> 日記:『永久』ロストからいろいろ考えてみた。(自分語りもどきの上無駄に長いの畳みます) 一個人の意見として、一個人の発言をさせて頂くと、凄く良い考えを持ってるなーと感じました。(小並感) 結局CoCはルールによる自由裁量を突き詰めたものであると思ってるので、KPに裁量を任せる一方で、自分の世界観やルール、意見を持つのは『遊び』として当然の権利だと思ってます。(わざわざ自分から窮屈になる必要性を『遊び』に感じてません。) その上で私は気に入らないPLはブロックするし、気に入らないKPの卓には行きません。仕事ではないので、自分の遊びの自由が許す限りで好き勝手にやります。 勿論その中でもマナーは守るし、他人がマナー違反をすれば怒ります。それはKPPLを問いません。そして致命的に合わなければ当然ブロックします。 私はそれで困った事はないし、誰かが困るとは思いません。気に入らない場所で我慢する必要は、このネット社会に置いて、特に『遊び』に置いてはないと思いますから。 意見を持った上で気に入らない人を避ければ幸せになれますので、やつむさんの様に自分の意見を持つ方は素晴らしいと思います
😶 『永久』ロストからいろいろ考えてみた。(自分語りもどきの上無駄に長いの畳みます) (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼) クトゥルフ神話TRPGをするようになってから時折見かけるようになった『永久ロスト』。TRPGプレイヤーとして駆け出しのころは「『永久ロスト』とは何ぞや?」と思っていましたが近頃はそれが何か分かるようになってきました。私はこれを『ロスト救済』の禁止ということに当たるのだと解釈しています。ではお次に『ロスト救済』というのは何か。これを『肉体的及び精神的な終わり(ロスト)を迎えた探索者をもう一度生き返らせること』と仮に定義します。まあいうところの『蘇り』という奴ですね。 現在、クトゥルフ神話TRPGにおいてこの『ロスト』についてもめることがあると耳にしました。そこで一プレイヤーの考えをつらつらと綴っていこうと思います(ぶっちゃけ今暇なので)。 ぶっちゃけクトゥルフ神話TRPGにおいて『ロスト』の扱いはどうなっているのかと『ロスト』について考える前にまずルルブを確認してみました。肉体的なロストについては特に特筆する記述はありませんでした(探し方が下手なのかもしれません)が、精神的なロスト(永久的狂気)については要約すると「通常ではもうゲームをプレイすることが出来なくなるが、永久的な狂気の時間はKPの裁量に任されている」という記述がみられました。精神療養所に入ることで精神がある程度回復する可能性もあるということですね(ただしルルブではラヴクラフトの作品に乗っ取り「一生涯回復することはない可能性もある」ということも書かれています)。しかしそれと同時に「プレイヤーはそう言う特別扱いを当然の権利として期待するべきではない」と最後にきちんと書かれていました。つまりは「KPの裁量にきちんと従え」ということのようです。 ただこれは私も含めなのですが、今のいろんなKPさんの元でシナリオに参加する『ノラ卓』という状況だと結構難しいところがあります。身内卓のように決まったKPがいない限りPCをどうするかはPLが決めることがどうしても多くなり、KPの裁量から外れてしまうことが普通に起こるからです。初めからKPが「自分の卓以外にそのPCを参加させないでね」と言えればいいのかもしれませんが、それこそそれはKPの裁量です。そう言う制限をかける人もいればそうでない人もいます。それを強制するのは反発を生み出す結果になるかもしれませんのでここではこれ以上は言及しません。 ではルールから見た『ロスト』を確認したところで、PLから見たPCの扱いを考えていきます。ぶっちゃけこれは本当に千差万別と言っていいでしょう。私が今まであったPLさんたちからの傾向を見てみると大きく分けると「ゲームを楽しむためにPCを創る人」と「PCに設定をしっかり練り込んでまるで生きているかのように考える人」の2タイプになるのかなと考えます。前者は割とロストしても「このPCが華々しく散ってくれればいいし、ロマンが溢れればなおいい」と良くも悪くもシナリオに殉じる傾向があるのかなと思います(すみません、私の独断と偏見です)。ただ後者になるとPCに感情移入をしてしまい「もっとうちの子で探索してあげたい」という考えになるのだと思います。