Keiさんの過去のタイムライン
2021年03月
ササミ⇒Kei | |
2021/03/31 19:42[web全体で公開] |
Kei | |
2021/03/31 17:44[web全体で公開] |
😶 わたくしが思うTRPG冬の時代のお話 (老害昔話シリーズです) ご機嫌よう。 わたくしのプロフィールには、さらっと「カードゲームが楽しかったので」みたいに書いていますが、ちょっと掘り下げて、かつてTRPGにどうして冬の時代が到来したのか(と、わたくしが思っているのか)というお話をします。わたくしたちの場合は、実際にその引き金を引いたのは、カードゲームではありませんでした。 かつて、TRPG冬の時代というものがあったとか、いやそんなものはなかったとか、というお話に触れた方もいらっしゃるでしょう。これは、わたくしの視点でのエントリですし、違う意見をお持ちの方はたくさんいらっしゃるかと存じますし、良くて話半分程度に受け取っていただければ幸いです。 わたくしの視点では、TRPG冬の時代はありました。そして、それは他にも言及されるような、90年代後半に合致します。 当時わたくしはあるグループでTRPGを遊んでいました。このグループは、わたくしが高校の頃に遊んでいたグループの延長で、大学に進学後も集まることができた方と、その知り合いの方で構成されていました。サークルというほどのものでもなく(創作などをしたいメンバーは別のサークルに参加していました)、単にTRPGで遊ぶことだけを目的とした、ゆるやかな集まりでした。 わたくしたちの卓の場合、まず、これはわたくしが持ち込んだことですが、TRPGのシナリオが早く終わったらボードゲームをしましょう、ということが始まりでした。予想外にシナリオが早く終わってしまうことはありましたし、当時のわたくしはTRPGだけでなく、安田均さんのような方が紹介されるボードゲームにも興味津々でした。Acquireのようなボードゲームを遊びました。ボードゲーム楽しかったですし、Acquireは名作だと思います。このエントリはボードゲームを否定するものではありませんし、みなさんも遊ばれたら良いかと存じます。とまれ、ボードゲームは十分以上に面白く、やがて、TRPGとボードゲームを両方遊ぶために、TRPGのシナリオ(時間)を短縮するようになりましたし、そのうちに、シナリオを準備できなかったからボードゲームでその日を過ごすということが起こるようになっていきました。それでも、シナリオが準備できなくてボードゲームになることは多くの参加者をがっかりさせることでした。 そして、カードゲームがやってきました。まだMtGが来る前でしたが、モンスターメーカーやダイナマイトナースなどがありましたね。ボードゲームと合わせて、気軽に遊べて楽しいゲームとして卓内の認知は高まっていきました。TRPGよりもボードゲームよりも手軽で、TRPGよりも楽しいと思われるのは時間の問題でした。特にGMがそう感じることが。 大事なことなのでもう一度いいますが、TRPGよりも楽しいと思われるのは時間の問題でした。 そう、TRPGの楽しさが陰ったんです。 その頃TRPGがどんなだったかというと、内輪受けの嵐が吹き荒れていました。公式のリプレイすら、内輪ネタ、内輪受けが全てでした。どのTRPGサポート雑誌も、人気のリプレイ作家を囲い込んで、その人気にあやかろうとしていました。どの雑誌を読んでいるかという派閥さえありました。結果として、多くの卓が内輪ネタで遊ぶようになりました。わたくしたちの卓も、例外ではございません。 でも、飽きますよね。 そうなんです。飽きたんです。そんなの一時の熱でした。TRPGが、ではなく、雑誌主導の内輪受けのネタで盛り上がることが。でも、TRPG自体に飽きたわけではないことには気付きませんでした。そうして、飽きたと思った時にその場にあったのは、カードゲームだったり、ボードゲームだったり、わたくしたちの場合は、NEO-GEOだったりしました。多くの卓では、その時にMtGがあって、RPGマガジンのようなTRPG専門誌さえ転向していたことから、MtGがTRPG冬の時代のきっかけになったように考えられているようですが、そこにMtGがあったのは、たまたまだと思います。わたくしたちの場合は、MtGではありませんでした。とまれ、内輪受けなんか関係ない純粋なゲーム性としての面白さでは、カードゲームやボードゲームの方が勝っていましたし、だいいちシナリオを準備する必要もありませんでした。