😶 9/18〜20「沼男は誰だ?」HO1だった自分の選択とその理由(備忘録) (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)・今回の卓でNPCの名前は緑川郁紀、NPCの妻は緑川沙耶 ・私の探索者はHO1の菟原雨読。唯一失ってしまった仲間がHO3の三ノ宮さつきさんでした。 ・PCとPLの視点がごっちゃ ----------- 自分は母体の命を断つことを選びました。 郁紀、沙耶さん、そして三ノ宮さん。 たとえ記憶が連続していたとしても、人間の頃のあの人達とスワンプマン達は個々の存在だ。 それだけじゃなくて、地下の肉塊たちだって一人ひとり別々の命だと信じています。誰がなんと言ったって。 ガソリンにまみれて逆巻く炎に飲み込まれながら、絶叫のうちに愛する人の名を呼んでいたんです。助けを求めるんじゃなく、ただただ愛を伝えたいがために。 私はその声を確かに聞きました。心ある彼女たちを「あれ」や「それ」とは絶対に呼びたくない。 『人間もスワンプマンも見た目や記憶に違いはないのだから、それはもう本人と言っても差し支えはない。何も問題などないのだ』と、仲間のうち二人はそう言いました。 でも私はそうは思えなかった。 同じだから問題ないんじゃなくて、同じだからこそ救われない。そう感じた。 だって「本人と何も変わらない」のはあくまで残された側の目線でしかなくて、捕食される側は「殺された上に誰からも死んだことを気付かれず、そっくりさんの紡ぐ物語に今までの人生を乗っ取られる」んですよ。 誰にも知られないまま、誰に悲しまれることもなく、本当の本当に一人ぼっちで死んでいく。コピーがその先の人生を引き継いで、いつしか「自分」という記録が同じ色をした絵の具に塗り潰されてしまう。 これ以上に哀しいことが存在するだろうか、と思うと他に何かを考えるよりも先にぼろぼろ泣けてきてしまって言葉を失った。 人間には人間の、スワンプマンにはスワンプマンの命が、魂がある。 一人ひとつの大切な命と人生をそっくりな誰かに塗りつぶされるなんて惨すぎるし、他人の人生を生まれた瞬間から押し付けられて、自分の人生を生きられないのは寂しいことだ。 人が本当に死ぬのは皆に忘れ去られた時だって偉い人も言ってたじゃないですか。 それなら、彼らを忘れたことすら知らずにスワンプマンを同一人物だとみなすことは、彼らの肉体ばかりか魂を殺してしまうことに等しいと私は思う。 三ノ宮さんは優しい人だった。そしていつも嘘がなかった。 スワンプマンとなっても、あの気高く美しい人と同じ心をもった存在に、それと知らず人を殺させるなんて真似はできない。たとえ自分の命に替えても絶対に止めなくてはいけないと思った。 だけどそれをするまでもなく、真実を告げても彼女は一緒に戦ってくれた。三ノ宮さんにとっては行くも地獄、帰るも地獄でその先のない行き止まりなのに。雨読に母体を殺されることで結果的に自分も殺されると分かっていて、死ぬと分かっていながら道を切り開いてくれた。 雨読は体力がない。そのくせに意地だけはある。母体を殺させまいと立ち塞がった二人の仲間からあのまま殴られたり刺されたりしていたら、弱いくせに退かないからきっとすぐに死んでしまっていた。 三ノ宮さんが庇ってくれていなかったら、結末は違ったものになっていたはず。 雨読は沙耶さんに「あなたは人間」とはっきり告げられてしまったから、まだ無事でいる78億人を守らなければいけない。そして何より、人知れず殺されてしまった723万人の人々を悼む義務があると思った。それが真実を知ってしまった人間の責任だ。 仮にこれが沙耶さんが雨読を慰めるための嘘で、本当は既にスワンプマンと化していたとしても、自分が何者なのか知らずに他人の人生を生きるよりは、たった数日、極論を言えばたった数分でも「これが自分の人生だ」と胸を張って言える時間を生きたかった。それができるなら、自分が消えてなくなったって構わない。 沙耶さんが雨読に嘘をつくとは思えないけど、そう覚悟を決めて母体へ刃物を振り下ろしたんです。 本当はすごく嫌でした。三ノ宮さんも沙耶さんも、もしかしたら京都にいる妹だって、自分のせいで泥になってしまう。