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😟 私もしくは色のない緑 (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)これは少し前、とあるシステムのGMをした時の想いを綴ったものになります。 正直に言うと、私の中ではあまり上手にできなかった卓ではありました。 ですのでだいぶくらぁぃお話になっております。 どうか閲覧される際は注意してくださいね。 Colorless green ideas sleep furiously (色のない緑の考えが猛烈に眠る) 有名な例文ですね。 多くの先人がこれに適切な回答をつけようと様々な観点から注釈や解釈をしてきた訳ですけれど…… 同様に様々な文学において引用されてきた言葉でもあります。 それそのものの言語学、言語論理による注釈は馴染みが無くともそう言った引用や解釈には馴染みがある方は少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。 私は近頃、これをよく思い出します。 色のない緑を自我の無意味さとその消失に準えたお話をどこかで読んだような気がして。 無理のない構築、一見整合性のある文体、けれど実際にその内容を考えてみれば存在しえない虚なもの。 それは最近の私と良く重なる部分があるように思えるかもしれません。 色のない緑でも、全員が同じ色に見えたなら、そしてそれが好ましい色に見えたならTRPGという物語においては正解です。 そこに実態が無くても。けれど、例えば赤色は本当に赤い色でしょうか。 認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従うというのもまた有名な言葉ではありますが…… 目の前のリンゴを指さして、「赤いね」と言っても本当にそれが赤いかどうかは私達には判らない。 同時に思う事も確かです。誰よりもその色で居たい。 楽しんで欲しい。こういう物語なら楽しめるかしら。嗚呼、こうなら楽しめるかも。 そう心から思っているからこそ、私は物語の色を決めてしまっているのではないでしょうか。 その色だって所詮、私が好む色に過ぎないというのに。 一歩足を踏み外せばその瞬間にエゴイスティックに、そして押し付けがましいヒロイックな物語になってしまう事だって珍しくはないのです。そもそも、そんな色を求めているかもわからないのに。 私は上手く踊れているのでしょうか。 良かれと思う事が誰かを傷つけてはいないでしょうか。 そんな不安がふと鎌首をもたげます。そうしていつしか指を止めてしまうのです。 その答えは正直判りませんし、それに判ってもいけないのでしょう。 全てがわかる、分かり合ってしまえるなら言葉も意思疎通も必要ない。 その不完全さがあるからこそ、私達は物語を通して少しでも世界を共有しようとするのですから。 だからどうか、嗚呼どうか叶うなら。 幾万の舞台で踊る皆様方全てに、その希望を持ち続けられるような美しい世界が訪れますよう。
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