準備不要で楽しめることは非常に歓迎されました。 補足しますが、当時インターネットは一般的ではないどころか、その存在を知っている人すら限られていました。シナリオの入手経路は非常に限られていましたし、ほとんど全ての卓で、GMがオリジナルのシナリオを行っていました。シナリオネタの多くは雑誌から得た内輪受けのものでしたし、そのネタさえも、雑誌に掲載されたリプレイのようにうまくいくことは稀でした。雑誌のようにうまくいかないことは多くのGMに劣等感や敗北感を与えました。そうしてネタが切れました。GMには、もうそれ以上のシナリオを作る余力がありませんでした。 そんな中、当時アーケードゲーム界を席巻していた格闘ゲームをそのままのクオリティで遊ぶことができるNEO-GEOは、当然のことながら、カードゲームやボードゲーム以上に歓迎されました。わたくしだって、TRPGよりも、カードゲームやボードゲームよりも、NEO-GEOに熱狂しました。わたくしたちの場合はNEO-GEOでしたが、NEO-GEOがなかったとしても、TRPGをそのまま続けることができたかは疑問です。 内輪受けではないTRPGシナリオがどんなものなのか、もう分からなくなっていました。そうして、TRPGは次第にプレイされなくなりました。 内輪受け楽しい、という一時の暴力的な熱に浮かされて、そういう方向にみんなが向かいました。出版する側も含めて。というか、出版側は、それを煽りました。人気のリプレイ作家を囲い込むという形で。ですが、その少なくとも一部は、後に「キャラクタープレイ」と呼ばれることになるようなものだったり、「マンチプレイ」と呼ばれることになったりするものでした。残念なことに、こういったプレイが卓を荒らさないようにする仕組みはまだ発明されておらず、全てはGMの責任にされました。一方で、それ以外の有意な記事はありませんでした。例えば、GMが意図したシナリオを進行するための方法論なんか、闇の彼方に葬られていました。それ以外の有意な記事がなかったことは、後に大いに問題になりました。みんなが、TRPGに飽きたと思った頃に。意図したお話を進める方法は失われました。そうして、やがてどの雑誌も潰れました。わたくしは、あれらの雑誌が姿を消したのは、TRPGに冬の時代が来たからではなく、因果は逆だと思っています。もちろん、みんなが飽きたのは、実際にはTRPGではなかった筈です。けれど、後に残っていたのは、TRPGではありませんでした。 これが、わたくしがこの目で見たと思う、TRPG冬の時代の始まりでした。 もちろん、TRPGを続けた方もいらっしゃるでしょうし、違う意見をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。これは、わたくしがこの目で見た、わたくしの卓で起こった、そうわたくしが思っていることに過ぎません。 いまのTRPGは「エモさ」が主流になっているように見えます。それ自体について、わたくしが言えることは何もありません。少なくとも、PLが求める「エモさ」を駆動できるようなシステムや方法論はちゃんと存在しているように見えます。当時のTRPGには、主流となっているプレイスタイルを支えるシステムも方法論も、ありませんでした。
アズマ⇒Kei | |
2021/03/30 22:16[web全体で公開] |
> 日記:キャラクターは歳をとるとどうなるのか、というお話 クトゥルフ神話TRPG6版の場合ですと、41ページの右下に老化の記載がありました。 こちらも新クトゥルフTRPG(7版)と同じ様に40歳以降10年ごとに一部の能力値が低下し、EDUだけ1づつ上がるようです。
Kei | |
2021/03/30 21:03[web全体で公開] |
😶 キャラクターは歳をとるとどうなるのか、というお話 ご機嫌よう。 長く同じキャラクターを使っていれば、当然歳をとりますね。そこで、今回はわたくしが所有するルールでは、老化がどのように表現されているか確認してみます。 あおもりの場合 年齢が能力値などに影響しないことが明記されています。書かれていないわけではなく、影響しないと書かれている数少ない例でしょうか。ただし、あおもりの設定では、人の寿命は短く、その最後に急速な老化があるとされています。 CoC7の場合 あまり意識している方はいらっしゃらないように思えますが、7版は一応ルールが明記されていて、40歳以降10年ごとに、一部の能力値が低下します(EDUだけが例外的に上昇します)。