愛善院さんの日記 最終page
愛善院さんが書いた日記の一覧を閲覧できます。
日記一覧
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2020/06/21 10:52[web全体で公開] |
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2020/06/20 21:44[web全体で公開] |
🤔 言語哲学 いわゆるソシュールの社会言語学とかで触れる内容。 シニフィアン(記)とシニフィエ(義)は恣意性により結び付く。それが、広域複数他者に約束されればラングとなり、己だけに理解がおよぶのならばパトロールとなる。 もとより恣意的(なんとなーく)な結び付きであるがゆえに、人間の本質から、言葉は常に遊離する。 たとえば冷たいものに触れるとき「冷たい」と頭の中で言語化すれば、それは肉体が冷たい刺激を受けたものを無理やり名前をつけて分類し、理解したつもりになるにすぎず、その冷たいの本質は確かに肉体が知覚したのであろうけれども、言語記号として置き換わってしまう。「さびしい」という記号ですら、自分自身の感情を、いちど言語に変換したもので、さびしい本質とはなんとなーくの関係しかない。 人間の脳は、世界を認識するために、いわば言語のフィルターを一枚へだてて物事をみていることになる。 …… これを逆転したもの、つまり、このフィルターを張り巡らせ、分厚くし、そのフィルター同士の接触点において芸術的なわざを成そうとするのが、社会科学と自然科学を除いた部分(文系哲学分野と芸術)であり、TRPGは、その上に為される妙技だ。 PCを作るとき、これはPLのフィルターをゲームに沿う形に、その世界に入るために、作り直す作業に他ならない。しかも、いつもとは違うフィルターを通している、ということを互いに知った上でやる。 旅の恥はかきすて、というが、TRPGに恥はない。なぜなら、いつもとは違うあなたであろうはずなのだから。
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2020/06/18 22:27[web全体で公開] |
😍 あ、オンセンでは初セッションか ありがたいことに、……奇跡的なことにと言い換えてもよかろう、初オンセンセッションでGM、しかも、オリジナルシステム(に近い状態)、わりとオリジナルシナリオ、という無茶なことをやって、無理ぐり成立させてしまったようだ。参加していただけるだけでもありがたいというのに、さすがは愛善院、その恩義に報いるほどの技量はなく、gdgd進行がすぎる。反省点は明確化して課題として処理するとして、すごいのは、その反省点が、やってみれば、つまり経験をひとつでも得ることができれば、かなり精度があがるということだ。一歩踏み出すだけで、なんと世界は推進力をもった希望と絶望的な課題に満ち満ちていることであろう。 それはそれとして、やはり、その瞬間、その場に居合わせた者にしか存在しない興奮は、最高だ。セッションの醍醐味のひとつだろう。一期一会。無限に近いあらゆる多岐選択のなかに、たったひとつの物語がうまれる。嬉しい。楽しい。 天使のラッパのようなにぎやかな音楽。 地獄の果てから響くよこしまな叫び声。 私は、確かにひとつの産声を聞いたのだ。忘れている自分自身がこの世に産まれた瞬間を目にしたような眩しさだ。私は、ただ泣き叫べばよかろうか。 そうだ、嬉しいんだ、胸の傷が、いたんでも。 この機会を、この出会いを、また、もちろん、ご参加にも、感謝を!
