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2017/04/01 23:01
😶 TRPGと成長、そして物語 将棋の駒は、敵陣に踏み込むことで移動能力が向上します。 しかし、その効果が及ぶのはその対局の中だけです。 「さっきの局で俺の飛車は龍になったから次の局では龍スタートな」 ということは通用しません。 そう考えると、ミニチュア・ウォーゲームに端を発するTRPGに、 成長という要素が存在するのは、実は不思議なことのように思えます。 そして、この成長という要素こそが、TRPGにおいて物語が重視される 時代の流れにつながっていったのではないか、と私は考えています。 それでは、成長とはどういうことを言うのでしょうか。 コンピューターRPGでは、マップを歩き回って見つけた敵を 倒し続ければレベルが上がることが多いわけですが、 それはレベル上げという作業であり、(例外はあれど)退屈なものです。 漫然と探索や戦闘を繰り返し、能力を表す数値が上昇したとしても、 そこに成長を見出すことは難しいでしょう。 人が「成長した」と感じるとき、どのような仕組みが働いているのか。 実は、その仕組みは、物語の仕組みを研究する中で見出されてきました。 ビデオゲーム「魍魎戦記MADARA」の原作で知られる大塚英志は、 物語を作る技術そのものをビジネスとした、日本における第一人者です。 大塚は、20世紀に花開いた物語研究を踏まえ、物語の根幹をなす要素を 「行って帰る」と「欠落したものが回復する」であるとしています。 (参考 http://knon.hatenablog.com/entry/2014/05/14/120940) 「行って帰る」って、どこに行ってどこに帰るんだよ、という気もしますが、 日常から非日常に「行って」、再び日常に「帰る」という意味です。 これは、共同体において成熟した人と認められるための通過儀礼 (イニシエーション)の意味を持つのだそうです。 単に日常から非日常に「行く」だけでは、世界に振り回されているのと変わりません。 非日常から日常に「帰る」ことができてはじめて、成長したことが認められます。 もうひとつの「欠落したものが回復する」はイメージしやすいと思います。 欠落しているのは、村に伝わる宝物かもしれませんし、世界の平和そのものかもしれません。 何にせよ、人は欠落を感じ、それを求めずにはいられないのであって、そのことが成長の原動力になります。 こうしてみると、物語と成長は不可分であることがわかります。 セッション後、ただ数値を上昇させるだけに終わらせず、 キャラクターが日常に帰れているか、欠落を回復できているかということを考えることによって、 より成長を実感でき、物語らしいセッションに近づくことができるでしょう。
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2017/04/01 23:01
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