遊牧家族さんの日記

遊牧家族さんが書いた日記の一覧を閲覧できます。

日記一覧

遊牧家族
遊牧家族日記

2017/04/21 17:57

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😶 ひとつのシナリオを多くのGMが用いるように
ひとつのキャラシを多くのPLが用いたらどうなるだろう?
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2017/04/12 19:10

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😶 主人公はアホやマヌケであってはならない
私が学生をしていたころ、「ジョジョの奇妙な冒険」の作者である荒木飛呂彦が講演に来たことがありました。
残念ながらライブで見ることはできず、後日行われた録画の上映会を見たのですが、
その中で彼が述べていたのがタイトルのことです。

「主人公はアホやマヌケであってはならない」
だからと言って、主人公は天才や秀才でなければならない、という意味ではなく。
読者が当然思いつくであろう解決策や攻略法を思いつかないような主人公では、読者の心を掴むことはできない。
そういうお話でした。

漫画家ですから、漫画についての講演ではありましたが、
TRPGにおいても無視できない示唆を含んでいます。
すなわち、
シナリオやマスタリングが主人公をアホやマヌケたらしめてしまうことの危険です。

例えば、TRPGでは、
「このNPCはどうしても救えないのか」ということが、センシティブな問題として現れます。
これは、救えないNPCにリソースを空費することへの恐れから来る問題でもありますが、その一方で、
如何にしても救えないNPCの存在が、プレイヤーの創作したキャラクターにアホやマヌケの烙印を捺してしまう
恐れの問題でもあります。

自分が創作したキャラクターにアホやマヌケの烙印を捺す、これほど悲しいことはありません。
ですから、GMやシナリオ作者は、キャラクターのとりうる可能性を制限することには、慎重でなければならないのです。
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遊牧家族
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2017/04/12 18:44

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😶 一本道シナリオを書くのって難しくね?
シナリオが一本道であるということは、しばしば否定的な意味で述べられます。
そこで、一本道のシナリオというものを考えてみようと思い立ったのですが、
これがなかなかうまくいきません。

以前、「シナリオとは、系統立てられた課題の集合である」というお話をしました。
クロスワードやお絵かきロジックの問題を作ったことがある人ならわかると思いますが、
解を一つしか持たない問題を作るのは、難しく、手間のかかることです。
まして、パズルではなくTRPGです。
サイコロ・フィクションであれば、起こりうる事象の組み合わせはそこまで多くはないのですが、
ベーシック・ロールプレイングともなると、数え切れないほどの事象の組み合わせがあります。
その中から、たった一つの解だけを通し、他の解をせき止める課題を作る、などということは、
あまり考えたくありません。

そして、シナリオに唯一解を用意するということは、
あくまでもその解を使ってPLを満足させねばならないことを意味します。
これはとても勇気のいることです。
喩えるなら、マーケティング調査もなしに、いきなり牛丼専門店を開くようなものです。
「ステーキが良かったのに」「すき焼きが食べたかった」と言って客が店を出ていったとしても、
指をくわえて見ていることしかできません。

このように考えると、一本道のシナリオを書くのはとても難しいことのように思えます。
むしろ、複数の展開を想定したほうが、実際のセッションでのつぶしも利くし、楽なのではないか、
と私個人は考えてしまいます。
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2017/04/11 21:44

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😶 シナリオを作ろうコミュニティにご参加ありがとうございます。
https://trpgsession.click/sp/community-detail.php?i=commu149147195687

おかげさまで10名様(私除く)にご参加をいただいております。

作ろうかどうしようか迷っていたのですが、自己紹介スレッドをご用意しました。
「シナリオを書いたことのあるシステム」「シナリオを書いてみたいシステム」をテンプレートに含めました。
これらを挙げることで、教え合い学び合いの機会を広げるのが狙いです。

ご参加をお待ちしております。
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2017/04/06 19:31

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😶 シナリオを作ろうコミュニティ作りました
https://trpgsession.click/sp/community-detail.php?i=commu149147195687

自作シナリオの掲載、シナリオに関する相談、シナリオに使える資料の紹介
の3本立てです。
管理者も詳しいわけではないのでご相談に乗れない場合多々あるかと思いますが、
何卒ご容赦ください。
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遊牧家族
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2017/04/05 00:03

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😶 シナリオの作り方コミュニティ
って需要あるでしょうか?
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2017/04/03 19:13

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😶 完全無欠なキャラクターは英雄たりえない
物語の根幹をなす要素は「行って帰る」と「欠落したものが回復する」だという話を以前しました。今回は後者の「欠落したものが回復する」に焦点を当てていきます。

