肉祭ポメタロスさんの日記 「タイトルは無い」

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肉祭ポメタロス
肉祭ポメタロス日記
2018/01/12 13:20[web全体で公開]
😶 タイトルは無い
なかなか意図を伝えるのは難しい。意図を伝えようとすると時々、言葉は棘になる。根底から考えが違うとナイフにまで変貌してしまう。

pixivで公開するようになった頃から、シナリオ制作に関して妙に引っかかる言動を送ってくる知らない方がいた。色んな角度で「自分はこう思う」と書いてくる。知らない人が自己愛を大事そうに抱えながら語りかけてくる。特にロスト救済に関する言動が激しく、「この人の目的は何なのだろう」と思った。
「ロスト救済」「茶番」というジャンルがデリケートで、ある種の鬼門であることは知っていた。宗教や病気の話と同じで、人間としての根源に不思議と近いテーマだからだ。鬼門に触れるとき、意図せず誰かを傷付けてしまったり、一方的なダメージを受ける覚悟が必要なことも知っていた。思えば知っていただけなのだろう。

「人生の作り方」について考えさせられるシナリオが続いて、次は人生の終着点である死、そしてそれを覆すロスト救済について今一度考えてみようと思った。何かを考える時はシナリオを書くのが一番で、シナリオを考え始めた。
書き始めてまず思ったのは、自分はどちらでも良くて、救済派であろうと否定派であろうと同じ穴の狢だろう、いうことだった。人を想像して動かしている時点で、同じことをしている。自身の脳みそから生まれるものに別個の存在を明確に強烈に感じるなら、TRPGは残酷すぎて出来なくなってしまう。どんな思考を背負おうと、根が同じでなければ続けられないし魅了されないのだ。

PCが大事で肯定する人も否定する人も、そもそもPCを駒と冷静に考える人も、どんどんPCを使い捨てる人も同じ土壌で育ち、同じ根を持ち、同じ世界にいる。ただ、咲く花の色が違うだけのことで。
そのことをシナリオで表現しようと思った。

そしたらその意図は非常にその人を刺激してしまったようだった。
どうやら私を「ロスト救済シナリオを書くからロスト救済肯定派」と思ったらしかった。
全くもってそんな話をしたかったワケではなかったが、自分の言葉が足らずに、或いは言葉に対する認識があまりにも異なっていて、伝わらなかったようだった。
その人は、というかその人たちは、自己主張を激しくした。なんというか疲労した。いっそ罵ってくれれば防御に舵をきる踏ん切りがつくのに、そうではない。ぞんざいに扱うことも出来ない。

まるで他人の教師や牧師、懺悔室にでもなった気分だった。でも私はそんな存在でない。他人に興味を保つことが難しく相談役が昔から苦手で、私の中には知らない人の感情論を仕舞い込むスペースは長年かけてついぞ生まれなかった。
無理にしまおうとしても、心の箱が膨れ上がり軋みをあげるだけだ。
放たれる文脈も守備範囲外だった。確かに日本語の筈なのに会話のキャッチボールとして何かが違う。互いに求めている球を適切な距離で投げあえていないような印象が脳を摩耗させる。追えない球を追っていき、なんとか拾って投げる。

正直、しんどい。
しんどいあまりに橋本環奈ちゃんのことを頑張って考え、終盤の方ではバスト占いの歌を歌いながら好きなFカップについて専念しようと努めていた程だ。

消耗戦なのかコレはと音を上げそうになった時だった。
「何度かメッセージを交わして分かりましたが、どうやらあなたは私と同じ、PCを大切にする考えの持ち主ですね。」と、来た。
思わず笑ってしまった。大爆笑した。いわゆる草である。
試されていたらしい、導かれていたらしい。教師だったのはあちらで、懺悔するのはこちらだったらしい。
笑ってすぐに酷い虚無感に沈んだ。気持ちはすぐに焼け野原になった。
「そんなこと、言ってないよぉ〜…」って流石に呟いた。

自分はロストキャラを復活させたことが無い。終わらせてあげたい、楽にしてあげたいからだ。それはどのようなシナリオでも等しい。
ロストしてもキャラ一覧から下ろしても思い出せる。時間をかけて作って、絵まで描いて、たまに思い出すように日記を振り返るから。
でもこの教師達は知らないのだ。そもそも私を知ろうとして歩み寄ってきたわけではないのだから当たり前だ。

かと言って教師達に説明する気にはならなかった。説明の義務は無いしその考えを変えるのは自分には無理だと思った。
そもそも人の考えは変わってしまう、儚いものだから、今は互いに埋まらない溝があり、その溝を埋める為の価値観も言葉もないけれども、その溝が埋まって気付いたら自分が教師側になることも、相手が自分側になることも、十分有り得ると思った。教師が無意識に向けるナイフを手にする可能性があるなら、私にナイフを奪おうとする権利は無い。
そこまで興味も無い。今はとにかく道を違えたかった。覚悟が足りなかったことは分かったから。

今回このことを書き残すか、全体公開するか悩んだ。彼らは感性が異なるだけで、誰かにとってはナイフを持たない善良な友人だ。別の角度から触れれば、両手を広げハグさえ出来るかもしれない。
善良な人がこの日記を読んで傷付くことは目に見えている。周りの人が傷付くことも。それは、本当に申し訳ない。ごめんなさい。
私だって痛い。野良突発卓人間だよ? こんな日記書く人、私なら関わりたくない。大惨事だ。

でも、書かないとずっと“そう思われる”と思った。
もしかしたら私は迷える子羊に見えるかもしれない、それは違うと。もしかしたら鏡のように思えるのかもしれない。それも違うのだと。
自分達は今、この瞬間、分かり合える者同士ではない。針を畳めないハリネズミみたいなものみたいで、今はまだ“そう思われる”時ではない。自己愛の比率が揃ってない。
そもそも、“そう思う”価値すらない。この話題では、溝は埋まらず、あなた方を愛することはない。

映画の話や橋本環奈ちゃんの話、バスト占いの方が、よっぽど建設的でノーボーダーだ。
だって、難しい話は苦手なんだ。
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