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2020/06/20 21:44
🤔 言語哲学 いわゆるソシュールの社会言語学とかで触れる内容。 シニフィアン(記)とシニフィエ(義)は恣意性により結び付く。それが、広域複数他者に約束されればラングとなり、己だけに理解がおよぶのならばパトロールとなる。 もとより恣意的(なんとなーく)な結び付きであるがゆえに、人間の本質から、言葉は常に遊離する。 たとえば冷たいものに触れるとき「冷たい」と頭の中で言語化すれば、それは肉体が冷たい刺激を受けたものを無理やり名前をつけて分類し、理解したつもりになるにすぎず、その冷たいの本質は確かに肉体が知覚したのであろうけれども、言語記号として置き換わってしまう。「さびしい」という記号ですら、自分自身の感情を、いちど言語に変換したもので、さびしい本質とはなんとなーくの関係しかない。 人間の脳は、世界を認識するために、いわば言語のフィルターを一枚へだてて物事をみていることになる。 …… これを逆転したもの、つまり、このフィルターを張り巡らせ、分厚くし、そのフィルター同士の接触点において芸術的なわざを成そうとするのが、社会科学と自然科学を除いた部分(文系哲学分野と芸術)であり、TRPGは、その上に為される妙技だ。 PCを作るとき、これはPLのフィルターをゲームに沿う形に、その世界に入るために、作り直す作業に他ならない。しかも、いつもとは違うフィルターを通している、ということを互いに知った上でやる。 旅の恥はかきすて、というが、TRPGに恥はない。なぜなら、いつもとは違うあなたであろうはずなのだから。
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2020/06/20 21:44
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