人は、欠落を感じ、それを求めずにはいられない生き物です(このことについて後でもう一度考えます)
「何かが欠けている」という状態は、「それを取り戻す」という動機を呼び起こします。この性質を利用することで、人の行動や思考をある程度コントロールすることもできます。

ここではビデオゲーム「ゼルダの伝説」を例に挙げます。ファミリーコンピューターの初期のものです。ゲームのスタート時、主人公のリンクは剣を持っておらず、洞窟にいる老人から剣をもらいます。作者の宮本茂によれば、これは、敢えて何もわからないところからプレイヤーが自分で考えてゲームを進めていくためなのだそうです(参考 http://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1005369.html)
しかしここには他にも意図があるのではないかと私は思います。というのも、プレイヤーのゲーム体験はコンソールのスイッチを入れる前から始まっているからです。最初のゼルダの伝説はディスクメディアで販売されていました。プレイヤーはゲームをプレイする前にまずパッケージに接触します。そこには剣と盾を携えた少年が描かれています。しかし操作できるキャラクターは剣を持っていない。つまりここで「剣が欠けている」という現状が与えられ、「剣を手に入れる」ことへの動機が呼び起こされているのです。

このように、欠落は動機づけとして極めて強力です。裏を返せば、欠落するところのない完全無欠なキャラクターを作ってしまうと、外の世界に関わっていく動機を持たせることが難しくなってしまうということです。

この考え方は、他のキャラクターとの関わりを持ちたいときに有用です。相手のキャラクターに欠落しているものは何か? と考え、それの回復を助けようと行動することで、より物語らしい関わりを持つことができるでしょう。
ただし、考えの押しつけにならないように注意はしてください。
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遊牧家族
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2017/04/02 18:49

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😶 なぜPCは依頼を拒むのか(2)
PCが依頼を拒む背景には、物語論上の要請があるのではないか、という話をしました。
英雄伝説から抽出された物語の要素の中に「冒険への拒絶」があるというものです。

ではなぜこの「冒険への拒絶」が要素として語り継がれてきたのか、今回はそこをもう少し掘り下げてみたいと思います。

参考:http://knon.hatenablog.com/entry/2014/05/13/130410

以前言及したキャンベルは、神話には人間の成長・自己実現の過程が反映されていると考えていました。
成長は変化であり、そのためには日常を離れなければなりません。「変化への「恐れ」に打ち勝つことが自己実現の第一歩」なのだそうです。

なぜ「変化への恐れ」が存在するのでしょうか。キャンベルは、ユング心理学に答えを求めています。ユングが類型化した元型(人間に共通する心の働きを象徴するもの)の一つ、グレート・マザーが変化を拒否するというのです。
http://www.j-phyco.com/category1/entry70.html
母の手に抱かれていれば安心ですが、母の手を離れることは不安です。ここでのポイントは、母もまた不安であるということです。しかし母の手を離れなければ成長はありえません。

ですから、物語の現場では、冒険を拒絶する役割を負っているのが主人公本人ではない場合もあります。ここでは堀井雄二のビデオゲーム「ドラゴンクエストIV」のアリーナを例に挙げましょう。サントハイム王国の王女でありながら武道を嗜むアリーナは、腕試しの旅に出たいと望んでいますが、父王はそれを許してくれません。結局、アリーナは城を抜け出して旅に出るのですが、ここでは父王がグレート・マザー役を引き受けているわけです(ただし、父王は単なる引き留め役を超える重大な秘密を抱えており、これが堀井の業前です)

さて、「冒険の拒絶」についての理論は以上のようなものなのですが、もう一つ意味があるのではないかと私は考えています。
「日常と非日常、双方の価値を高める」という意味です。

物語の根幹は「行って帰る」ことにあるということは以前お話ししました。そしてこれは共同体の中で成人と認められるための通過儀礼(イニシエーション)も意味しています。
もしここで、この通過儀礼が「帰る」のプロセスを欠いていたらどうでしょう。進化論的に考えて、そのような共同体からは若者がどんどん出ていき滅んでしまいます。「行く」と「帰る」の両方を備えた共同体が生き残ってきたと考えるべきでしょう。そして、そうした共同体は、「帰るだけの価値がある」ものでなければなりません。だからこそ、それから離れることに恐れを抱くのです。
つまり、「冒険の拒絶」は、主人公が属している共同体―日常の価値を確認する働きを持っています。

一方、主人公が旅立つべき非日常は、危険で、困難に満ちていなければなりません。日常と変わらず安穏とした非日常では、「行く」ことにならないからです。主人公が、誰かに言われたからといってホイホイ旅立っては、困難を認識していないか、そもそもそのような困難が存在しないのではないかということにもなりかねません。
「冒険の拒絶」は、これからの旅に困難が伴い、それゆえ達成すべき課題も存在するということも確認しているわけです。
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2017/04/02 11:59