大好きな人たちが自分のせいで死んでしまう、そう思うと手が震えて仕方がなかった。 でも、生命を守ることだけが救うことじゃない。命はかけがえのないものだけど、時には人ひとりの尊厳や魂の高潔さを守ることこそが、本当の意味で人を救済することだと私は思います。 だから、泣いて苦しんでも選択を迷うことはありませんでした。 それと、ここからは中の人の価値観の話ではなく菟原雨読の話です。 雨読は郁紀と沙耶さんの結婚式に呼ばれたにもかかわらず参列しませんでした。結婚式の日取りは海外で個展を開いている期間の真っ最中で、駆け出し人形作家である彼には結婚式を優先する選択肢はなかったんです。 「仕事が忙しいからって結婚式にも来ないなんて。お前なんかもう友達じゃない」。そう郁紀に言われるのが怖くて、雨読は祝電を送ったっきり郁紀から距離を取ってしまいました。そんなひどいこと、雨読の置かれた状況を知っている郁紀が言うはずないのに。 雨読は郁紀が人生で一番幸せな時も、一番苦しい時も側にいなかったんです。郁紀の友達なのに、何ひとつとして彼を支えることができなかった。 愛する妻を失った彼の悲しみを雨読が消し去れるなんて思っちゃいません。そんなことは不可能です。 それでも自己中心的な理由で彼から距離を取っていた、過去の過ちを清算させたかった。 たらればの話は意味がないけれど、この災いを招いたのは郁紀の絶望でした。あの時彼の様子に気付いて絶望のほんの一欠片だけでも雨読が癒せていたなら、沼男なんて哀しい存在は生まれなかったかもしれない。 傲慢だし愚かしいですよね。自分でもそう思います。というかそれじゃシナリオが始まらないしね。 だけど、無二の友を支えられなかった雨読が723万人を殺し、泥に還す罪を背負うべきだと思った。だって苦しみは半分こにするのが、本当の友達ってものでしょう。 だからこそ(これは100%KPさんの温情によるもので原作ではほぼ不可能だったそうなのですが)、泥に還りゆく郁紀が沙耶さんに「愛している。新しい人生を生きろ」と言ってくれたことが涙が出るほど嬉しかった。 そして郁紀に送り出されるままに、沙耶さんが雨読の手をしっかりと握って地上まで駆け抜けてくれたこと。そのとき初めて郁紀の信頼と沙耶さんへの恩に報いることができたと思った。 NPCには感情なんてないんだと勘違いしていました。こちらがどんなに頑張っても、感情移入しても、シナリオ上救えないものは救えないんだから仕方ないって諦めていた。 でも、どうにもならなくたって言いたいことはあるし伝えたいことはある。だって菟原雨読は緑川郁紀の友達として生まれた。沙耶さんは無二の友達の、この世で一番愛する人なんです。 そう思って、意地でも心ある人間として郁紀と沙耶さんに向き合ってよかった。届くはずのない声が届くなんて、夢にも思わなかった。 郁紀の心を引き継いだ「彼」の最期の願いを叶えることは、生と死、時間を超越して郁紀の大切なものを守れるってことだから。 雨読は遺体の残らなかった郁紀と沙耶さんを想い、晴れ着姿の球体関節人形を作ってささやかな結婚式を挙げました。ティンダロスの猟犬を押し付けられる前に郁紀から貰った50万は、すべてこの費用に充てています。 ちなみに技能の制作:球体関節人形もきちんと振って見事に成功させました。技能成長しましてめでたく現在値91です。 菟原雨読の職業を葬儀屋と人形作家のどちらにしようかだいぶ悩んで投票を募ったのですが、あの時人形作家をおすすめしてくれた方には心から感謝しています。 雨読が人形作家だったからこそ、できなかったはずの祝福ができ、見ることのできなかった景色を見ることができました。 いろんな人から沼男は感情移入できるPCで行け、自分と価値観の同じ探索者を作れとものすごーく言われていた理由が分かりました。 私は菟原雨読を自分と同じ魂、くらいに思い入れを込めて生み出したので(技能値と特徴表はダイス振ってるのでもちろん性格の話です)、おかしな話ですが『沼男は誰だ?』を通過して一つの人生を生きたような感慨でいっぱいです。 今こうして伏せを書いているPLの私もきっと同じ選択をするんだろうな。そんな気がします。
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