話 >言葉で全て表現するという方向性 他にも『Aの魔法陣』という作品がそのような方向性を持っているようです。 作品の最初の発表は2004年なので、そういう流れがあったみたいですね。
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