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😟 卓(セッション)という領域についての考察 『領域』に関して哲学したいなぁっと思っているこの所。 よくある美辞麗句として「空から世界を見てごらんなさい、地上の何処に”国境”があるというのです?」ってあるけれど 実際に現在絶賛建設中のメキシコの壁、近現代史のベルリンの壁、或いは万里の長城に至るまで我々は地上に”国境”を引いてきた。 人は国家というものを守るために、自らの領域を守るために国境を定め、壁を建設した。 私がやっている行為も、また壁の建設なのだし『違法移民は絶対に受け入れない』という彼の大統領の言葉は大いに頷けるわけで。 私は台湾に旅をしたならば、台湾の法を順守します。関東にいったならばエスカレーターは左側の手すりにつかまるでしょう。 それが出来なければ、国外追放となるでしょう。鼻つまみ者となるでしょう。 ローマに入ってはローマの法に従わねばならない。 つまり、何が言いたいかといえば。 卓という領域に誰かを招き入れるとき、誰に対しても参加可能である、と窓口を広くしていた方がきっとたくさんの出会いがあるでしょう。けれども、その一方で私には残念ながら理解のできない方々と同席する可能性もあります。 そして、それはきっと私がPLとしてこれから参加させていただくかもしれないGM諸氏に対して、私という”外国人”を受け入れて下されるかどうか、ということが心配であるし、旅する外国で私の流儀が不快になってしまえばそれは最悪です。 一方で、卓にAさんとBさんとCさんを招きたい という風に入国ビザをピンポイントで配給するというのが恐らくは確実なセッションの運営なのでしょう。少なくとも、相手は”身内”であるとして処理できるでしょうし、私自身を知る人に対してこのような措置を取っているのですから。 しかし、それはきっと小さな王国で。 これを続けてしまっては私はきっと裸の王様になってしまうのでしょう。 はてさて、どうしたモノでしょうかね…… 最後のここまで読んでいただいた方、誠にありがとうございます。
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