CoC5には年齢や老化に関する記述がないようですので、どこかのバージョンで追加されたのでしょうか。もしかしたらCoC6にも記述されていないのかしらん? サタスペの場合 老化のルール自体はありませんが、モンスターの一つとして「老人」が挙げられていて、興味深い記述があります。引退した(できた)亜侠の行末として演出に利用すると面白いかもしれませんね。 トンネルズ&トロールズ5版の場合 驚くべきことに、非常に初期のTRPGであるT&T5版にすら年齢に関する記述があります。ですが、ここには老化の影響のようなことは書かれておらず、単に「引退させなさい」と書いてあります。個人的な感想ですが、これはTRPG的なキャラクターの扱いとしてはとても正解に近い感じがします。 ネクロニカの場合 ドールには享年という概念がありますが、当然年齢と違います。ですが、この違いを利用してエモい演出とかができそうじゃありませんか? ネクロニカで、年齢が問題になるようなキャンペーン(ドールは享年の精神年齢を維持し続けます)というのも、もしかしたらアリかもしれないという気がします。当然のことながら、ルールには何も記載されていません。 パラノイア【トラブルシューターズ】の場合 トラブルシューターが老化するほど長生きすることはありません。トラブルシューターの寿命は長くても数日程度の単位で図られるものです。よろしいですね、市民。 個人的には、おじいちゃんやおばあちゃんがトラブルシューターになったら、という想像は楽しそうですし、試してみても……という気もするのですが、IRやRの市民がそんなに長生きすることはない、というのが正解でしょう。 V:tMの場合 もはや人間としての年齢には意味がありません。V:tMで意味があるので世代であって年齢ではなく、世代は選ぶことも変えることもできません。 WoDの他のシリーズも、老化に関する記述はないようです。 Bローズの場合 35歳以降、誕生日のたびにダメージを受けます。ただし、このダメージは通常のダメージ表現と同じです。ですので、普通に回復可能です。Bローズ大好きっ子として強く主張しますが、こんなルールは使う必要がありません。それよりもBローズで大事なのは、不思議が不思議であることです。 メガトラベラーの場合 34歳以降4年ごとに特徴(基本能力値)が減少します。ただし、抗老化剤を使うことによって影響を抑えることができます。抗老化剤を使用する場合、抗老化剤が入手できなくなると、老化の影響を一気に受ける場合があります。 指輪物語ロールプレイングの場合 (ルールブックを読む気になれませんでしたので省略します) ルーンクエストの場合 40歳を超えると、毎年ダイスロールの結果によって0〜4つの基本能力値の値が低下します。その一方で、50歳を超えるような達人のプレイも楽しいと示唆されていたりいます。この辺は、技能制ならではのキャラクターの表現でしょうか。このルールは最新のRuneQuest: Gloranthaにも受け継がれています。
Kei | |
2021/03/28 21:00[web全体で公開] |
😶 ルールブック再読:指輪物語ロールプレイング ご機嫌よう。 ルールブックを改めて読んでみるシリーズ、三回目の今回は何にするかとても迷ったのですが、「指輪物語ロールプレイング(以下MERP)」を選びました。こちらは、TRPGに飢えていたTRPG歴のごく初期の頃に購入したもので、碌に読んでいないということはございません。ただ、遊んだことはないかしら。CD&Dのいわゆる赤箱と迷いに迷ったことを覚えていますが、当時指輪物語を読破して意識高い系を自称していたわたくしは、最終的にMERPを選んだのでした。 ともあれ、MERPはロールマスターというRPGのサブセットで、指輪物語の背景世界「中つ国」を舞台にしたものですが、なんとこの箱の中には中つ国の設定とかは何も入っていません。このことは当時のわたくしを大いに落胆させたものでした。それでいて、種族や文化や言語など、中つ国用語が何の説明もなく使われます。 また、最初期の翻訳TRPGの一つらしい点として、訳語が妙に堅苦しいところがあったりします。記述も散らかっていますし、その上平板です。いまどきのルールブックを見ると、ルールブックって進化したのねって思います。前回読みにくい読みにくいと書いたM:tAでさえ、表現力に溢れた記述に感心します(良い意味での感心ですよ)。