そこで生まれてきたのが『ロスト救済』というシナリオ文化なのだと考えます。 ところがシナリオの設定上やKPの裁量の結果として「こいつ(PC)はどうあがいても復活できない」という状況が起こり得ます。そこで復活したらシナリオの根幹が崩れてしまう、設定が崩壊してしまうなどという時に『永久ロスト』という風に定義づけをするのだと思います。 ここで揉めるのがそのPCを継続して使いたいと思っているPLが自分のPCの復活の可能性をゼロにされることです。「まだ探索させたかった」「もっと生かしてあげたかった」「『永久ロスト』があると分かっていたならこのPCで参加させなかった(たぶんこれが一番多い)」とやりきれない怒りがKPへの不信感になり人間関係(大げさかもしれませんが)にひびが入るというのが私の耳にしてきた話でした。 ここからは完全に私の考えなので「こんな奴もいるんだ―」と軽く流していただけると幸いです。誹謗中傷は勘弁していただきたい。 ぶっちゃけクトゥルフ神話TRPGのシステムというのは長く継続探索者を使うという設定で作られていないと思うのです。ほかのTRPGのシステム(例えばS.Wのようなレベルアップ系の上に死亡した後のPCの復活の扱いまでルルブに書いてある)から見ると「無理してるなー」というのが本音です。何度も同じPCを使っていればSAN値は減る(はずだ)し、クトゥルフ神話技能という確実にPCの精神的耐久を削って来る技能まであります。継続ってムリゲーなのではとルルブを読むと思えてきます(ただしなぜかSAN値がほとんど減らないうちのゴリラPCたちもいるので完全否定はしません)。 ただPCに思い入れがあるというのも分かります。私も使っていく内に愛着の湧くPCがわずかながらいます(私は基本的にシナリオが面白ければPCの結果にはあまりこだわらないタイプなのであしからず)ので、我が子同然のPCを失えばショックも大きいというのは理解できます。ですがKP(特にシナリオに凝るタイプ)からしたら「PCはロストすることもあるという前提でゲームをしているのに……」と理不尽な怒りや困惑が浮かぶことでしょう。狂気も危険もないクトゥルフ神話TRPGはもはや別ゲーと言いたくなるKPもいるでしょう。 個人的にはギミックなんかが解けずにやけっぱちになるのもPCが生きてるみたいで嫌いではないのでロスト覚悟で暴れまわるのも好きですが(他のPC/PLの迷惑にならない程度が頭につきます)、「ロストしても復活できるじゃん?」というノリで自分から生きることを放棄するプレイをするPLには(出会った事はありませんが)複雑な思いを抱きます。けれども救済系シナリオ(ロストのみならずSAN値回復シナリオや神話技能忘却シナリオも含む)の内容が面白そうなら参加してみたいという思いもありますので一概に「これはダメ!」という線引きが出来ない系PLだなと思います(別名:なんでも面白ければあり。たぶん一番面倒なタイプ)。 とにかくPL(PC)もKP(GM)もいろんなタイプの人がいるので、双方ともに地雷を踏まないようにある程度の自衛が必要なのだなと思います。例えばKPはシナリオ概要にロストの可能性(永久ロストも含め)を明言しておくこと、PLなら初めてのKPの卓に行くなら癖が分かるまで何が起きてもいいように残機用の新キャラを連れていく等やれることは色々とあるのではないかなと勝手に考えております。が、どれも勝手な自論なのでこれに倣う必要はありません。 ちなみに私の場合は思い入れのあるPCはNPCとして非公開でキャラシートを残し、「どこかの世界線(パラレルワールド)でこの子は生きている」と自分自身で折り合いをつけてからPCとしてのキャラクターを暴れさせています。たぶん相当少数派でしょうね。 せっかくのめぐりあわせで一緒に卓を囲んで遊ぶのですから、お互いが最後に「また会いましょう」と気持ちよく言えるような卓ゲライフを送りたいものです。
やりましょう! 宜しくお願い致します!
その日なら今のところは予定もないので何とかできそうです。私はその日で構いません。
こんこん(^ ^) 9月14日(土)13:00にセッションは可能でしょうか? もし可能ならセッションしようと思います。
お疲れ様です。 次のセッションの日程を決めたいので、TRPG温泉のスケジュールの更新をお願いします。 どうぞ宜しくお願いします。
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