霞さんの日記 「TRPGのシナリオとプレイヤーキャラクター」

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霞
日記
2018/02/10 21:23[web全体で公開]
😶 TRPGのシナリオとプレイヤーキャラクター
 
こんばんわ。
わたしはキャラクターのロストを経験したことがありませんので、
このトピックに答える資格があるのかはわからないのですけど…

ぬし様の日記『ロストの意見交換』の中で提起されている

「プレイヤーキャラクターは、シナリオのためにあるのだろうか。
 それとも、シナリオがプレイヤーキャラクターのためにあるのだろうか。」

っていう命題…。

この命題に対するわたしの答えは明確で、

「シナリオは、プレイヤー(キャラクター)のためにある」

って思っています。

逆に、TRPGのシナリオが、プレイヤーのためではないのだとしたら、
一体、なんのためにあるのでしょう…?

だって、TRPGってそもそも「ゲーム」ですよね…??
そしてゲームを行う主体は、あくまで「プレイヤー」です。

プレイヤーは、「自分が担当するキャラクター(=PC)」を介して
そのシナリオの中で紡がれていく物語(=事件・イベント)に干渉して、
その行動選択によって「物語の結末に影響を与えうる存在」なわけですよね。

もし、PCがいてもいなくて、PCが事態を上手く打開できなくても、
シナリオがグッドエンディングに分岐する(=物語の結末がハッピーエンド)のだとしたら、

あるいは、PCがどんなにうまく事態に介入したとしても
シナリオが(ほぼ自動的に)バッドエンディングに分岐するのだとしたら………

それって、脚本で決められている映画やお芝居の役を演じる(RP)だけの「キャスト」と同じ…
あるいは観客席から舞台上の物語を傍観しているだけの「ギャラリー」と変わらないですよね…。

「そのセッションで紡がれる物語の結末に影響を与えうる存在」でないのであれば、
もはや「ゲームのプレイヤー」とはいえないのに…
そんなシナリオ(ゲーム)をプレイヤーとして遊ぶ意味なんてあるのでしょうか…。


――― なので、わたしがシナリオを作成するときは、
プレイヤー(PC)がうまく事態をリカバリーできなければ、
必ずバッドエンドへ至るストーリーを軸にするようにしています。

シナリオ内の(PCが干渉しなければ確実にバッドエンドへむかう)エピソードを
主役であるプレイヤーキャラクターたちが活躍することによってのみ、
ハッピーエンドへとリカバリーできる…
それがTRPGのシナリオに求められる最低限の設計条件なんじゃないかなぁ…
って思っています(あくまでわたしの意見です…)。


そういう前提で、理不尽なロストだな…って思うのは、

●シナリオが分岐するような重要な行動選択をする際に、
 グッドエンド(=クエストクリア)に至るために必要な情報やアイテムを得る「機会」が
 十分に与えられていないようなシナリオ

●プレイヤーがどんなに手を尽くしても、バッドエンドに至るような一本道シナリオ
 (=シナリオ中にグッドエンドへの「リカバリーポイント」が1つもない…?)

プレイヤーとしてキャラのロストに満足することはないのですけど、
ロストに納得ができるのは、
●そのロストが、
 キャラ設定(性格や信条、パーティ内の立場)的に不自然ではない選択であって、
 物語の結末をグッドエンドに導くことに貢献できている場合かなぁ…。
 (=無駄死・犬死ではなかったということですから…)

 自キャラの死によってパーティが崩壊してバッドエンドに至ってしまうような
 身勝手な死を演出するのは、単なる自己満足なんじゃないかな…って思います。
 
ただ、『クトゥルフ神話TRPG』の場合は、神話生物による理不尽さという意味では、
H.P.ラヴクラフトらの原作の趣旨や世界観に沿っているようにも思います。
シナリオのテーマ ――― そのセッションでプレイヤーに体感してもらいたい主題が、
理不尽や虚無感、無情さ、ということであり、
プレイヤーにもそれを納得してもらった上ということなのでしたら、
そういうシナリオもありなのかもしれませんね…。
 
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レスポンス

nushitron
nushitron
2018/02/10 21:41[web全体で公開]
> 日記:TRPGのシナリオとプレイヤーキャラクター
はじめまして、こんばんわ霞さん。
日記の言葉を引用していただいて照れくさいやら何やら、このわくわくを込めてコメントさせていただきます。
「シナリオの為にプレイヤーキャラクターがあるのか、プレイヤーキャラクターのためにシナリオがあるのか」
これは私がシナリオを作る上で非常に大事にしている考え方だったりします。
とある格好良い方はおっしゃっていましたが、
「キャラクターはシナリオの為になってもいい、だがシナリオはプレイヤーの為になるべきだ」
これは素晴らしい言葉だと思いました。

クトゥルフの物語の性質は、もしかしたら私たちの想像よりも凄惨な「結末」を与えてくるかもしれません。
しかし、それでもその物語が、結局誰のものなのか。
キャラクターを代償にしてもプレイヤーに得られるものが、ちゃんと用意されているのか。
こういった心がけが、より良いセッションを作り上げていってくれることを、私は切に願っておりますよ。

長々と失礼いたしました。
ありがとうございました!

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