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😶 なぜPCは依頼を拒むのか
依頼を受けようとしないPC、は古くからある問題です。
そして、PCの依頼拒否による進行の停滞を防ぐためのテクニックがいくつか編み出されてきました。
すでに事件に遭遇した現場からセッションを開始する「ホットスタート」などがそうです。

ですが、ここでは、なぜPCが依頼を拒むのか、その理由について考えてみたいと思います。

今回取り上げる理由は次の3つです。
1.単なる進行妨害又は嫌がらせ
2.依頼を受けることの合理性の欠如
3.物語論上の要請

1は論外です。この理由で依頼を拒むのなら、そのPCをセッションから放逐することも止むを得ないでしょう。
しかし、そのPCを放逐する前に、本当に1の理由だけで依頼を拒んでいるのか、を慎重に吟味せねばなりません。
それを怠ると、よりよいセッションの時間を持つことのできる可能性を放棄することにもなりかねないからです。

他の理由はないか。そこで次に、2に挙げた合理性の問題を吟味してみます。
(この理由について議論しているブログ記事がありますので、そちらも参考にしてください→http://d.hatena.ne.jp/bit666/20130202)
どんな依頼にもリスクとベネフィットがあります。どちらか又は両方を欠いたものを依頼とは呼べません。
ですから両者を比較衡量して可否を決定するのですが、その結果としてリスクがベネフィットを上回っていたり、そもそもリスク又はベネフィットを見積もるための情報(パラメータ)が不足しているといった事態が起こります。
そうだとすれば、依頼を拒否する又は保留することは合理的な判断たりえます。

しかし、このような損得勘定によらない理由が他にあるのではないか?
そこで3の物語論上の要請に移ります。
これを理解するには少しばかり前提知識が必要です。

アメリカのジョセフ・キャンベルという学者は、世界の神話には人間の自己実現の過程が反映されているという考えのもと、世界の神話、特に英雄伝説を分析し、それらに共通する仕組みをまとめあげました。彼の業績は多くの作家や映画脚本家に影響を与え、名作とされる作品を生み出すきっかけとなりました。
ハリウッドでDevelopment Executive(映画化に値する原作を探したり、脚本家を指導したりする役職)を務めてきたクリストファー・ヴォグラーは、キャンベルの理論をもとに、脚本家のための手本として「神話の法則」を発表しました。
なのですが、実はこの「神話の法則」の中に「冒険への拒絶」という要素が含まれています。
(詳しくは→http://kenkyu-labo.com/02/shinwanohosoku.html)

例を挙げましょう。ここでは、ウォルフガング・ペーターゼン監督の映画「ネバーエンディング・ストーリー」を取り上げます(原作については言及しません)
本の中の世界ファンタージェンを救うための旅に出ることを予言された勇者アトレイユは、神官や民衆(そして本の読者であるバスチアン)に子供扱いされたことに臍を曲げ、「バッファローを狩りに行く」と言って一度は依頼を断ろうとします。アトレイユは草原の民という種族で、狩りは彼にとっての日常です。つまり彼はここで冒険を拒絶し日常に留まろうとしていました。その後曲がりなりにも勇者と認められ、ウロボロスのアウリンを授かり旅に出ることになります。
また、本の読者でありこの映画の真の主人公であるバスチアンもまた、一度冒険を拒絶しています。彼はアトレイユの旅に付き添い、食事を共にし、仲間の死を悲しみ、敵を前にする恐怖を覚えますが、それらはあくまで読者としてのことです。しかしファンタージェンを救えるのはその世界の民ではなく自分自身であると知らされたとき、「これはただのお話じゃないか!」と一度は否定しようとします。彼は本好きの根暗な少年という自分の日常を固持しようとしたのであって、この時点で彼は本当の意味で冒険に出発してはいなかったのです。

「冒険の拒絶」は、キャンベルが世界の神話の中から見出した要素です。ということは、私たちの精神のわりと深い領域に根ざしている可能性があります。依頼を拒むPCのPL本人は意識していないことがほとんどでしょうが、だからといって軽視してよいものでもないと思います。
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2017/04/01 23:01

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😶 TRPGと成長、そして物語
将棋の駒は、敵陣に踏み込むことで移動能力が向上します。
しかし、その効果が及ぶのはその対局の中だけです。
「さっきの局で俺の飛車は龍になったから次の局では龍スタートな」
ということは通用しません。

そう考えると、ミニチュア・ウォーゲームに端を発するTRPGに、
成長という要素が存在するのは、実は不思議なことのように思えます。
そして、この成長という要素こそが、TRPGにおいて物語が重視される
時代の流れにつながっていったのではないか、と私は考えています。

