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2020/12/11 19:08
😶 キャンペーン「Last answer」感想 私は感想文と言う文化が非常に苦手であるので、古のテキストサイト文化風に筆を執りたい。 このキャンペーンについて記述するにあたって、二人のGMを分離して記述することは極めて困難であるように思える。 つまりこれが2人の力で作られたものである以上、分けたところで同じ話をすることになるからだ。 なのでこのテキストを以て二人に捧げるということにしようと思う。 さて、そもそもこのキャンペーンはころころ名前が変わっている。 「Lost answer」→「Best answer」→「Rust answer」→「Last answer」と言った変遷具合だ。全て韻を踏んでいるので、というよりなんなら発音もほぼ同じなので気づきにくい。 現に私は「Rust answer」の途中まで「Rust」なのに気づいていなかった。錆びついているのは私の視界だったかもしれない。 これが何かと言うと、こういう細かい細工をする時っていうのはとてつもなく力を入れていた証左であるということだ。少なくとも私はそう思う。 何かを渾身で作ろうとしているときは、何だか細工をしたくなるものである。絵なら背景に力を入れたくなるとか、小説なら往年の名作のオマージュを入れるとか。 つまり細かいところだが、二人の熱量というのはそういった細かいところにこそ顕著に表れている。 『神は細部に宿る』と平安期の俳人ミヤモト・マサシの言葉にもあるように、高度なシナリオカラテはちょっとした細工も光るというものだ。 さて、その二人の熱だが、今考えてみればそもそも前日譚が各PCに長めに取られている段階で「おや」と思うべきだったかもしれない。 本編以前の第ゼロ話をもってくるのに意味があるとすれば、当然助走である。本編で思い切り跳ぶための助走だ。 今回のシナリオは全体的に、PCが辛い目に合う話である。しかし突然PCが辛い目に合うとPLは冷める恐れがある。故にまずPL自身にPCのエンジンをかけてもらう必要があったのではないかと分析する。 構成の妙は、ゼロ話で助走をつけて一話で跳ねたことにある。力のあるPCがタイラーというわかりやすい外道をぶちのめす流れだ。PC1にとってはひとまずの仇討ちになる。 PCの活躍を嫌うPLはまさか存在するまい。助走の段階でPCにエンジンをかけ、一話で飛んだのだ。そして、それは空中にいては逃げられないことを意味する。 一件落着と思ったその矢先、エンディングで香り出す不穏な空気。ルートと凪の口論、宿敵「紅鏡の亡霊」の到来。こう引かれると、否応なく引き込まれるものがある。区切った後に即座にフックにひっかける手法だ。 引っ掛けたPCを二人の邪悪なGMが虐めだす仕組みになっていることに関しては、最早拍手しかない。 ここまで丁寧に前振りをしてから虐められてしまっては大多数のPLは反発よりも感動を覚えてしまうと思う。本気で抗議するのは洋マンチ(大間抜け)野郎だけだろう。 GMが邪悪なシナリオは良いシナリオである。きっとしっかりと虐めてくれるだろうから……。 邪悪であって醜悪でないということがこれのミソである。醜悪なGMについて論ずるのは私よりも適任者がいるだろうのでここでは語らないこととする。 ともかく、ゼロ話で助走をつけて一話で跳んだPC達を、GMは二話で見事に捕まえたのである。 やはりここの流れで殊更強調したいのはNPCのルートの存在だろう。ゼロ話から丹念にPC2とPC4と関係をつけ、存在感を増してきたところにこの流れだ。 一話最後におや、と不穏なものを掴むものの、止める選択肢すら出現せずに彼女は離脱してしまう。さらにPC1も星花の犠牲が仕組まれていたことを知る。 徹底的に十代の少年少女の心をぶち壊しにかかる意図があったことは否めないだろう。 恐らく想定としては壊れ、崩れかけた心でルートを殺めてしまうことでより深い奈落へ叩き落す計画だったのではなかろうか。