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😰 いやぁ 予想以上に想定したケースが発生して震えてる木の葉さんです。 この文章、書く事にならないと良いなぁと、心のどこかで思っていましたが、さて。 日本国内でさえ、死刑制度とそれに反対する人達がいて、世界規模で「死刑の善悪」を決めかねています。 どこかの国では「正しい事」「善い事」と信じて、自らの命を捨てて数多の人の命を奪う。 インドでは正義の私刑が社会問題となっていますし、国内では田舎の村八分が問題視されています。 これを読んでいる多くの人にとって、これは悪い事だと切り分けられている事だと想定していますが、当事者にとっては真逆だったりします。 そもそも、人間の把握できる世界なんてちっぽけなものです。 社会という表現の中に幾つものコミュニティがあり、その小さなコミュニティを社会だと錯覚している事が殆どです。 そういうコミュニティ同士の小競り合いなど、世界中で日常的に発生しています。 だからこそ、常に疑問です。 自分達の立場は、自分の所属する社会は、本当に善の立ち位置なのでしょうか。 何の疑問も持たず、社会が正しいものとするのは、宗教と何が違うのでしょうか。 第一、周囲がどの様な状態であっても、最後に決めるのは自身の意思です。 その決断を「誰かが言った」「みんなそうしてる」といったものに委ねるのは、ただの責任転嫁です。 そんなもの、神を妄信してテロに走るテロリストの言い訳と変わりないんじゃないかと、そう思います。 だからこそ、その先にあるのは戦争だと書いたのです。 だからこそ、問い掛けるのです。 「殺人は何が悪いんですか?」 と。 特に日本は、特定宗教が強い影響力を持つ訳でもなく、言論統制が強いられている訳でもありません。 また、日本に限った事ではないですが、道路を渡ったら別の社会通念なんて珍しい事ではありません。 (地域カースト、なんて言葉もありますね。感情的な言葉で言えば、自分は嫌いですけれど) その上、インターネットというのは、そういうのがごっちゃに入り混じる混沌空間です。 今チャットをしている誰かは、自分とは異なる社会通念の中で生活しているといっても過言ではありません。 自らの社会の正義は、すぐ目の前で悪に変わるかもしれないのです。 しかし、最終的に決めるのは、他ならぬ自分の意思です。 社会の善悪を反映しているかもしれませんが、私は社会そのものではありません。 あくまでの一個人であり、「自分が正しいと思う事」によって物事を決めるのです。 自分自身は「殺人は悪」という結論に至ってはいますが、別にこの問いに答えが欲しかった訳ではありません。 むしろ、この問いかけをすべき本来の相手からしか返答は来ないと思っていました。 それが曖昧で不安定なものであると認識している人ほど、答えに窮する筈ですから。 「もしもこの文章に納得して頂けたなら、セッション中の心のどこかでちょっとでも考えて頂けたらと思います。」 大切なのは、イメージですよ。
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