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😶 卓という物に対する姿勢 良卓を補給し、価値観を少しずつ豊かにして行く中で気付いた事がある。 卓とは、GMとPLという役割がある。しかし、結局の所会社などの人間関係上、上司という役職の価値が実際の所、一社員とイーブンに過ぎない事と何も変わらぬ様に、GMとPLもまたイコールなのだ。 GMとは世界観と筋書きを用意し、PLとはその中で物語を生み出して行く存在なのだ。卓を良くしたいなら相互に理解し、意見を出さなくては成らないのに、私はそれを忘れていた。不満が有るのなら、互いの距離感や将来的な不和を気にしてその場しのぎのリップサービスや、営業成績No1並のセールストークを披露するより、もっと魂から相手に向き合うべきだったのではないのか。 当然、『それだけの労力を割くべき相手なのか』との見方をした場合、その点には疑問が残る。しかし、そこでの妥協は私の美学に反すると思う。私はニーチェの提唱する『超人』の様な人間で在りたい。 完全な無為ではないのなら、そこに私が向き合う価値は有る筈だ。 相手の心を傷付ける様な事を言って良い訳ではない。しかし、人と人との交流こそが良い卓という物を形作るのなら、私はそれを忘れてはいけなかった筈なのだ。我慢ではない。問題点を挙げ、その解決策を具体的に提示し、称賛すべき所を称賛し、常に敬意を持って接する事。それこそが真摯さであり、言葉を尽くすより最も効果的な潤滑油だったのではないのか? なのに私はただ、常に相手のプラスの面を見付けようとするばかりで、マイナスに言及する事は無かった。これで『緩衝材』だというのか? そんな物は豚に食わせろ。 もう一度思い出さなくては成らない。理解し、模索しなくては成らない。きっとそれが義務なのだ。今、とても恥ずかしい。 敬意を重んじていたつもりだったにも関わらず、最もそこから離れた行いをしてしまったかもしれないと思うと私は怖い。 しかし、取り返しがつくのなら何事にも遅すぎるという事は無いとも思う。思索する事を怠ってはならない。 ちなみに、上記の考えがよぎったのはここ暫くの卓が原因ではなく、少し以前の体験に関してである為、コレを目にした中に顔見知りの方が居るのであればどうか安心して欲しい。
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