阻止できたが。 さて、この物語の最も深い底は考えてみれば二話段階にあったように思う。 三話では若干皆再起するからだ。 紅鏡の亡霊と協力し、聖杯から出てきたドゥルガーを倒し、一件落着する。しなかったけど。 二重底じみて三話ラストでは「掴みかけた希望」を「取り落とす」という仕組みになっているが、ここまでくると深く沈むよりPC達は頭にきて走ってしまおうとなる。なった。 Kは刺される、PC4の母は倒れる、何かヤバいのは出てくる、九州は丸ごと消える。話のヤバさはラストらしく派手派手なのだが、いかんせん神様ぶった切った後なのでPLは感覚がマヒしている。 GMがそこまで仕組んでいたなら、まさに素晴らしい仕事をしたと言いたい。要するにこれまでは「落下するスリル」を楽しみ、三話目で「昇っていく達成感」を楽しめる構造になったのだ。 四話目ではいよいよ山は高く、空気も薄くなっていき、ギリギリになっていく。昇っていくと書いたが脚本的には下っていく。黄泉平坂とか。 この山の高さの素晴らしいことは話のスケールがデカいことである。九州が丸ごと消えて人々の魂が引っこ抜かれて黄泉の国に連れていかれてしまうのだから、これは中々大したものだろう。 黄泉下りで魂を取り戻して凱旋したら伊弉冉が伊弉諾に会うために神話の逆をやっちまうんだからな……。 つまりこれは神話の再現と逆転が同時進行していたのである。しかしながら黄泉の国の伊弉冉にいてもらうわけにもいかないので倒すしかない。 NPCがふらふら抱きしめにいってしまったが、そこは何か夫婦の問題だったので止める権利がPC達にはなかった。なかったので見届けた後引きはがした。 引き剥がすことに成功したことで、ようやくPC達は山のてっぺんに上り詰めた。失った日常を取り戻し、神様が相手だろうとブッ倒して自分達の明日を。 随分遠くまできたようでいて、改めて俯瞰すればPC達はスタート地点からあまり動いたとは言い難い。多少の変化はありつつも、元いた場所に戻ってきただけとも言える。 しかし、それこそが日常である。昨日と同じ今日、今日と同じ明日。しかし、何であれ、PCの少年少女は少し大人になったのではないだろうか。 そうして終わってみてみると、このキャンペーンを通して描かれたものは「日常の得難さ」であったように思う。 妖しげな遺産、超常存在の暗躍、恐るべき敵手などの要素の影に、我々が今当たり前のように過ごしている景色は決して「有って当然のもの」ではないというダブルクロスらしいテーマが見える。 簡単に壊れてしまうソレを、改めて取り戻そうとすれば、それは神、つまり世界そのものに対する反逆となる。覆水盆に返らずとあるが、盆に返してやろうじゃないかと挑む行為だからだ。 故に、PC達が最後に「それぞれの日常」を描くことになったのはとても素晴らしいエンディングだったように思う。友人との語らい、家族との時間、あるいは新たに家族になることを誓うことだったり。 人であるならば望むそれらは、決して無駄なものではないし、無駄にできるものでもない。 PC達はこれからも色々と失うことになるのだろうが、それはもう今度こそ取り戻せないかもしれない。だからこそ、今を大切に過ごさねばならない。そうしてくれ。 長い怪文書になってしまったのだが、これを平たく言ってしまうと「一本のしっかりとした柱があり、手に汗握りながらも最後には爽やかな風の吹くすばらしいシナリオでしたね」となる。 簡単に一行にできてしまったが、そこにはとてつもない労力と熱が必要である。正直なところendeavorというこの小さいながらも楽しいTRPGサークルの中での一つの到達点だろう。 それほどのカラテを我々に叩きつけてくれたGM両氏には感謝の念が堪えない。ありがとう、そしてありがとう。良いシナリオでありました。
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2020/12/11 19:08
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