というか、本当に、指輪物語を感じさせるような記述が、何一つとしてありません。 まあね、でもこれは、当時の「スタートセット」の類にはよくあることでした。わたくしの大好きなルーンクエストだって、スタートセットには世界の記述なんて何一つありませんでしたし。 ルール的な特徴は、やたらたくさんの表と、無限ロールかしら。無限ロールはd100の結果によって更にd100を足したり引いたりするものですが、正直、必要性が良く分かりません。キャラクターの表現は一見技能制っぽくなっていますが、d100に技能値に更にあれやこれやのボーナスやらを足して、更に使った技能やら何やらによって違う表を参照して成功度合いやら何やらを求めるという……とにかく常に表を使うものですから、表は別冊になっています。BRPのような技能制システムと比べて非常に散らかった印象があります。原理的に、技能がなくてもd100の出目が良ければ成功するものは成功するように見えます。 あと表の見所は痛打表かしら。見方によってはユーモラスに書かれていると申しますか、まあ楽しいものでしょう。 あとは……そうねえ、呪文の説明がびっくりするくらいに簡潔だったりとか。数はまあそれなりに用意されていますけれど。何ていうか、ゲーム的なものばかりです。中つ国っぽさは感じません。 そして。モンスターデータです。倒すべき敵としてのモンスターのデータさえ、一見、このルールには(数値的には)書いていないように見えます。実際には表があるのですが、文章と表は互いに全く無関係かのように存在しています。参照すべきページのリンクすらなく、一方には説明だけ、一方には数値だけが書いてあります。それでいて説明の中に脈絡なくボーナス値が書いてあったりして、とにかく散らかっているという印象を受けます。 正直、このルールに魅力を感じて遊びたいと思うかと問われると……難しいですね。あの時赤箱を買えばよかったのに、というのが偽らざる思いです。
wpeke⇒Kei | |
2021/03/27 22:28[web全体で公開] |
> 日記:灰色城綺譚、または我らが王の身罷りてで学ぶナラティブ入門のお話 ナラティブ系のお話と、TRPGの流れのお話は簡潔ながらすごく納得のいく内容でした。 最近のシステムは ナラティブの長所を活かしてGMの負担を減らしつつPLが何をしたらいいかわからない ということも防ぐデザイナーの工夫が見られる作品も多くて、この趣味を続けていてよかったな~ と思うことしきりでございます。
Kei | |
2021/03/27 21:47[web全体で公開] |
😶 灰色城綺譚、または我らが王の身罷りてで学ぶナラティブ入門のお話 ご機嫌よう。 TRPGの中には、ナラティブ系と言われるジャンルがあります。想像ですが、ナラティブ系のシステムやシナリオって、初めて触れる方には、どうしていいか分からなかったり、うまくいくとは思えなかったりするのかと思います。わたくしも、かつてナラティブ系のシステムに初めて触れた時、それはレディ・ブラックバードやワンダー・ローズ・トゥ・ロードだったりしたのですが、どうしたらいいのか分かりませんでした。もしくは、WoDやヒーローウォーズのような初期のナラティブ系と言われるシステムでの、ナラティブなお話の作り方が分かりませんでした。 ですが、ナラティブ系TRPGって、遊び方さえ分かってしまえば、楽しいです。そこで、今回は、ナラティブ系TRPGに入門する二つの方法を紹介しましょう。 一つ目は「灰色城綺譚」です。 「灰色城綺譚」はGMが必要でPLが3人限定(シナリオも必要)というところが若干プレイの障害になるかもしれません。ですが、システムも付属のシナリオも大変に良く、機会があれば是非お試しいただければと存じます。 「灰色城綺譚」では、開始時にスタート時点での状況と、ハンドアウトが二つ(3つの場合もあります)与えられます。これは厳密にはルールではないのですが、約束として、PLはプレイ中にハンドアウトを自ら公開することが求められます。 一方で、ルール的には、PCやシナリオの舞台は、良い感情と悪い感情で表現されます。そして、悪い感情が勝ちやすいようになっています。それをどのように表現するかは、PLに任されます。 シナリオ中に提示された謎に回答が与えられることもありません。 それでもお話はRPによって進行しますし、PLがどのような過程でハンドアウトを公開するのか、場面にどれくらい悪意が進行しているのかによって、お話の流れは変わります。