鴉山 響一さんの日記 「そこにゲーム性はあるのか」

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鴉山 響一
鴉山 響一日記
2018/02/23 22:32[web全体で公開]
😶 そこにゲーム性はあるのか
最近思うことがあります。
自分のマスタリングにおいて表現したいものを求めると、そこにはゲーム性が介在する余地が極限されてしまうのではないか、と。

つまり、自分が何を表現したいかと言えば、「ストーリィテリング」に尽きるのだろうと考えます。RPGはご存知の通り「ゲーム」の側面が必須であろうと考えますので、定義上、それはいかにも問題を孕んでいるのではないか、そう思うのです。ゲーム性がない(少ない)RPG。それはGMの予定調和を観客(PL)に見せるだけの一人芝居であり、通俗的な言い方をするならば「吟遊プレイ」になってしまいます(教養と良識があると自認するRPGerとしては唾棄すべき存在ですね)。

それでは各種数値管理もせず、ダイスやカードも使用せず、GMの口上だけでセッション話お前は望むのか、と自問してみればさにあらず。それもまた違和感を感じてしまうのです。

私は一部の例外を除いて、シナリオを書き下ろすという作業をしません。セッションを開始するにあたっての準備作業としては、その世界観の大きなフレームだけはきちんと定義することと、序盤のPCたちの状況についてのみ構想します。あとはセッションの進行具合によって適宜対応……と言えば聞こえは良いけれど要するに場当たり的な展開を繰り広げます。

と言うのも、常々言っていることですが、私のセッションにおいては、「PCが動かない限り状況は刻一刻と悪化して行く。なぜならば、PCこそが何事かを成し得るべき存在であり、そうでなかりせばNPCだけで物語を紡げば良いこととなり、PCの存在証明ができなくなるからである」のです。

である以上、PC達には能動的に動き回って(あるいは泳ぎ回って)欲しいし、それはGMの想定から大きく逸脱する可能性だって充分にあり得るわけです。PC達が動き回ったリアクションとしてのNPCの動きをすべて事前に予測しておくことは事実上不可能ですから、先ほどのような適宜対応が必要になるのです。

そのような次第で、私が求めるものは、GMの一人芝居ないし漫談としての「吟遊プレイ」を望みたいわけではなく、あくまでPCたちのアクションとNPCたちのカウンターアクションの連続によって物語を紡いでいきたい。ただし、それぞれのキャラクタの特徴を示すデータ的なあれこれが存在する大前提で、と言うことになるでしょうか。

最もプレイしているのがAD&D1eと言う、古典的ファンタジーRPG(つまりモンスターたちをなぎ倒し、お宝をゲットして経験値アップ、というパターンです)をベースにしていながら、戦闘シーンが極端に少なく、大半がNPCとの交渉ロールやイベントチェックなどのダイスロール程度しか発生しないのはそう言うことなのです。

個々のキャラクタの強さ、あるいは弱さとしての能力データは前提として必要だけれども、それらをダイレクトに活かしてプレイする機会自体は少ない理由とは、恐らくそのあたりにあるのではないか、そう思います。

つまり、私のセッションにおけるゲーム性とは、交渉やその結果としての状況によって作り出されるものこそが「ゲーム」の対価であり成果である、と一旦結論付けてみることにします。
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