それでは、成長とはどういうことを言うのでしょうか。
コンピューターRPGでは、マップを歩き回って見つけた敵を
倒し続ければレベルが上がることが多いわけですが、
それはレベル上げという作業であり、(例外はあれど)退屈なものです。
漫然と探索や戦闘を繰り返し、能力を表す数値が上昇したとしても、
そこに成長を見出すことは難しいでしょう。

人が「成長した」と感じるとき、どのような仕組みが働いているのか。
実は、その仕組みは、物語の仕組みを研究する中で見出されてきました。

ビデオゲーム「魍魎戦記MADARA」の原作で知られる大塚英志は、
物語を作る技術そのものをビジネスとした、日本における第一人者です。
大塚は、20世紀に花開いた物語研究を踏まえ、物語の根幹をなす要素を
「行って帰る」と「欠落したものが回復する」であるとしています。
(参考 http://knon.hatenablog.com/entry/2014/05/14/120940)

「行って帰る」って、どこに行ってどこに帰るんだよ、という気もしますが、
日常から非日常に「行って」、再び日常に「帰る」という意味です。
これは、共同体において成熟した人と認められるための通過儀礼
(イニシエーション)の意味を持つのだそうです。

単に日常から非日常に「行く」だけでは、世界に振り回されているのと変わりません。
非日常から日常に「帰る」ことができてはじめて、成長したことが認められます。

もうひとつの「欠落したものが回復する」はイメージしやすいと思います。
欠落しているのは、村に伝わる宝物かもしれませんし、世界の平和そのものかもしれません。
何にせよ、人は欠落を感じ、それを求めずにはいられないのであって、そのことが成長の原動力になります。

こうしてみると、物語と成長は不可分であることがわかります。
セッション後、ただ数値を上昇させるだけに終わらせず、
キャラクターが日常に帰れているか、欠落を回復できているかということを考えることによって、
より成長を実感でき、物語らしいセッションに近づくことができるでしょう。
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2017/03/23 19:02

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😶 TRPGの中のジェンダー
twitterでフォロワーさんが悩んでいました。
「マギカロギアで、心と体の性別が一致しないPCが使う分身召喚はどう扱うべきか?」

分身召喚は、使用者が男性ならば「乙女」を、女性ならば「騎士」を召喚する魔法です。
使用者の性別が不定ということであればダイスで決定するよう
公式からアナウンスされているのですが、今回の事例では不定ではありません。
もちろん、実際の裁定はGMごとに異なってくるとはいえ、
考えて結論に至るための根拠は持っておきたいところです。

まずは、マギカロギアのルール(2巻209p)を確認してみましょう。
分身召喚は「サモンアニマ/アニムス」と呼ばれていますが、これが手がかりです。
アニマ、アニムスとは精神分析のユングが用いた用語で、
「男性の無意識人格の女性的な側面」をアニマ、
「女性の無意識人格の男性的な側面」をアニムスと呼びます。
また、分身召喚の説明には「自分の中にある異性像」と記されており、
専ら精神的な問題として描写されていることがうかがえます。

以上のことから私は、
分身召喚が参照するのは性自認(心の性別)であると
フォロワーさんに回答しました。

このように、TRPGの現場では、ジェンダーを参照すべき局面がしばしば現れますが、
ルール等でも素朴な記述しかされておらず、難しい判断を迫られることがあります。
これは私たちの生きる社会の多様性に関わる問題でもありますが、そこまで深刻に考えないとしても、
TRPGのキャラクターは複雑なジェンダーを抱えていることがよくあるので、
実用的な問題として、考え方の手がかりを持っておくことは有用です。

ジェンダーは多岐にわたり、文献によってもまとめ方が異なることがあるのですが、
LGBT法連合会の資料(http://lgbtetc.jp/pdf/about_lgbt.pdf)では、
身体の性、性表現、性自認、性指向の4次元に分類しています。

身体の性……身体的特徴により判断される性別
性表現……見た目の女らしさ・男らしさ
性自認……自分自身の性別を何と感じるか
性指向……どんな相手に恋愛感情を抱くか

ルール上でジェンダーを参照すべきとき、判断に迷うことがあったら、
そのルールが上記のどの次元を参照しているのかを考えていくとよいでしょう。

もう一つ事例を見てみましょう。
ゆうやけこやけの狐の能力「こあくま」を取り上げます。
データ面はさておき、この能力の説明には、
「異性を惑わせる不思議な魅力」と書かれています。
「惑わせる」とあることから、性指向の問題であると捉えることができますが、
これは使用者(狐)自身ではなく、相手の性指向であることに注意が必要です。
そしてこの能力は、印象判定の効果を上げるものであるため、
使用者(狐)から相手への印象がどうであったかが問題になります。
印象判定に至るまでのロールプレイングも影響してきますが、
多くの場合は、使用者(狐)の性表現(どの性別に見えるか)が大きな割合を占めるでしょう。

