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2024/01/30 10:19
😶 謝罪の上手い使い方 私はいつも「毒にも薬にもならないまでも、毒にはならないような日記を書こう」と思っているが、いつもの題材が題材だけに、誰に対しても毒にならない日記というものは案外難しいものである。 いたずらに人を傷つけたくて書いているのではなく、誰かを傷つける前に一旦一呼吸がおけるような情報を書いているつもりだ。 だからこそなるべく具体的に「やった方がいいこと、やらない方がいいこと」を書き記してある。この辺りボヤかして投げたのでは勿体ないし、いたずらに不特定多数を傷つける可能性を秘めているからである。 ……謝罪、と言うのは、いざ危険な状態になった人間関係を修復するために最も心強く便利に使える手段ではあるが、時と場合と私情次第で、最も難しい手段となり得る。 1にも2にも誰が悪いか悪くないかはとりあえず置いておくとして、とりあえずいの一番に謝って、そこからまた互いの意見をすり合わせよう……ということは結構ある事例だろうと思われる。 クレーム対応だと思えば少々納得も行く。ひとこと謝れば話ができる相手であれば、だが、「謝罪」というのは何かの過ちで人間の信頼関係が窮地にさらされたとき、最も手軽で確実な対話のきっかけを作ってくれる言葉である。 昔から「ケンカ両成敗」と言う言葉はあって、要するに「お互い冷静になれずにケンカをしてしまったなら、まずそのことをお互い謝って、改めてお互いの意見の相違点や妥協点なんかを冷静に話し合いなさい」と言ったことなのだろうと思う。 そう思っているので、私はまず人間として最低限第一印象で信頼できる相手の条件に「『感謝』と『謝罪』が適切に行える人」という項目が常にのっかっている。実際この判断基準は結構間違いがなく、常に適切なタイミングで謝罪と感謝を述べられる人ほど、誠実であることが分かるため信頼に足るのである。 だが、感謝も謝罪も、人同士の距離が狭まってくると、忘れがちというか、言いにくい言葉になっていくのだ。 時と場合により理由は千差万別ではあるが、厄介なのは謝罪である。感謝なら言い忘れたってその時の信頼を破壊しはしないだろうけれど、謝罪を控えていると崩壊はまぬかれない事態に発展することもありえよう。 私も感謝と謝罪を適切に用いることができる誠実な人間であると自負できるわけではなく、寧ろ時折、相手に対する腹立たしさのせいで謝罪を忘れてしまうことがある。平時には、自分が全て悪いわけではなくともとにかく謝って、議論を軌道に戻すことが最も良い手段と分かっていても、私はいまだ、怒りに震えた自分の心すら一人で上手く扱えた試しは無い。気恥ずかしいやら、腹立たしいやらで煮え立った自分の頭をいくら冷やそうとしたって、少なくとも一時間は収まらない。 懺悔はこのくらいにしておくとして、そう言ったこともあるから、平時ではいくら偉そうなことを言っても、結局怒りに我を忘れた時の人間ほど、誠実さが強く出るのだろう。 怒りに節度を忘れてしまった後の「謝罪」は当事者にとっては非常に困難なことであるから。 だからこそ、私は重ねて、「『感謝』も『謝罪』も適切に行える人ほど、誠実である」と思うのだ。 加えて、実際にケンカに発展したときは、何があったにしろその時点で双方謝るべきであると私は考えている。人間、完璧なことは無いのだから、そこに年功序列も吹っ掛けた方ももはや関係ない。 どちらかというとこの場合の『謝罪』は、お互いに歩み寄る姿勢があることを示す合言葉の役割を担うため、謝罪する気があるだのないだのの話はとりあえずゴミ箱にでもダンクして、後で手打ちでも何でもすることにして、どちらからともなく謝っておけばいいと思っている。 だが、これができる人と言うのも、案外あまりに少ないのである。
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2024/01/30 10:19
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