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😶 なぜPCは依頼を拒むのか(2) PCが依頼を拒む背景には、物語論上の要請があるのではないか、という話をしました。 英雄伝説から抽出された物語の要素の中に「冒険への拒絶」があるというものです。 ではなぜこの「冒険への拒絶」が要素として語り継がれてきたのか、今回はそこをもう少し掘り下げてみたいと思います。 参考:http://knon.hatenablog.com/entry/2014/05/13/130410 以前言及したキャンベルは、神話には人間の成長・自己実現の過程が反映されていると考えていました。 成長は変化であり、そのためには日常を離れなければなりません。「変化への「恐れ」に打ち勝つことが自己実現の第一歩」なのだそうです。 なぜ「変化への恐れ」が存在するのでしょうか。キャンベルは、ユング心理学に答えを求めています。ユングが類型化した元型(人間に共通する心の働きを象徴するもの)の一つ、グレート・マザーが変化を拒否するというのです。 http://www.j-phyco.com/category1/entry70.html 母の手に抱かれていれば安心ですが、母の手を離れることは不安です。ここでのポイントは、母もまた不安であるということです。しかし母の手を離れなければ成長はありえません。 ですから、物語の現場では、冒険を拒絶する役割を負っているのが主人公本人ではない場合もあります。ここでは堀井雄二のビデオゲーム「ドラゴンクエストIV」のアリーナを例に挙げましょう。サントハイム王国の王女でありながら武道を嗜むアリーナは、腕試しの旅に出たいと望んでいますが、父王はそれを許してくれません。結局、アリーナは城を抜け出して旅に出るのですが、ここでは父王がグレート・マザー役を引き受けているわけです(ただし、父王は単なる引き留め役を超える重大な秘密を抱えており、これが堀井の業前です) さて、「冒険の拒絶」についての理論は以上のようなものなのですが、もう一つ意味があるのではないかと私は考えています。 「日常と非日常、双方の価値を高める」という意味です。 物語の根幹は「行って帰る」ことにあるということは以前お話ししました。そしてこれは共同体の中で成人と認められるための通過儀礼(イニシエーション)も意味しています。 もしここで、この通過儀礼が「帰る」のプロセスを欠いていたらどうでしょう。進化論的に考えて、そのような共同体からは若者がどんどん出ていき滅んでしまいます。「行く」と「帰る」の両方を備えた共同体が生き残ってきたと考えるべきでしょう。そして、そうした共同体は、「帰るだけの価値がある」ものでなければなりません。だからこそ、それから離れることに恐れを抱くのです。 つまり、「冒険の拒絶」は、主人公が属している共同体―日常の価値を確認する働きを持っています。 一方、主人公が旅立つべき非日常は、危険で、困難に満ちていなければなりません。日常と変わらず安穏とした非日常では、「行く」ことにならないからです。主人公が、誰かに言われたからといってホイホイ旅立っては、困難を認識していないか、そもそもそのような困難が存在しないのではないかということにもなりかねません。 「冒険の拒絶」は、これからの旅に困難が伴い、それゆえ達成すべき課題も存在するということも確認しているわけです。
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