まとめると、次のようになります。
「使用者(狐)の性表現(どの性別に見えるか)が、相手の性指向(どの性別に惹かれるか)と一致したとき、「こあくま」は効果を発揮する」

セッション中にジェンダーで迷うことがあったら参考にしてください。
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2017/03/22 20:07

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😶 TRPGにとってフェアネスとは
TRPGはゲームです。
ゲームですから、フェアであるか否かが問題になります。
アンフェアがまかり通るようなゲームは、短命になるでしょう。

それでは、しかし、TRPGにとってフェアネスとは何なのでしょうか。

まず注意すべきは、大きく分けて2種類のフェアネスが存在するということです。
プレイヤー-プレイヤー間のフェアネスと、
プレイヤー-ゲームマスター間のフェアネスです。
前者については別の機会にということで、ここでは後者に注意を絞ります。

ときに、ゲームマスターは神と比較されます。
ゲームマスターはその管轄するシナリオに対して神に等しい権能を有するという考え方です。
しかし、だからといって、脱出不可能な迷宮に冒険者たちを閉じ込めたり、
実はプレイヤーが何もしなくても事件が解決するようになっていた、などということをすれば、
そのゲームからフェアネスを感じるプレイヤーは極めて少なくなるだろうことが予想できます。
そして、そのゲームを続けたいと望む人は、もっと少ないでしょう。

TRPGとは別に、これに似た問題を昔から扱ってきた分野があります。
探偵小説(推理小説、ミステリ)です。
探偵小説を読むことの面白さは、わずかな手がかりから事件の真相(そして犯人)を
見出そうとする知的営為にあります。
手がかりと真相とが合理的に関係していなければ、知的な面白さは崩壊してしまいますし、
そのあたりをうまくやることは、探偵小説の世界でも「フェアプレイ」と呼ばれます。

なので、探偵小説の世界では、
ヴァン・ダインの二十則や、ノックスの十戒といったルールが語り継がれています。
もちろん、これらを遵守していれば面白い探偵小説が書ける……なんてことはないわけですが、
探偵小説を読み、また書くことの面白さをどうやったら守れるか、ということに、
先人たちが心を砕いてきたことがこれらのルールからは読み解けます。

私は、プレイヤー-ゲームマスター間のフェアネスとは、
この探偵小説のフェアネスに近いものだろうと考えています。
つまり、制約の中で事件の真相に迫り、課題を解決するという知的な面白さを守ること、
それがフェアネスであり、そのための行いがフェアプレイです。

例えば、マンチキンは嘲笑の対象ですが、
これは自分のキャラクターがあまりにも有利に取り扱われることを望んでいるからで、
制限の中で課題を解決するという知的な面白さを壊してしまうというのが原因の一つです。
「私のキャラクターはヨグ=ソトースの分身なのであらゆる時空を
見ることができます。つまり犯行の様子も見ていたのです」
などと言い出したら、知的な面白さなどあったものではありません。

ウィルさんの記事で言及されていた「ムズイムズイ病」も、
初めから解決不可能な課題に対して知的な面白さを感じられるかと考えれば、
探偵小説的なフェアネスの問題として捉えることができます。
一方、「一本道症候群」は、「そもそも課題の体を成していない」という
問題を抱えていることがわかります。

ゲームマスターが、言ったことを安易に翻すのも、フェアネスにとって問題です。
「部屋の床に魔方陣が描かれている」と説明を受けたのに、
後から「あれは嘘で、ただの落書きだった」などと言われたら、知的な課題はおじゃんです。
インセインのように、ミスディレクションがルールとして認められているゲームも存在しますが、
それにしても、「ハンドアウトの記載事項はシナリオ中の事実と矛盾させない」といった
超えてはならない一線は存在します。

自分のシナリオは、マスタリングは、フェアだろうか?
多くのゲームマスターは、そんな迷いを抱えているものと思います。
解決不可能な課題になることを恐れて、難易度をどんどん下げてしまうという
こともあります(私がそうです)
しかし、難易度を下げ過ぎれば、課題そのものが消滅してしまい、やはりアンフェアです。
万能の解決策はありません。
だからこそ、あなたが知恵を絞って書いたシナリオには価値があるのです。
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遊牧家族
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2017/03/21 22:50

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😶 かっこいいロールプレイングがしたいのです
しかしそのためには、
「自分にとって、かっこいいロールプレイングとは何か?」
という問いに答えられなければならないでしょう。

例えば、重病に苦しむ人に治療薬を届けることを頼まれたとします。
このとき、病の人の枕元に、燕尾服を着込んで白馬に乗って登場したら、
果たしてかっこいいと言えるでしょうか。

