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😆 [PathFinder 2e][PC作成]Clericのお薦め (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼) どうもセスです。 先月8月にPathFinder 2e Core Rule Bookが出て、 Monk1 PC https://trpgsession.click/comment-detail.php?c=Seth7&i=Seth7_156665939696 Champion1 PC https://trpgsession.click/comment-detail.php?c=Seth7&i=Seth7_156742363197 Barbarian1 PC https://trpgsession.click/comment-detail.php?c=Seth7&i=Seth7_156839152892 とPC作成している続きで、今回は四人目のCleric1 PCとなります。 今までのまとめと今後の予定は↓ https://trpgsession.click/comment-detail.php?c=Seth7&i=Seth7_156845826827 と言う事で、Cleric、聖職者、神官、使徒、西洋人勘違い所謂神聖魔法使い クラスのお薦めです。 最初に、コレはヤバイ話題になるので、極力書かれた事よりも書かれなかった事が 多くあると言う事で、ピーと言う消去音が入りますのでご配慮をお願いします。 まず元祖で本家、かつ、全世界的には広まったのイメージは、疑いなく、 所謂キリピー教の聖戦、所謂、十ピー軍に従軍した武装聖職者戦士 の方々です。 そしてTRPG版としては、満を持して1977年の、 First Edition Advanced Dungeons & Dragonsで、 http://www.mjyoung.net/dungeon/char/clas009.html で正式にCleric Classとして登場します。 勿論、罰当たりな東洋の片隅世界でAD&D 1st/Rev.=1.x系を1977〜9年前後遊んでいた グループ内では、 A氏「こっコレ、ヤバクねぇ?」 B氏「あぁ、カミの声が頭の中で聞こえる、とか、夢の中でお告げがぁ、とか」 C氏「でっ電波系!」 D氏「Radio Head!!」 E氏「まぁ、このゲームの中の世界では、カミと言おうか強力な超越的存在が実存するワケで」 F氏「信仰は力なり!!!」 などなどと救い様の無い不信心者どもの冒涜的な会話が続き、 A氏「オレ、コレやだよ」 B氏「居ないと、治癒できないゼェ」 C氏「死からの復活!」 D氏「No Cure No Life!」 E氏「まぁ、このゲームの中の世界では、それらの強力な超越的存在がそれらの奇跡を行うワケで」 F氏「信仰は力なり!!!」 と、 「先にPCが死んでしまったブレイヤーさんが、死んだPCの復活を拒んで、 (「カミに屈する位なら、人/エルフ/などなどとしての死を選ぶ!!!」) ほぼバツゲームとして、次に死んだPCのプレイヤーさんが出るまで 現在のCleric PCと交代して、または、新しいCleric PCを作成して、 回復役をやらされる」 と言う交代制のNPC的なクラスでした。 (その様にしてCleric PCのプレイ時間が多くなりました) まぁ、1980年代以降は、色々な所謂コンピューターゲームなどで、 「所謂、あくまでゲームとしてのゲームの中での回復役の立ち位置が確立」 されましたので、 「極力お行儀よく政治やお金と同じく信仰の話題を出さずに、 広く遊べれています(走召糸色木亥火暴)」 が。 最後に、一番の誤解となっているのは、 一神教と多神教、汎神論的自然神、奇跡は究極の科学 のイメージ群のごちゃ混ぜですかね。 (このためにTSR社系は2010年代後半まで数々の法的訴訟を抱えていたワケです) 閑話休題。 さて、ここまでが長い前振りでしたが、Clericクラスのお薦めに行きます。 ずばり書くと、 「初めて遊ぶTRPGのPCとして、 プレーヤーパーティー内でほぼ唯一の良心、 他のプレーヤーさんのPC達の命を直接救う真のパーティーリーダー」 として、パーティー全体の成功を担う、または、全滅に導く、という 一種のありがたい遊びが体験できます。 多分、正直、所謂人生修養としては最適な部類に入ると思います。 つまり、 1 回復/復活させてあげたPC達から「ありがとう」の一言の感謝の言葉すらない。 感謝する、と言うありがたい感情の大切さを学べます。 また本当に感謝の念が感じられない、薄っぺらな言葉と言うものを知る事が できます。 2 PC死なすと、全てCleric PCの責任として、他のPC達から無言、有言の避難を 一身に浴びる。 どんな命も大切である、と言う命の貴さと儚さを学べます。 3 破壊と殺生によって物事の解決を目指すのでは無く、治癒と再生によりに物事の 解決を目指せます。 最終的な結果はどうであれ、常に己の良心に前向きでいる大切さを学べます。 4 正論を吐いても、そのまま当前の台詞としてロープレできます。 畢竟、 「案外、変に色々と考えないで、本当に素直に普通に考えて素直に遊べる」 という事です。 が、ここからが、しかしです。 主にTRPG的な主に状況からの心理的なデメリットですが、 1 当前に他のPC達のゲーム的命を預かってますので、案外根気が疲れる。 2 治癒と復活に喜びを感じられないと、破壊と殺生の衝動に揺さぶられて ダークサイドに落ちやす。 3 本心から無神論者の方々だと、自分がどうしょうもない偽善者に思えて、 正直ツライ。 4 奇跡とかじゅなく、謎の薬草やポーションとかで治癒、復活させて欲しい、 強く思い始める。 最期に、個人的には正直、 「バツゲームでしかCleric PC遊べないですが、 ゲームとしてはCleric PCいないとゲームにならないので(走召糸色木亥火暴)」 色々なCleric PC遊んじゃいますです。
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