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😆 サイコロを振らなければ、勝敗がなければゲームではないのか? 以前サイコロを振るなどのランダム性がなく、勝敗がなければゲームではない。よって、ナラティブ系TRPGはゲームではないという主張を見たことがあります。 私は「なるほど、一理あるかもな?」と思っていたのですが、この度Zhenya’s Wonder Tales(以下ジェーニャ)を翻訳し終わりまして、一理ない派に宗旨替えいたしました。 たしかにじゃんけんに勝敗がなければ虚無かもな…とも思うのですが、よくよく考えたら「赤と青のダイスをひとりで同時に振り、赤が青の数値を上回ったら勝ちとする」というゲームはダイスを使っててランダム性と勝敗はあるけど虚無なわけです。 ゲームって勝敗が楽しさとイコールではないですよね。もし勝敗がゲームの楽しさなら、勝敗がつく前に切り上げたゲームはまったく面白くないはず。 将棋とかは次使える駒がわからない!なんてことはないのである意味ランダム性が排されているわけですが、別につまんなくはない。 じゃあ何がゲームを面白くさせているのか?どうしてダイスや勝敗が必要に感じるのか?と考えた時その答えのひとつは「スリル」なんじゃないでしょうか。 「こうなって欲しい」という動機づけに勝敗設定が、「そうなるかはわからない」というハラハラにダイスが必要なんだと思います。 だから「こうなって欲しい」という動機づけができて、「そうなるかはわからない」とハラハラできればダイスや勝敗はなくても面白いゲームなのではないでしょうか? ジェーニャはダークファンタジーなおとぎばなしを作り上げるゲームです。 推奨プレイ人数は4人。4人分の配役カード、1人につき3枚の専用行動カードを持ち、それから誰でも使える4枚の行動カードがあります。カードを広げた盤面はマーダーミステリーっぽいですね。 全てのカードは常に「表面は」誰でも見ることができる状態で、各プレイヤーは順番にこの行動カードに書かれた行動に向けてロールプレイを行い、その行動が行われた時に、カードの中身を確認します。行動を起こした結果、どんな(悲)劇的な変化が巻き起こされるのか、がカードを見ているだけでただただ感心する出来です。 ジェーニャのキャラクターたちは、それぞれに(多分)秘密と欲望を持っていて、その願いは互いに響き合い、決して全てが叶うことはありません。 たとえば、1人のひとへ2人のひとが同時に結婚を申し込んだ時、ふつうみんなが幸せになる道はないですよね。もちろん重婚を認めるという手もなくはないけれど、それが幸せと呼べるかはちょっと疑問です。 プレイヤーが登場人物のために彼らの幸せを望むとき、素晴らしい物語を作り上げることを望むとき。また別のプレイヤーが登場人物の欲望を叶える悲惨な物語を楽しみたいと願うとき、ジェーニャはスリル満点のゲームを楽しませてくれるはずです。 そんなジェーニャ、現在クラファン中!目標は達成しましたが次の目標に向けてラストスパート中です! PDF支援コースがおすすめ!一緒に翻訳して遊びませんか!? https://www.backerkit.com/c/projects/bully-pulpit-games/zhenya-s-wonder-tales
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