まさかね。
「お前そんな着込んでる暇があったらとっとと薬届けてやれよ」
という、とてもカッコ悪い感想を抱くわけです。少なくとも私は。

もう一例考えてみましょう。
「寝不足で機嫌が悪い」という物事は、多くの場合はカッコ悪いのでしょうが、

強烈な一撃でザコをふっ飛ばしたヒーローが、
「あまり怒らせるな、今寝不足で機嫌が悪いんだ」
とこぼしたら、ことによってはかっこいいロールプレイングになります。
これに対してヴィランが、
「好きなだけ眠らせてやるよ」
と返すのもいいですね。

どうも、かっこよさとは、
衣装や数値や言葉そのものにではなく、
むしろ、それらをとりまくコンテキスト(文脈)にこそ存在するようです。

であれば、かっこいいロールプレイングをするには、
卓のコンテキストと、自分自身のコンテキストに意識的になる必要があります。
卓のコンテキストを顧みず、かっこよさそうなことを言っても上滑りするだけですし、
自分自身のコンテキストが一貫していないと、かえってカッコ悪くなってしまうでしょう。
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2017/03/20 14:09

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😶 アマデウスのシナリオを公開しました
神話創世RPGアマデウスのオリジナルシナリオ「Du Bist So...」を公開しました。
https://drive.google.com/open?id=0BxpKOLgRyYieZDhiV1ZDRmxvZ00

3人用2サイクル1レベルの短いシナリオです。
珪素水などというものを扱っていますが、真面目に神話に取材しています。
予言を持っているからこそ起こる制約や、予言を公開することでの展開の変化など、
アマデウスの醍醐味を少人数短時間で楽しめるよう作成しています。
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遊牧家族日記

2017/03/20 10:02

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😶 システムの数だけ言葉の意味はある
まず、スポーツの話をします。
私自身、学校の体育は大嫌いで試合など見てもちんぷんかんぷんなのですが、
思いつく限り最も適切な話題の切り出し方だったのです。

オフサイド、というルールがあります。
フットボールで、ボールの状況によってプレイしてはいけない位置があるというものですね。

とはいえフットボールにも色々あります。
サッカー、ラグビー、アメリカンフットボール……アイスホッケーにもオフサイドルールがあります。
どのような場合にオフサイドとなるかは、フットボールによって異なるわけですが、
どのフットボールでも「オフサイド」と呼ばれることに違いはありません。

そこで、
「サッカーのオフサイドは×××なんだから、ラグビーの○○○をオフサイドというのは間違いだ」
などと言い出すのはナンセンスです。
試合中に選手がこんなことを言い出したら、一発退場でしょう。
今自分がプレイしている競技のルールを理解していない選手は、
敵にとっても味方にとっても危険な存在ですからね。

長くなりました。TRPGの話をしましょう。
ゲームシステムには、独自の用語というものが存在します。
それらは一般名詞とそっくり同じ字と音で構成されていることがあり、しばしば混乱を招きます。

例)
GM「ここであなたは自分の能力に覚醒する」
私「ではキャラクターシートの【覚醒】欄にチェックを入れるのですか?」
GM「ああいや、これは演出としての覚醒だから、チェックは入れなくていいの」

ルールブックでは、こうした用語を区別するため、すみつきパーレン(【】)をつけることが多いです。

さらに言えば、同じ字と音を持つ用語でも、ゲームシステムによって意味が違うということは非常にしばしばあります。
ドラクルージュの【絆】とSAMURAI×BLADEの【絆】とではその働きはまるで違いますし、
同じ「恐怖判定」という用語でも、インセインとピーカーブーとではすべきことが違ってきます。
マギカロギアの「夢」とゆうやけこやけの「夢」も違いますね。

ですから、新しいゲームシステムに触れるときは、
それぞれの用語に対して今まで自分が蓄積してきた記憶を、一旦脇に置いて、
ゼロから用語の理解を始めなければいけません。
大変なことではありますが、ゲームを運用するためには、必要な手順です。

もちろん、プレイヤーがそれをするためには、
ルールの側が用語の一貫した定義を提供していることが必要です。
そのあたりがお座なりなルールも一部に存在するというのは残念ながら事実なのですが、

それにしても、

そのゲームシステムの中で明確に定義されている用語を、
他の用語と違うからという理由で間違いと決めつけるのは、
それはなんか違うんじゃないかなあ、と思うのです。
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2017/03/08 19:06

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😶 仏教を用いてエネミーの動機を読み解く
TRPGのセッションにおいては、PCと対立するエネミーがしばしば必要になります。
動物や機械、自然災害などの、これといった動機を持たないエネミーならばよいのですが、
時としてエネミーに人間的な動機が必要になることがあります。