ハンドアウトや謎のような要素はGMが意図した物語上のギミックとも言えますが、それが、どのように物語に作用するのかは、PLに委ねられています。 そして二つ目は、いままさにわたくしたちも遊んでいるのですが「我らが王の身罷りて」を挙げます。 「我らが王の身罷りて」はGM不要です。PLは3〜5人。シナリオも必要ありません。おそらく、他の(ナラティブでない)TRPGに慣れている方には、ルールを読んでもよく分からないかもしれません。ルールブックにはTRPG的なルールは書かれていません。けれど、それでも必要なことは全てルールに書かれています。 それではルールには何が書いてあるのかというと、ゲームスタート時の状況と、何ができるのかという選択肢が与えられています。あとは一応の勝利条件も。PLは順番に選択肢を選んで、シーンの描写や演出やRPを行います。ルールに反せず、選択肢に矛盾しない限り、他のPLと相談しても構いませんし、どんな風に描写や演出やRPをしても構いません。 PCが置かれている状況や、時には意志さえも、他のPLに委ねられる面もあります。そういった状況の積み重ねが、物語になります。 これは、わかりやすく表現すれば、「我らが王の身罷りて」というシステムとシナリオが一体になったTRPGを、何度でも、そう、何度でも遊べるように構成されたものです。先日、同じシナリオを複数回遊ぶという話題がありましたが、それとも違います。物語が進行するためのギミックとしてのネタバレは、ここにはありません。というか、同じ物語にはなりません。物語が進行するギミック要素があるとしたら、それは、GMが意図するものではなく、PLの同意によって形作られるものです。 同じシナリオでもPLのRPによって違う物語になる、と感じる方もいらっしゃるかもしれませんね。そういう方にも、お試しいただきたいです。同じ物語にはならないって、どういう意味なのか。 物語の物語らしさって、一体何によって生まれるのでしょう。 非常に初期のTRPGでは、それは、ルールの運用によって偶然生まれるかもしれない程度のものでした。TRPGのルールは、物語性とは無関係のところにありました。それから、世界がやってきました。たくさんの、いまにも物語を紡ぎ出しそうな世界が描かれました。次にやってきたのは、物語を紡ぎ出しそうな特定の状況を描くルールでした。けれど、そこにあるのはあくまでルールや設定であって、物語ではありませんでした。 ナラティブ系TRPGって、結局のところ、TRPGが物語を紡ぎ出す仕組みの一つです。時にゲームマスターやシナリオがなくても、特定の範囲の物語を紡ぎ出すことはできるし、そうして紡ぎ出された物語も十分に面白いものです。
聖岳生馬⇒Kei | |
2021/03/23 18:27[web全体で公開] |
> 日記:改変しないで遊ぶシナリオ、あるいは、かつてのダンジョンのお話 「人類がやっと火の起こし方を発見した頃」にはTRPGはまだねぇですよっ!? それはともかくw 「改変せずに遊んだ」とは言っていますが、かって我々が公式から購入し、また自作したシナリオからシナリオそのものも進歩しているようですし、ユーザーも進化していると感じます。 もちろん、今のTRPGのやり方が最終的な形ではないでしょうから、ここからもまたいろいろな遊び方が増えていくんじゃないかな~と思います。
鏑矢⇒Kei | |
2021/03/23 18:07[web全体で公開] |
> 日記:改変しないで遊ぶシナリオ、あるいは、かつてのダンジョンのお話 個人的には、改変しないで遊ぶ事を好む人たちって、TRPGのセッションをアニメや小説を読むようなものだとどこかで思ってるんだと思います。 てゆーか、そう感じました。 だから、回すとか、回せるとかそう言い方になるんですよね。
haruichikogenosuke21⇒Kei | |
2021/03/23 17:33[web全体で公開] |
> 日記:改変しないで遊ぶシナリオ、あるいは、かつてのダンジョンのお話 コメント失礼します……。 あの、なんというか、こうぐっときまして。 文章も綺麗で読みやすいし、表現が的確で一気に遠い時代を思い出しました。 ダンジョンを走破。そうでしたね。探索はあっても、ダンジョンに潜るための準備してでしたね。なんだか懐かしい。 なんだかよくわからないけど、ぎゅうって、泣きそうになりました。 選ばなかった可能性って、いいですね。すごく、素敵です!
