哀咲さんの日記 「アンノドミニ」

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哀咲
哀咲日記
2018/03/15 05:35[web全体で公開]
😶 アンノドミニ
いきなりなんじゃいそんな単語はって感じですね。はい、数日ぶりに呟きに来ました。
まあ言ってしまえば、欧州で言う「西暦」の意のラテン語、常用される記号、「AD」です。Anno Dominiと綴るそうですが、これまた考えるものだなと。「主の年」という意味合いらしいです。Dominiの方は、domus(家)の変形にあたり、第二変化形dominusは1、家長 2、ローマ皇帝、そして3にキリスト教における「主」を差すとか?まあ自分は語学は駄目なほうなのでへーふーんなんですけれども、やはり由来というものは面白いものです。せやな!!ってなる。
それは置いておいて、西暦というと、主が生まれた年(メシア生誕日)から数えているもの(ただし歴史的に考えると4年ほどずれている模様)です。別にそこから人間が始まったとかそういうわけじゃないけども、なんとなーく祝福されたような気分にさせてくれますね。西暦の誕生のきっかけは非常に泥と血に塗れておりますがまあそれは興味のある方がいればの話で。
で、なんでアンノドミニ(西暦)なんて話出したって話ですよ。「アンノドミニ」って曲があるんですよ。普通にいい曲です。アニメのBGMだったんですけど。歌入りなんですよ。原作は漫画でそれを読んでいる人間からするととっても大事なシーンだったんですけど歌入りですよ、ビビりますよね。まあそれはいいんですけど、歌詞が聞き取れるレベルなんですよ。それで歌詞公表以前でも某動画サイトでマイスターが仮版とはいえ聞き取った歌詞を書き置いてくれるレベルなんです。
西暦なんて先に言われるとどんな曲かと思いません?まあ、初見時の私はタイトルを知らずにシーンと合わさって涙腺との戦いを強いられたので、あれなんですけど。この曲聴いたあと、「サントラ予約しよ」とそのまま予約購入しましたけど。
調べて頂ければもう歌詞はすぐに出ます。もう曲名の方がネットでは検索が増えていると思われるので。
入りから優しい語り口で、サビが非常に強烈な感じと言えば伝わるのかどうか。
タイトルは、「西暦(アンノドミニ)」つまり、キリスト教という背景部に存在するもののなかで、尊いとも表現できよう単語が据えられているんですな。主が生誕して今は、2018年(ずれてry)という扱いなわけですけども。

絶望に僕らは導かれて
絶望が僕らを呼び合うから

絶望が僕らを見棄てるまで
絶望が僕らを見放すまで

絶望に僕らは導かれて
絶望が僕らを呼び合うから

…と、サビの頭に必ず「絶望」が入るんですよ。印象的すぎ。その後に入る言葉を考えると決してマイナスな要素ではないんですけれども、「絶望に僕らは導かれて」とか、聞き取ったとき「?!」ってなりましたよ。ただ映像と合わさって考えるとはぁ~~~~~イメソンつら……みたいになるので、何度もそこだけ見返したり。まあブルーレイ買ってるんですけどね。クトゥルフ神話要素とかも若干見られるので物好きなお方は見るとよろしいかと。
まあそんな衝撃的な歌詞を訊いて、サントラ買って改めてフルで聴くと、絶望が僕らを見放すってどんな状況だよってかアンノドミニって!!この歌詞にそう来る?!みたいな。
衝撃は至るところから頂きましたが、なんとなくその「絶望が僕らを呼び合う」とか、そういうの分かる気がするんですよ。まあ気がする程度なんで、はい。西暦が出来る以前は絶望だったかと言われれば別にそんなこたぁないじゃないですか。それこそ古代ギリシアとか古代ローマとか古代エジプトとかそれなりに充実してるじゃないですか。農作できない期間ピラミッドビール飲みながら作ってたとか、ほんと草生えますわ。公共事業とは言えどもなんや強すぎや国家権力…まあ王=神っていうまさにその時代なので分からなくもないんですけどすっげぇ羨ましいですね。クーヘン食いながら仕事してえ。
じゃあなんでタイトルが「アンノドミニ」なの?って考えると最初の「主の年」とかの云々に辿り着くんですわ。始まりとか救済とか、まあいろんなものがそこにあるだろうけれども、むむむ……何を見出すかというのは、やはり人それぞれなので、これだとは掲示できないんですが、グ・エディン・ナ、エデンにあるものは何ぞや?みたいな根源的すぎる。
では絶望とは?希望が絶たれた、人間そうそう絶望の域にはいかないと思うんです、いや「マジ絶望だわ~」みたいな軽いノリで使って全然いいんですけど、十人が十人これは絶望であると認めるシーンがそこらにあるか?と問われたら難しい問題なんですよねぇ。水平思考問題とか、それこそ天秤ですからねえ。
トロッコ問題、ウミガメのスープとかご存知の方結構いると思います。あれって人によっては「社会の為」とか「まあそうだよな」とか、なるのできっちりそこにいる適当な十人が同じ絶望を見出す確率とかうっわどこぞのアプリゲーのSSR輩出率より低そう。
これを探索者たちに当てはめたらめっちゃ楽しい鬱ゲーできますよ(喀血)
とある彼は、自分を守っては死んでいく家族を、友を、世界を見て「己」に絶望したし、
とある彼は、愛されなくなることを考えては絶望したし、
とある娘は、役立たずであることを理解して絶望したし、
まあ、まあ、こんなふうにいっぱいあるんですよね。だって希望ってものも人によって違いますもん。
食べることとか、こんなふうに文字を書くとか、朝日を見るだけで幸せって思う人もいるかもしれないし、仕事が恋人だぜな人もいるだろうし、恋愛とかもあるし娯楽も溢れたこの世界には希望がありすぎて、改めて定義するにはちょーっと面倒くさいというか。括りを決めないとちょっと分かんないなあと。国とかグループとかに絞れば結構定義付できそうなんですけどぼっちで倫理をしているとグロテスクになるので止めましょう。
希望が大きい分、反する絶望なるものも肥大化するのが基本的には常かと。
まあそんな風に「絶望」という言葉を考えると、「絶望に導かれる」とかどれだけなんだろう、と。ふと考えてしまったわけですな。それを皮肉るようにタイトルは祝福されているし。まあこれはたぶん映像の背景の一部なんでしょうけど…けど……ね?
鬱ゲーとか鬼畜ゲームとかいうDoDとかNieRシリーズの世界観に慣れている人だったらたぶん理解しやすいと思うんですけど。あれは本当に「人間」という価値観と第三者視点を持つとマジ絶望ばっかだし。でもまあ美しいですよ、あの世界の物語は。摂理を見せつけられているようなそんな気分になる。
あの世界の神様どんだけ人間が嫌いなんだろうね。どれだけ失敗したと思ってるんだろうね。と考えると神様自体がすでに絶望しているのかもしれませんな。いやだって宗教的に妥当に行ったら人間作ったの神様やもんね。「??」ですよね。
考察系のゲームは考察の完成品を見る方が好きです…頭使うのしんどいから…。
世界の始まりの日を定義しろなんて言われて出来る人間がいるのかどうかは知りませんが。
まあ難しいことをごたごた言っていておめぇタノシイのかと訊かれたら結構楽しいんですけども、長々と延々と、果てなくそれこそ果てない宇宙の先を探っているような世界のことになるので、今回はこの辺にしておきましょう。

まあうん。聴いて見るといいと思いますよ、アンノドミニ。
悪くはありませんから。きっと。
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