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2020/06/18 17:52[web全体で公開] |
😊 あなたなら? テキストでのロールプレイングの練習用 「あなたなら。どうする」 https://trpgsession.click/session-detail.php?s=159229965566pentagram3672 本日19時よりまわします。 まだお席に余裕がございますれば、どなたさまもご検討に加えていただけますとしあわせに存じます
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2020/06/17 01:52[web全体で公開] |
🤔 ロールプレイングのテクニックを鍛える 私は6歳からオネエ言葉(当時はオカマ言葉)を使いこなす、ある種の天才であったので、ロールプレイングに特別な才能が必要だと感じたことがなかったのだが、歳をとって、若手たちからの相談を受けていくと、おそらく、身につける必要がなかった人にとっては結構なハードルなのだろうということが伺い知れる。 一番簡単にロールプレイングを成立させるには、「真似をしやすい他者」を念頭に置いておくことだと感じる。究極的には、憑依術とよばれるテクニックだ。 描きやすい極端な属性があると、これはやりやすい。 ジジイ、ババア、オカマ、お嬢様、、この辺は、ステレオタイプでもかまわないのでかなり楽だ。 故・志村けん師匠が、自分自身でもっとも気に入っているキャラクターは「ひとみ婆さん」だという。そしてまた、このひとみ婆さんには、現実にモデルがいたこともまた有名な話。 極端な属性を己のなかに取り込んだうえで、スイッチを切り替えるように、その別人になりきる。そのキャラクターを、憑依させる。己の表現の力のおよぶ限り、自分の知るそれを、再現してみる。 観察→真似のしやすい極端な属性の把握→表現・再現 漫画などのキャラクターでもよいし、身近にいるウザい教師とか、憧れの人とかでもかまわない。このサイクルを何回かやっていくと、中途半端な属性、自分で作り出したごく普通の凡人であろうとも、キャラクターとして、いわゆる「キャラ立ち」する状態で演出することができる。……はずだ。
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2020/06/16 17:54[web全体で公開] |
😆 ふむ、RP練習会、というのはどうかな? あなたの頭のなかにあるPCがいかなるものであるか描写するときに必要なものは何か? それは、ある種の、神の視点。神話でいえば「アメノウズメのトランス」 この神の視点は、仮面の奥から物事を見つめる。あなたは、いま、あなたではない。あなたはいま、二つに分離した。 すなわち、あなたに対する人が見ている「仮面としてのあなた(PC)」と、その仮面がいかなる存在であるか「表現や操作をするあなた(PL)」である。しかし、そのどちらもに、本当のあなたは存在しているし、同時に、そのどちらも、本当のあなた自身ではない。 本気でこれに打ち込むとき、ふわりと、何か違う自分をみつけ、また、また、もっとも素直な自分に出会うことがある。 その名状しがたきものとの出会いが、永遠を瞬間にさせ、瞬間を永遠にする、極めて狂気に満ちた充足であることを知るものは、少なくないであろう。
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2020/04/18 00:02[web全体で公開] |
🤢 生理的に無理、というか、断続的san値減少 オフラインのセッションにおいて、貧乏ゆすりをするPLを、皆さまにおかれては、いかに考えるだろうか。 リアルの精神分析や心理学からいえば「能動的な思考活動への集中による無意識行動」なのだが、一方で、貧乏ゆすりをしなくても、飛び抜けた思考力を発揮したり、抜群の集中力を平然とやってのける人々は少なくないし、また、テーブルゲームのプレイヤーに限っていえば、そちらのほうが多かろうと感じる。 貧乏ゆすりというのは、本人は集中できる状態を作っているのではあろうけれど、他の人間の集中力はことごとく奪う。まして、貧乏ゆすりというのは、本人が無自覚であるから始末が悪い。罪の意識のない罪を周囲に撒き散らす。 テーブルに、混沌が這いずりまわる。 同席する【PLたちが】殺人衝動を起こさずにセッションをこなしていくためには、本人に明確に「汝、自身を知れ」を実践させるか、卓からそのニャルを追放するか、くらいしか手がないようにも思われ、本質的には、卓主としての最も鬱陶しい業務である……。
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2020/04/14 21:56[web全体で公開] |
😆 1番最初のTRPGの思い出 作家仲間と、平成の中頃にやったのが初めてだった気がする。mixiの全盛期より少し前か。オンラインセッションといえばそうなるが、顔文字もさほど発達しきっていないころの無料チャットであった。 システム的にはクトゥルフであったろうが、ほとんど数値やダイスというものを介在させなかった。 行動が成功するか否かは、その行動がPCのキャラクター性として合致している、GMが納得や感心・感動する、ストーリーとしてメリハリがでる、などの極めて曖昧模糊な基準であり、つむがれた物語は、GMとPLたちが共同で成し遂げた豊かな感覚で満ちあふれていた。 いまにして思えば、GMがPLたち全員に、主人公の感覚をもたらしながら導いていたことが大きいかもしれず、またPLたちもそれに応えるように、それぞれが主人公として、己の作り出したPCをその物語のなかにきちんと息づかせて存立させたことも小さくはあるまい。 その機会をのがせば2度と体験することができはしない、最高の一瞬が、今日も明日も、刻まれていくように。そうありたい、そうなりたい。