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🤔 一考察 私がオンセンに登録した際に、日記で正義というテーマに書かれていた人がいらっしゃった。 それを考えていたのだが、少しまとまったので書く。 個々人の正義はひとまず置いておいて、社会全体としてどういう社会が良い社会なのか。 それは思いやりのある社会だ(小並)。思いやりのある社会とは「強者が弱者を見守り助ける社会」である。 便座的に強者弱者と使うが、これは能力や技量の優劣の差で判断することであり、環境・状況によって変動する。 福本さんの漫画「銀と金」でもあったが、視覚障碍者のボランティアを行う男は、目の見えないものに比べ強者である。 それは”目が見える”という力があるからであり、弱者はその技量があるがために信頼を置く。 例えば、電車内において20歳の男と60歳のご婦人ならば、前者が強者で後者が弱者だ。譲るべきだ。 だが、20歳の男が両足にギブスを巻いていて松葉づえを持っていたら、男が座っていても譲るべきとはいいがたい。 そういう前提に立ち、強者弱者のマインドはどういうものであるべきなのか。 電車の席を例に考える。 ・弱者が強者を譲ってくれて当たり前だという気持ちでいて、譲ったとしても礼一つよこさなかった。 ・杖を突いている男性に譲る言葉を投げかけても、私はまだ若い!と怒られた。 ・ピンピン元気な若者が、そこそこ混んでいる電車の中で、空いている席ができたら周りを見ず我先に座り、イヤホンをしてゲームをし始めた。 ・前に人がいても黙って何も言わずに座り続ける強者。 ・五体不満足の著者乙武さんが、障害に配慮してくれなかった店に対してグチをSNSで発信した。 どうおもわれるだろうか。私はどれもみっともないと感じる。 強者は周りに配慮して、弱者に対し思いやりの気持ちをもって接するべきである。 弱者は強者の譲ってくれた行為に対し、尊敬の念を払うべきであり結末はどうあれその勇気に感謝するべきである。 これらはどちらが欠けても「思いやりのある社会」が成り立たなくなってしまう。 また、強者でありつつ弱者をいたぶる行為や、弱者になりすまし利益を得る行為も不善である。 貧困ビジネス・マルチ労働・生活保護の不正受給。車の運転でいつまでも初心者マークをつけている人、など。 以前日記で書いていていらっしゃった方がいて、ちょっとくすぶっていたのだが、イヤホンをつけてスマホをして歩いている人も私にとっては、不善である。 なぜならば配慮ができる強者であるにもかかわらず、そのリソースを自分のやりたいことに変える。 その結果公の場において、彼は”弱者”として振舞い、周りの人へ配慮を強制する。それはよろしくないのはなかろうか。 さて、オンラインセッションにおいてはどうだろうか。 強者と弱者とは基本的には経験で区別されるものだと思う。 それぞれ私が感じるみっともない行為を上げてみる。私が経験したわけではない。想像である。 強者(経験者)→ほかの人のことを考えず、自分のやりたいことだけをただただやり続ける。セッション中に知りえない自分だけが知っている知識でメタ的な行動を行い、KPもそれの対処で手いっぱいであり、同席した弱者は楽しめなかった。 弱者(初心者)→「初心者です」ということを盾に、調べもしないでわからないことも聞こうともしない。配慮の強制を求めてくる。なぜわからないのか、今の状況はどうなのかなどと聞いてもよくわかりません、と答えられる。 →申請したが、連絡がつかなくなり、そのままいなくなってしまうもしくは、時間内に来ない。 →KPの苦労もつゆ知らず、その苦労を台無しにするようなことを行う。 強者の方は、自分だけ楽しむのではなく、周りでRPのきっかけがつかめない人がいたら振ってあげたり、弱者の人に配慮したり、セッション全体の盛り上がりのことを少し考えていただきたい。 KPが弱者だった場合は、基本的にてんやわんやなので配慮していただければ非常にありがたい。 弱者の方は、何かを訪ねる時は、調べたんですけど、これこれがわからなかったので教えてくれませんか?など誠意を見せつつ、何か教えてもらったら感謝の言葉を表明していただきたい。 私はPLとしてもKPとしてもまだまだ経験が乏しいです。 一セッションにおいて自分が強者か弱者かを理解し、その立場に応じた誠意ある行動を行うように心がけたいとは思っています。 …何が言いたいのかぶれましたね。お目汚し失礼しました。
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