エネミーの動機があまりに理不尽だったり、PCと対立することとの間に整合性が見られないような場合、
「果たして対立する必要はあったのだろうか?」とPLに疑問を持たれかねません。
そうしたセッションの満足度は下がるでしょう。
逆に、筋の通った動機をエネミーに与えることができれば、
「悪さをしていたから倒したけど、あいつも可哀想な奴だ」と哀れんでもらえたり、
「その動機は理解できるが許せない。絶対に倒す」と全力を挙げてもらえたりします。

ゲームシステム上で動機が重視されることはあまりありませんが、
セッションの満足度に影響するため、おろそかにしてよいものではありません。
では、どうすればエネミーに筋の通った動機を与えることができるでしょうか。

私は、仏教における四苦八苦をもとに、エネミーの動機を考えています。

「苦」とは、普段言うような苦しみとは違い、「ままならぬこと」という意味を持ちます。
もちろんこの世界はままならぬことだらけなわけですが、仏教はこれらを次のようにまとめました。

生苦:どのように(いつ、どこで、誰の子として等)生まれ生きるかは、ままならない
老苦:老いてゆくことは止められない(逆に、早く老いることもできない)
病苦:病気になるならないは、思い通りにならない
死苦:死なないことはできない

愛別離苦:愛するものともいずれ別れる
怨憎会苦:憎しみに出会うこともある
求不得苦:望むものは得られないものである
五蘊盛苦:人の感覚と精神とは不自由なものである

五蘊盛苦については、もう少し解説が必要です。
五蘊とは、人間の感覚や精神の働きを分類する考え方で、
色:物質
受:感受
想:表象
行:意志
識:認識
これら五蘊への執着が苦につながるとされています。

さて、これらの苦―ままならなさを前にしたとき、ヒトとして何をするか、が考えるべきポイントです。

釈迦は、そもそもこれらの苦は、煩悩によって引き寄せられていると説きます。
煩悩は「悪い考え」とか「心の穢れ」とか説明されることが多いのですが、
ここでは悪い意味の「こだわり」であると考えましょう。
たとえば先に挙げた求不得苦(望むものは得られないものである)にしても、
その望むものへの「こだわり」がなければ、そもそも苦ではなくなります。
ですから、釈迦の教えは、これら煩悩―「こだわり」と向き合い、なくしていくことにつながります。

とはいえ、今の私たちは修行者になろうとしているのではありません。必要なのはTRPGのエネミーです。
釈迦の教えを踏み外し、「こだわり」と向き合わずに苦をなくそうとすれば、それがそのままエネミーの動機になります。

例えば、他人の苦しむ様に快楽を覚えるサイコパスというエネミーがいたとして、
彼は、「他人の苦しみが甘美である」という感受に執着しているわけですから、
五蘊盛苦のうち受を代表していることになります。
亡くなった身内を甦らせるために生贄を集める邪教の神官は、愛別離苦の代表ですし、
不老不死を求めて死苦に挑戦するエネミーは枚挙に暇がありません。

自分のエネミーはマンネリかな? と思うようなことがあったら、
今まで自分が書いてきたエネミーを四苦八苦にあてはめてみて、
あてはまらなかった苦を次回使ってみる、
といった使い方をしてもらえれば幸いです。
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遊牧家族
遊牧家族日記

2017/03/07 22:22

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😶 面白くない4コマを面白くする方法と法則
という記事があります。
http://oe-cafe.com/archive/4koma35.html

ポイントは、「3コマ目のための4コマ目ではなく、1コマ目のための4コマ目を描く」です。

これはTRPGにも応用が利くものです。
冒頭や途中の何気ないやりとりが結末とリンクしているだけで、「物語らしさ」が増します。
もちろん、これをやるには相当記憶力がないといけませんし、
どのセッションでも必ず出来るわけではありません。出来たら儲けものくらいに考えましょう。
また、これはGMだけが使えるというものでもありません。PLとして参加するときでも、
「冒頭と結末をどうリンクさせるか」を念頭に置くことで、味わい深いセッションができることでしょう。
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遊牧家族
遊牧家族日記

2017/03/06 19:04

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😶 Raspberry Pi 3でどどんとふ
前回、Raspberry Pi 2でどどんとふサーバーを作ったのに気を良くして、Raspberry Pi 3も買っちゃいました。
秋月電子通商さんの電源アダプタも購入したので電源も問題ないはずです。ただケースは買わなかったので2のスターターセットのやつに入れ替えました。許せ2。後で次の仕事を考えてやるからな。

その前に、2のほうをFastCGI対応にして、実際に運用してみたのですが、
5人でマギカロギアをやってみたところ下手なレンタルサーバーより快適に動作しました。
再接続エラーも一度も出なかったし、こりゃいいや。

