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😰 美学(美学史) (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)簡単にいえば、 美しいという感覚がどのように変遷するか を、抽象的に(実際に技術的な再現をするのではなしに) 追いかけてゆく学問分野を美学(美学史)と呼ぶ。 私の得意とする言語分野にもこれはあるし、 建築、彫刻、料理、音楽、工芸、 芸術分野であれば、おおよそひととおりある。 漫画にも映画にもゲームにも、あることはある。 が、今回は、 絵画 という芸術分野にピントをあわせて語る。 実は、この美学史の一番の根っ子、 どの時代であれ妥当だとされる定理がひとつある。 (アート分野なので 数学のように証明が可能なものではない。 「妥当であろう」という永遠の仮説である) これを 「エゴの定理」 とよぶ。 この定理をだすと、 たいがい、モナリザとダ・ヴィンチの話になる。 かの有名なモナリザの微笑と ダ・ヴィンチの自画像は 若いか老いているか、女か男か、という違いはあれ 顔面の骨格、それをおおう顔の肉の量など ほとんど同じ部品でできている。 モナリザさんが経年劣化して 頬がたるんで目が落ち込めばダ・ヴィンチになるし ダ・ヴィンチが少し若返り 女性ホルモンを注射して顔立ちを整えるとモナリザになる。 ダ・ヴィンチが、 これを意図していたにせよ 意図していなかったにせよ これだけ世界に認められてしまった微笑みの正体は 「ほぼ自画像(女装の)」ということになる。 他の歴史的遺物、世界的美術からでも、 実は似たような答えが描ける。 「画家は、必死こいて、生涯ずっと自画像をかいている」 イスラム教だけは十戒が厳しいので マホメットの顔が描かれることはないのだが、 キリスト教は、虚飾を好む時期と 排斥する時期とが入れ替わり立ち替わりで 慣れている人が宗教画をみると 「ミケランジェロ系の神様に15世紀西洋人まじりだ」 とかいう解析ができたりする。 考えてみたら、 すごく当然の話。 キリストがどんな顔をしていたか? 父なる神がどんな顔をしていたか? 本当に見た人などもはや生きていない時代と場所で さあ描けといわれて何ができようか。 さいわいにして、 自分の家族の顔はよく知っている、 お隣さんくらいまでなら思い出せる、 町中の人の顔を覚えてる、 じゃあ、それをもとに描こう、 で、いいわけだ。 こういうのを民族顔とか言ったりするが ともかく感情いれればいれるほど、 身内の顔や自分自身の顔に近づいてゆくものだ。 画家のほうからすれば 感情移入できたほうが筆がのるであろうし。 また、そこに描かれたものが民族顔に近い場合は 今度はそれを見るがわが親近感をおこす。 「あれ、この人、なんかオレに似てね?」 こういう人が近隣に多ければ多いほど、 その絵画は名画となっていく。 名画の数々のなかには、無気味なくらい、 両方を兼ね備えているときもあったりする。 こんなことを書くと 「自分大好きかよ!」 とか言われるわけだが、 「あたりまえだ」 生まれた環境、先祖代々の血、 ありとあらゆる錬金術を組み合わせても ホムンクルスは己の脳の中にしかいない。 さて、TRPGに話を戻そう。 私は実卓(オフセ)をなりわいとしているのだが、 あまり好きになれないタイプのプレイがある。 「自分の話は聞いてもらいたい、 しかし、 人の話はきかない」 いや、 ここまでであれば 「エゴ定理」だ。 自分の描いた自分の顔を見せびらかしたい。 という人間らしい行動といえる。 この問題のさらに奥 「自分は自分のこと嫌いだけど、 皆は私のことを好きになってね」 分かりやすくすると 「これ110円で買ったんだけど、 32万円で買ってね」 怖くねーか? どーゆう人生あゆんだら そんなことしてくれる人に巡りあえるんだ? 日本は、謙遜の国だから? 自分自身の価値を自分自身でランク付けして 他の人には価値があるように見せつける この訳の分からなさは、 いわゆる霊感商法と同じ手順を踏んでいて、 しかも無意識なのが果てしなく気味が悪い。 客層の4割を越えてこれをやるPLがいる日には さっさと閉店にしたくてたまらない。
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