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😶 初セッションの振り返り 初めて温泉でボイスセッションをやった。 ボイスセッション自体ほぼ初めてで、慣れない場面にかなり戸惑ってしまった。 他の方についての感想は自らの中にとどめておくとして、今回感じた反省点を自分の中でかみ砕いていこうと思う。あわよくば次に生かせたらなといった程度のもの。 大昔、弥生時代が舞台のクローズドアドベンチャー。消えた卑弥呼の代わりを選ぶため過去へ飛び、3人の少女の中から次代の王を選ぶのが目的のシナリオ。 TRPGで絶対に忘れてはいけないのが、ロールプレイとキャラクタープレイの差別化。そして役割を見失わないこと。 しかしクトゥルフ神話において、この2つはかなり見極めが難しい。なぜなら誰もが等しく探索者であり、役割がシステム上で決まっていないからだ。そうなると必然的にキャラクタープレイを求められるようになる。 更にこのクトゥルフ神話は、プレイヤーを対象にした「没入型システム」であり、その両者に挟まれた状態は、プレイヤー本人の思考を浮き彫りにさせてしまう。 ボイスセッションだからというのもあったのだが、今回はそのキャラクタープレイに入れ込みすぎてしまった。 今回おれが用いたキャラクターは、適当に人を丸めこめて自分の都合のいいように物事を進める性格の人。聞こえは悪いが社交的であるのは間違いなく、おれ自身もロールプレイをやりやすいと思ったので選択した。 プレイヤー同士が衝突することはなかったが、NPCの少女をロールプレイで説得するという場面で失敗してしまった。 シナリオ上、その説得が成功するか失敗するかで分岐してしまうものだったので正直かなりの焦りがあった。自分の要望を一方的に突きつけ、最終手段として力づくで解決しようとしていた。勿論通らなかったが。 今回のキーパーの方は、ノリと勢いという感じではなく、NPC達の背景と現在の状況、自分の中での最適解な答えを持っているきっちりとした方だったので、おれは正直お手上げだった。自分の意見を通すことは他人の意見を害うことだとわかってはいたはずなのに、口先だけで無理やりに解決しようとしていた。 そして説得は失敗し、逃げなければNPC共々キャラロストするという場面で。NPCを助けられないなら自分も死ぬ!というメンヘラのような悪手をとった。自分だけが死ぬのならいいんじゃないかと思っていたが、その考えは浅かった。結局、ほかのプレイヤーさんの手により無事救出された。本当にありがたいことだ。 この経験で分かったことだが、自分のキャラが死ぬのは自分だけの問題ではない。ということだろう。前の日記にも書いていたが、ほかのプレイヤ―、そしてキーパーは「キャラクター全員で生還する」という状況を望んでいるのだ。改めてキャラクターに対する命の重さを理解した。 そして失敗した分愛着も沸いたわけなので、一概に今回の行動が全て悪かったとは言えない。またクトゥルフ神話をする機会があれば、おれはこのキャラクターで参加することだろう。 SAN値24だけど。