温森おかゆ(まんじゅう)さんの日記を全て見る
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😶 どのような人になりたいか 話はそもそも「オルクス」とかいうシンドロームの話に戻るが。 「領域の王」とかいう半端じゃなくフワッとしてかつ包括的でなんとなくカッコイイフレーバーは最高ではないか、という話だ。 そりゃあダブルクロスは「THE☆中二病」なシステムなので、大体全部のフレーバーテキストがカッコイイ。「光の使い手」やら「電撃の王、鋼の使徒」やら「闇を支配する魔眼」やらその中二病感となんとなく沸き立つカッコよさに関しては甲乙つけがたい。 だがオルクスに限った話だと単純に「“領域”の王」一言で片づけられている。 これがかっこいい。言葉は要らない。この一言で説明できるという確固たる自信を感じるし、むしろ「これ以外の言葉で語れるものがない」というそこはかとない諦観も見え隠れしている。 オルクス特有の「自分を含めた“領域”っていうなんかフワっとした範囲内なら周囲の地形も空気もなんなら事象まで改ざんするよー」みたいなフワッとした感じがそれはもうにじみ出ている。オルクスにしてこのテキストあり。寧ろ今更これ以外考えられないのではないだろうか。 あと、エフェクトアーカイブに書いてあるオルクスの説明もなんとなくフワッとしている。「空間に散らばった“因子”を介して、その取りついたものを自在に操る」らしい。シンプルにわけがわからない。 エフェクトを見ても、やっぱりわけがわからない。地形を操って敵を妨害したり味方を守ってみたり、かと思えば瞬間移動して敵の首をへし折りに行ったり、ダイスの出目とかいう運命を強制クリティカルにしてみたり、そもそもダメージを受ける運命を交換したり、動植物(果ては乗り物まで)を意のままに操り始めたり、しまいにゃ相手に「この行動して♡」と洗脳かけたりと割とやりたい放題もいいとこである。 というわけで、オルクスは因果律に干渉して俺ツエーしたいあなたにはとてもおすすめのシンドロームだ。 閑話休題。 論語には、 「老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん」 という言葉がある。 「老人には安心され、友人には信頼され、若者には慕われること」 という、意味である。 これはこの言葉を言った孔子という人物が、弟子たちに「先生の理想の人物像をお聞かせください」と言われた際に言った言葉だそうだ。 これが紀元前4,500年前の人間の言葉とは、いやはや恐れ入る。実際このような人間が数千年の後、つまり現代にいるかと考えてみればなおのこと恐れ入る。人間とは悲しいかな、思った以上に学ばない動物のようである。 考えてみればごちゃごちゃ考えなくても、老人には安心されて、友人には信頼されて、若者には慕われる。そう言う人物であれば、確かに他に何もいらないだろう。 単純明快な基準である。 上記の言葉の前に、孔子は弟子たちに「各人の志を言ってごらん」と促しているという描写がある。それを受けた弟子たちは、言われた通り、各々の志を先生に語ってみせる。 ある弟子は「車や馬、衣や外套などの資産を友と分かち合い、友が衣を破っても恨み言を言わないことです」 ある弟子は「善を行っても誇ることなく、人に苦労を掛けないことです」……と、語る。 一旦習って、私たちもどういった人物になりたいかを考えてみるとしよう。 私はもう少し甘い人間であるから、孔子の弟子ほど志高いことは言えそうにない。 「ただ『ごめんなさい』『ありがとう』が常に誠実に言えて、どんな時もまっすぐで正直な言葉を用いたい」……おやおや、やけに背伸びしてしまった。 弟子たちも今の私のように、師匠に「自分の理想、志は?」と問われて、このように妙に肩肘張ったというか、背伸びしたことを言ったのだろうと夢想している。 実際自分の理想、となると、肩肘張るというか、なんとなく背伸びしてみたくなるものだ。 このような話を聞いた孔子は、後に弟子に聞き返されて、「老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん」と、簡潔に返したのだという。 弟子たちはこの師の言葉を聞いて、一体何を思っただろう。 数千年の後にまでこの一連の出来事が残されて伝わっているところを見るに──当時の弟子の感動が偲ばれる。 「老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん」 …………人としてはこうでありたいものだと、私も深く頷く言葉だ。
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