詳しいことはわからないのですが、Raspberry PiのCPUはARMのクァッドコア(ただし2は32bitで3は64bit)なのだ
そうなので、さらに効率を上げるにはスレッドとかそういうところを理解しないといけないのかな? と思います。
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遊牧家族
遊牧家族日記

2017/02/17 19:28

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😶 Raspberry Pi 2でどどんとふ
こちらとは関係ない話題ですが……

これまで、古いWindows PCでどどんとふを使用していたのですが、いい加減古すぎになってきたので、新しいマシンに挑戦してみることにしました。
Raspberry Pi 3が欲しかったのですが、安定動作には特殊な電源が要るらしく、行ったお店でも品切れ。さすがに不安だったので、より低電力で動作できる2を購入しました。
キーボードやマウスは古い手持ちを流用し、HDMIはテレビに接続しました。テレビにつなぐなんてMSXみたいだ。
付属のmicroSDにOSがプリインストールされているので、起動自体はサクサクできたのですが、これまで触ったことのほとんどないDebian GNU/Linuxに苦戦。一度インストールを壊してしまい、一晩かけてリカバリするはめに……(noobsから再インストールするだけで操作は簡単なのだが、何時間もかかった)

リカバリ後は公式サイトを見ながらnginx(webサーバー)をインストール、これはすぐ動いたのですが、次にインストールすべきパッケージが何なのかわからず右往左往。apt-cache searchで探しまくってやっとインストール。ひとまずfcgiwrapをspawn-fcgi経由で起動して、一応動くようにはなりました。
しかしnginx使うんだったらfastcgi対応させたいわけですよ。どどんとふのCGIのフロントエンドはDodontoFServer.rb一つに統合されているのでfastcgi化しやすく、サンプルコードもいくつか公開されています。サクッとコードを入れ替えて、いざ起動してみると……部屋一覧の取得ができない! なんの不具合が! この原因究明にえらく手間取りました。これもUNIXライクなOSに慣れていなかったのが原因でしたが……
ともかくも、ホームユースのどどんとふサーバーを作ることができました。少人数ならそれなりに使えるらしいけど、どれくらいなんだろう。使いたいなあ。
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遊牧家族
遊牧家族日記

2017/02/04 08:58

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😶 店員に横柄な態度をとる男と結婚してはいけない
その態度は、結婚した後の彼があなたにとる態度でもある。

って言うじゃないですか。

TRPGにも同じようなことが言えると思います。

コンベンションでは、同卓のメンバーが揃って昼食をとりに行くことがよくあります。
そのとき、プレイヤーの一人が店員に、
「なんだこの料理は、作り直せ」
みたいな態度をとっていたらどうでしょうか。

カルボナーラをフォークで丸めていたGMの頭の中に、
「なんだこのシナリオは、盆暗め」
という予知が見えるかもしれません。
あるいは、和風ハンバーグセットを待ちかねていた初心者プレイヤーの頭の中に、
「なんだこのキャラビルドは、役立たず」
なんてのもありそうです。

インセインで喩えれば、
「横柄な態度」という狂気カードを持っていることがわかっている状態です。
しかし、トリガーが何なのかわかりませんし、
何よりも、回復判定などという便利なものは現実世界には存在しません。

いずれにせよ、昼食後に再開されるセッションの未来は明るくないでしょう。

さて、そういう場面に直面したとき、GMとして何をすべきか、ですが。

コンベンションの場合は、セッションの中止も視野に入れた上で主催に相談することが必要です。
主催に話を通さずにセッションを中止したりすると、別の問題が発生しますし、
何かしらのトラブルが発生する予兆があるなら、主催にはそれを知る権利と義務があります。

演劇の世界では、Show must go on(幕を降ろすな)という原則がありますが、
TRPGは演劇ではありません。お互いが送り手であり受け手です。
参加者の大多数が気分を悪くしてしまうという見込みが立つのなら、
無理に続けず中止してしまったほうがよい、とジェレミー・ベンサムも言うでしょう。

しかし、可能な限りセッションを続けたいというのもあります。
うまくいくかどうかはわかりませんが、そういうときは、
変に取り繕わず、正直に伝えるしかないのではないかと思います。

つまり、店員に横柄にしていたプレイヤーを個別に呼び出して、
「あの料理への怒りはもっともですが、
あのような態度で他のプレイヤーに関わられると私が苦しくなりますので、
どうかお控えください」
と正直に言うのです。
(他のプレイヤーの前でこの話をするのは絶対にいけません)

また、他のプレイヤーには、
「もし苦しくなったら手を上げるなどして知らせてください。すぐ中断します」
と言い含めておくことも必要でしょう。

GM一人でそれをするのはかなりの負担です。
だからこそ、主催との相談が必要なのです。
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