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登録日:2019/01/30 17:03最終更新日:2019/03/15 11:39 |
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コメント一覧
85. 蝉丸 | |
2019/02/08 07:34 |
『一之宮』~『四之宮』神社及び五霊神社の存在と仮定論 秋原の地を囲うように五芒星系位置に存在する神社はそれぞれが別の神を祀っている。 これらの神社が朱原において排斥された荒御魂を封じ、忌み地であった朱原を浄化するために建てられたものではないだろうか? もしくは儀式の生贄とされ続けた少女たちの霊を慰めるために建てられたものではないだろうか? これらの仮定は全ての神社、関係者から否定されてはいるが、なにゆえをもって朱原の土着神の存在がこれほどの調査を必要とするほど”抹消””秘匿”されているのか。 それは地に残る各地の神社に残された史跡と資料から得られるはずだ。 次回論文では失われた朱原民族の謎を明らかにすることができるだろう。 『一之宮神社封具』の閲覧、『四之宮神社に現存する祠』調査の許可さえおりればの話なのだが・・・
84. 蝉丸 | |
2019/02/08 07:34 |
『白楼之御霊』降臨の儀(出典は明記されていない) 儀式は冬に備えた秋、トラペジウムからなる多面体の黒水晶を御神体として中央に配し、生贄達が正方形の部屋の四方に座り『夕べの夜』を詠むことで行われる。(歌の内容は載っておらず、儀式所は大量の遺骨の見つかった紅天断層に近い場所であったと推測できる) 儀式に際して同伴できるのは神の使いたる神官のみであった。 みだりに神々の姿を見てはならないとして、儀式の日はあらゆる民家がその戸を閉めた ある男が儀式を覗き、翌日無残に叩き潰され飛び散った男の成れの果てが見つかった。 この降臨の義に類似した『おキツネさま』なるこっくりさんめいた遊戯が地域住民の子供たちの間で広まっている事も私の個人的興味を引いている。
83. 蝉丸 | |
2019/02/08 07:33 |
【以下に箇条書するのは論文から読み取れる『白楼之御霊』信仰の目的と儀式である。】 『白楼之御霊』は民草の声を聞き叶える存在であった 一年に一度、声を届けるため四人の少年少女が選ばれた。 選ばれた者たちは幻夢の郷に住まう神の元へと旅立つことになり、帰ってくることはない。(生贄の儀であったと考えられる) 生贄には紫色の紋様が浮かび上がり、それには幾つかの条件があった 清らかな身であること、届けるは自身の願いであること、旅立ちを心より受け入れること 条件を満たさなかった生贄は旅立つこと無く戻る。また、願いも受けいれられない その為、大人たちは幼い時より子供たちの教育を熱心に行った 神の選別を経て願いを届けた生贄は神の地で永久の幸福を得ることが出来るとされた ある姉妹は地の豊穣を願い、その結果朱原は実り豊かな土地となった ある少女は家族の幸せを願い、その結果家族は子宝と繁栄に恵まれた ある少女は厳しいしつけをした大人たちに復讐を願い、厄災が訪れた 人々は神を強く信じ、ある時は縋り、ある時は恐れた。
82. 蝉丸 | |
2019/02/08 07:33 |
資料:蘇我論文 1998年10月 朱原に失われし土着信仰『白楼之御霊』(はくろうのみたま) まず、秋原の地域が明治以前朱原と言う呼称で忌み地とされて来たことは歴史学者Y氏や民俗学者X氏らの発表論文より資料として明らかとなっている。 また、他の地域と比べ朱原の歴史がある時期を境に一部の資料が完全に欠落している事が報告されている事を念頭に置かれたし。この論文は関係者の都合上一部出典を明記できないことを理解した上でお読み頂きたい。 さて、まずは1995年阪神大震災の折、【紅天高山】に出来た断層で行われた学術調査、地質調査において発見された石碑跡から、『白楼之御霊』という名の発見があったことは記憶に新しい事だろう。土地の所有者である五霊神社より本格的な調査の中止要請があったため、此処から先は私の推測の域をでない物であることを留意されたし。 これが古代朱原において土着信仰されていた神の名であると仮定した場合、その名は古事記、日本書紀に残されていない国津神の名であることは想像に容易い。 かつて朱原のあった地域を統治していた豪族の名、あるいはかつては卑弥呼と同じく人々の強い信仰を集めた巫女、もしくは神の呼び名としていた可能性が高く感じ取れるものである。 私はこの説を証明する為、細切れとなった数々の小さな史跡資料を重ね合わせ一つの信仰儀式とその神の存在をこの論文で主張するものである。論説が認められれば、古来より日本で信じられていた歴史を大きく覆すものとなるだろう。