遊牧家族さんの日記 「仏教を用いてエネミーの動機を読み解く」

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遊牧家族日記
2017/03/08 19:06[web全体で公開]
😶 仏教を用いてエネミーの動機を読み解く
TRPGのセッションにおいては、PCと対立するエネミーがしばしば必要になります。
動物や機械、自然災害などの、これといった動機を持たないエネミーならばよいのですが、
時としてエネミーに人間的な動機が必要になることがあります。

エネミーの動機があまりに理不尽だったり、PCと対立することとの間に整合性が見られないような場合、
「果たして対立する必要はあったのだろうか?」とPLに疑問を持たれかねません。
そうしたセッションの満足度は下がるでしょう。
逆に、筋の通った動機をエネミーに与えることができれば、
「悪さをしていたから倒したけど、あいつも可哀想な奴だ」と哀れんでもらえたり、
「その動機は理解できるが許せない。絶対に倒す」と全力を挙げてもらえたりします。

ゲームシステム上で動機が重視されることはあまりありませんが、
セッションの満足度に影響するため、おろそかにしてよいものではありません。
では、どうすればエネミーに筋の通った動機を与えることができるでしょうか。

私は、仏教における四苦八苦をもとに、エネミーの動機を考えています。

「苦」とは、普段言うような苦しみとは違い、「ままならぬこと」という意味を持ちます。
もちろんこの世界はままならぬことだらけなわけですが、仏教はこれらを次のようにまとめました。

生苦:どのように(いつ、どこで、誰の子として等)生まれ生きるかは、ままならない
老苦:老いてゆくことは止められない(逆に、早く老いることもできない)
病苦:病気になるならないは、思い通りにならない
死苦:死なないことはできない

愛別離苦:愛するものともいずれ別れる
怨憎会苦:憎しみに出会うこともある
求不得苦:望むものは得られないものである
五蘊盛苦:人の感覚と精神とは不自由なものである

五蘊盛苦については、もう少し解説が必要です。
五蘊とは、人間の感覚や精神の働きを分類する考え方で、
色:物質
受:感受
想:表象
行:意志
識:認識
これら五蘊への執着が苦につながるとされています。

さて、これらの苦―ままならなさを前にしたとき、ヒトとして何をするか、が考えるべきポイントです。

釈迦は、そもそもこれらの苦は、煩悩によって引き寄せられていると説きます。
煩悩は「悪い考え」とか「心の穢れ」とか説明されることが多いのですが、
ここでは悪い意味の「こだわり」であると考えましょう。
たとえば先に挙げた求不得苦(望むものは得られないものである)にしても、
その望むものへの「こだわり」がなければ、そもそも苦ではなくなります。
ですから、釈迦の教えは、これら煩悩―「こだわり」と向き合い、なくしていくことにつながります。

とはいえ、今の私たちは修行者になろうとしているのではありません。必要なのはTRPGのエネミーです。
釈迦の教えを踏み外し、「こだわり」と向き合わずに苦をなくそうとすれば、それがそのままエネミーの動機になります。

例えば、他人の苦しむ様に快楽を覚えるサイコパスというエネミーがいたとして、
彼は、「他人の苦しみが甘美である」という感受に執着しているわけですから、
五蘊盛苦のうち受を代表していることになります。
亡くなった身内を甦らせるために生贄を集める邪教の神官は、愛別離苦の代表ですし、
不老不死を求めて死苦に挑戦するエネミーは枚挙に暇がありません。

自分のエネミーはマンネリかな? と思うようなことがあったら、
今まで自分が書いてきたエネミーを四苦八苦にあてはめてみて、
あてはまらなかった苦を次回使ってみる、
といった使い方をしてもらえれば幸いです。
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レスポンス

八手
八手遊牧家族
2017/03/08 21:26[web全体で公開]
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仏教(´・ω・`)!

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