Kei | |
2021/03/23 17:22[web全体で公開] |
😶 改変しないで遊ぶシナリオ、あるいは、かつてのダンジョンのお話 ご機嫌よう。 わたくし歴だけは無駄に長いというか古いので、久しぶりの老害昔話シリーズです。いまの一部の?TRPGプレイヤーの間では、シナリオを改変せずに遊ぶことが好まれているらしい、というお話から思ったことです。 はるか大昔、人類がやっと火の起こし方を発見した頃には、インターネットはまだありませんでした。TRPGの流通自体もものすごく限られていましたし(当時は書籍流通ではありませんでした)、シナリオなんてほとんど流通していませんでした。TRPG専門のサポート雑誌もまだなく、他のゲームの記事に混じって、リプレイやシナリオ、マスタリング論などのページがわずかに存在する程度でした。TRPGについて得られる情報は、それだけでした。 その頃のTRPGがどんなだったかというと、ロードス島戦記の影響でファンタジー(というかCD&D)一強で、誰もがロードス島みたいなプレイをしたいと思っていたものでした。一部の意識高い系の人々は指輪物語を熱心に読んでいたりもしました。ファイティング・ファンタジーのようなゲームブックもTRPGを学ぶ題材となりました。 そこで当時のシナリオがどんなだったかというと、概ねダンジョンハック一択でした。背景世界などというものは、架空の地図一枚で表現されるようなものでした。世界と物語は分裂していました。というか、別の言い方をすると、世界というものは物語の都合で書かれた一枚の地図でした。その物語さえも、悪い魔法使いなり魔王なり何なりを倒すとか、その程度のものでしたし、シナリオとしての表現は、結局のところ、ダンジョンに潜ってモンスターを倒して宝物を得る、そのラスボスとして悪い魔法使いなり魔王なりがいるというもので、キャンペーンだって、例えば全10話のキャンペーンだとしたら、10個のダンジョンに潜って、そのどこかで伝説の剣とかの類を入手して、10個目にラスボスがいるという程度のものでした。 そう、結局のところ、ダンジョンシナリオ以外のシナリオがどんなものなのか想像できなかったんです。ルール表現も、概ねダンジョンでモンスターと戦うことを主眼としていました。でも、それでも十分に楽しかったです。たくさんのダンジョンを走破しました(道半ばでロストすることもたくさんありました)。ですが、やがて、グローランサやユルセルームといった素敵な世界に触れて、興味はダンジョンの外に移りました。 これは想像なのですが、「改変せずに遊んだ」通過シナリオとか回せるシナリオとかという概念は、わたくしたちがTRPG歴の初期に経験したダンジョンと同じものじゃないかしら。もちろん、ダンジョンの外がこんなに楽しいと気づくようなことが起こって欲しいです。けれど、ダンジョンをどんどん進化させる人がいてもいいし、その結果、わたくしが思うTRPGとはかけ離れたものになったとしても、それは、わたくしが選ばなかった可能性なんだな、という気持ちです。
Kei | |
2021/03/22 21:35[web全体で公開] |
😶 ルールブック再読:Mage: the Ascension ご機嫌よう。 遊んでいない、それどころか碌に読んでさえいないルールブックを改めて読むシリーズ、二回目はアトリエサードから翻訳・刊行されていた旧ワールド・オブ・ダークネス(以下WoD)シリーズの「メイジ:ジ・アセンション(以下M:tA)」を選びました。たぶん絶版かしら? このルールブック、どうしてちゃんと読んでいなかったのかというと、ものすごく読みにくいからです。M:tAに限らず、アトリエサードのWoDシリーズは全般的に読みにくいのですが、M:tAの読みにくさはずば抜けています。噂によると、そもそも原書が読みにくく(本国でも執筆者が最初から最後まで酩酊して書いたと評されているとか?)、その雰囲気を最大限残しているらしいのですが……専門用語のオンパレード、一般的でない用語や言い回し、回りくどい記述などに読解力と精神力が試されます。事実、購入したのはまだTRPGから一旦離れる前だったのですが、読むのを諦めたのでプレイしていないのでした。装丁やデザインはいいのですけれど。 ものすごく読みにくいので、順を追って読んでいくことは諦めても良いかと思います。今回わたくしは、詳細なリストなどは飛ばしてあちこちのページを行ったり来たりしつつ、気になる記述を拾うような読み方で読みました。 それで、どんなゲームかと申しますと。 現代世界で突如魔法に目覚めてしまったらどうしますか? それまで信じていた物理法則やら科学やらといったものは世界の見方の一つにすぎず、それとは別の、魔法という側面に気付いてしまったら。困ったことに世界は魔法を否定する仕組みで満ちていて、それゆえに簡単には魔法を使うことができず、しかし、魔法を使わずにはいられない……。来るべき科学との戦争を前に、魔術師として覚醒できるでしょうか?! というような世界観で、見直してみるとシステム自体は軽いですね(10面をじゃらじゃら大量に振って、成功の出目が幾つあるかというシステムです)。ですが、くっついている設定が重いです。世界から魔法が失われていった歴史、それでも残る魔法が使える人々の派閥、歴史や派閥によって形成された制限、そして魔法を使ったり使わなかったりすることで起こる葛藤、などなど。 あと、このシステムは原理的に、魔法には限界がありません。Aという呪文がBという効果と対応している、もちろんルールブックにはそう記述されている魔法みたいなもの?もあるのですが、魔法はそれには限られません。ただし、どうしてその魔法が動作するのかはプレイヤーが説明しなければなりませんし、システム的に魔法が成功するかどうかも別問題です。偶然に見せかけた小さなことを起こすのが精一杯というか。これは結構厳しい条件に思えます。一方で、判定のためのルールは確かにあるのですが、魔法の描写はナラティブだとも言えます。WoDシリーズが初期のナラティブ系TRPGと言われるのも、なるほどという感じがします。 世界観は大好きです。ただ、わたくしがイメージするM:tAは一般的なM:tAではないような気がします。例えば、事件を解決するには魔法が必要で、どうにかして資源を管理してその魔法を実現する……というようなことがしたいとは、思わないんですよね。それよりも、圧倒的絶望の中で魔法を使わないわけにはいかない状況に追い込んで、でも、魔法を使うから更に状況が悪くなる、それってルールブックのサイドストーリーに書かれていることですが、そういうお話をしてみたいな、と思います。
Kei | |
2021/03/21 21:27[web全体で公開] |
😶 ルールブック再読:パラノイア【インターナルセキュリティ】(セキュリティクリアランス紫外のため畳みます (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)
Kei | |
2021/03/19 23:38[web全体で公開] |
😶 我らが王の身罷りて、楽しいですわっ ご機嫌よう。 前々からずっと遊びたいと思っていた「我らが王の身罷りて」のセッションができました! といっても、PLの方々が「ナラティブ……?」「なんのこと……?」という感じでしたので、GMレスのシステムではありますが、わたくしはPLとしては参加せずにファシリテーションに徹することにいたしました。スムーズに進行できていたら良かったです。 「我らが王の身罷りて」はオンセンではとんと見かけませんので軽く紹介しますと、中世のとある王国で王が後継者を指名することなく逝去し、有力な貴族が王座をめぐって陰謀や争いを繰り広げるというナラティブTRPGで、PCは各家の公子・公女になります。手番制で、PLとしての選択肢はルールから選び、お話が繋がるように演出やRPをしていきます。陰謀を張り巡らせることも、武力で王座を目指すこともできます。PCは王座に興味がなくても構いません。愛を誓い合ったのに家同士の争いで否応なく引き裂かれるというような展開だって可能です。友を裏切ることや敵と恋に落ちることもあります。王座を手にしてもその後倒されてしまうというエンディングもあり得ます。 これがホンの2〜3時間でできるというのも素敵なところです。また、準備も不要で、ルールブックを配ったら即開始できます(身内でのルールのコピーはライセンスで認められています)。 今回は体調の優れない方がいらっしゃって、最後まではプレイできませんでしたが、冒頭から婚約させられるPCがいたりして、見ているだけでも楽しかったですわ! わたくしもPLやりたいって強く思いました。次回以降の展開が楽しみですっ。
Kei⇒しおんぬ | |
2021/03/13 16:32[web全体で公開] |
しおんぬ様、ご機嫌よう。 「遊んでみたかったら声をかけていいですよ」なるほどって思いました。そして「これをGMするので、代わりにこちらをGMお願いします」っていうこともあるのですねっ。 勉強になりました。ありがとう存じます。
しおんぬ⇒Kei | |
2021/03/13 00:08[web全体で公開] |
> 日記:回せるシナリオって何でしょうか? はじめまして。 回せるシナリオを公開してる方は、このシナリオならGMできるからもし遊んでみたかったら声をかけていいですよ、という方が多いのではないかと思います。 最近は有名な同人シナリオなども増えていますし、これをGMするので、代わりにこちらをGMお願いします、というやり取りもよく見かけます。 もしくは好きなシナリオの傾向が見えたり、どれくらい難しいシナリオを処理できるのかの目安にもなるかもしれません。 個人的には同じシナリオを何度も回すのが好きです。 それは参加するメンバーによって毎回違う物語になるからです。 わたしは好きな本を何度も読み返すタイプなのですが、それに少し似ています。 毎回違う発見があったりしますし、大好きなNPCに何度も会えたりするのが嬉しかったりします。 この辺りは人それぞれの感覚ではないかなと思います。
Kei | |
2021/03/12 23:17[web全体で公開] |
😶 回せるシナリオって何でしょうか? ご機嫌よう。 TRPG復帰してからずっとずっと疑問に思っていたことなのですが、よく、GMとしての自己紹介に「回せるシナリオ」というのを見かけるのですが、これってなんでしょう? いえ、わたくしだって、これでどうしろと言うんでしょう? これでプレイするのは無理なのでは? と思ったシナリオやシステムはございます。例えばレディ・ブラックバードを初めて目にした時ですとか。そんなレディ・ブラックバードも、いま見直したら、面白そう、遊びたいって思いますけれど、そう思えるようになったのはレディ・ブラックバードを何回も読み込んで遊んで研究したから、ではなくって(実際に遊んだことはございませんし、それどころか一度だって通して読んでもいません)、いろいろなシステムやシナリオに触れたからです。 回せるシナリオを書かれる方は、どんな気持ちで書いているんでしょうか。たぶんですが、そう書かれる方々の多くが見出しているGMの楽しさって、わたくしがGM楽しいと思うのとは違うことを楽しんでいらっしゃるのかと思っていますの。それを知ることができたらなって。 わたくしは(古いタイプのGMですので)、基本オリジナルシナリオしかプレイしませんし、同じシナリオは二度とプレイしません。オリジナルしかプレイしないのはプレイヤーが何を経験しているのか把握するのが不可能だからで、同じシナリオを二度とプレイしないのは、ズバリ楽しくないからです。プレイの回数が減ったとしても、新しいシナリオ、新しいギミック、新しいストーリーやドラマを考えて、それをPLに楽しかったといってもらえる方が、ずっとずっと楽しいからです。たとえ失敗の方が数が多いとしても。