サーラさんの日記 「わたしにとっての楽しさの再発見」

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サーラ
サーラ日記
2020/01/07 15:41[web全体で公開]
😶 わたしにとっての楽しさの再発見
はじめに。
わたしは現時点でもSW2とDX3は好きである。システムに優劣をつけるつもりはないし、まして他人のプレイスタイルをどうこういうつもりもない。
これは、わたしの感じたことだ。

わたしは、いつからかTRPGを楽しむという感覚を勘違いしていた。
ある時、DX3(ダブルクロス)をしよう、と一人の知り合いに誘われ、わたしはそれにのめり込んだ。
CoC、SW2(.5)と比べて、簡単に、ドラマチックなセッションを展開出来る。
それは、感動することが大好きなわたしにとっては、最高の場所だと信じて疑わなかった。

初めてDX3をしたとき、わたしはSW2の癖が抜けず、同じキャラクターを何度も別のシナリオで使い回すものだと思っていた。
しかし、回数を重ねるにつれ、シナリオごとに、同じPLから種々様々なPCが提出されて、それは特殊な遊び方とわかった。

シナリオごとにハンドアウトが存在する。こういう立場で、こういう目的をもったPCが求められている。
そして、それに沿ったPCを作る。とても新鮮で、楽しい遊び方だった。
このキャラクターにはこういった過去があるので、それに沿ったシーンを展開する。
シーンに出ているわたしのPCは、わたしの目にもとてもかっこよく写った。無論、他人のPCもそうだった。
強い構築に裏付けられた強い動きは、そのままキャラクターの凄みを醸し出す。
あまりに強すぎると他人の必要性が薄くなるように感じる、といった点は今回はご愛敬。
そうして、ほぼ必ずヒロインは助け出す。悪は挫く。王道だが、王道こそが面白い。

けれど、何かが欠けていた。

わたしのPCは、このヒロインと仲が良かったんだな。
わたしのPCにとって、このヒロインは大切な存在なんだな。頭では理解できた。
だから、ヒロインを助けると心に誓う。そんな熱いシーンをした。
ヒロインを救った後、感謝や、胸に秘めた想いを打ち明けられる。それにわたしのPCは返答する。そんな心躍るようなシーンもした。
しかし、そこに打ち震えるような感動はなかった。

それはただ、不快ではないだけだった。
居心地が良いだけで、DX3のやり方でわたしの望む最高のセッションを行えたことはなかった。
不快ではないセッションをするだけでは、わたしにとって、心から楽しい環境やセッションとは言えない。
数年間このシステムをずっと遊び続けて、やっとたどり着いた、わたしにとっての楽しさに繋がる答えの一つだった。
それに気づいたとき、わたしは衝撃を受けた。

何故、そしていつから勘違いしていたのかを振り返る。
その方法は単純で、楽しかった瞬間を思い出して、現状と照らし合わせる。
これを繰り返して齟齬が出れば、そのように現状が変化した経緯を思い出す。
わたしが楽しかった瞬間は次の通り。

自分のPCの深い設定を誰かに見てもらい、その人が夢中になってくれること。
自分が他人のPCの深い設定を見て、夢中になること。なんとか助けようとしたり、関わろうとすること。

出てきたものも至ってシンプルで、わたしはどうしようもないほどに他者との交流が大好きなのだと感じた。
そして、満たされていない理由もハッキリした。

わたしが、他人を夢中にさせるような設定を書けなかった。
他人が、わたしを夢中にさせるような設定を作っていなかった。
それらが夢中になれるような設定だとしても、交流するタイミングがわからなかった。

設定を書けない理由はモチベーションの低下だ。他人のモチベーションが低下する理由は分からないが、
わたしに限って言えば、キャラクターの奥深くを見せることが皆無だったからだ。だから、交流もなかった。
理由は沢山ある。

時間を使って、セッション進行の妨げになるから。
シナリオとは全く関係のない物語の軸が出来てしまい、せっかく練ってきたシナリオを台無しにしてしまうから。
そもそも、一度きりしか使わないキャラクターを掘り下げても、二度と使わない以上労力に見合わないから。
ヒロインの役目を奪うことになりかねないから。

普段メリットとされるあらゆる要素が、わたしの楽しみ方に立ち塞がった。
わたしが今まで最高の環境だと思っていたものは、実際には絶対にわたしが心から楽しむことはできない環境だった。

わたしが心から楽しんでいた環境はどういうものだったかを思い出して、気づいた。
わたしの遊び方は、単発セッションのプレイヤーには向いていない。
一度きりしか使わないキャラクターを掘り下げても、二度と使わない以上労力に見合わないから。
わたしの遊び方は、異なるハンドアウトを用いたシナリオのプレイヤーに向いていない。
ハンドアウトを使った時点で、それはわたしが独自に考えたキャラクターの性質ではなく、物語に必要な歯車に成り代わってしまうから。

それを叶えてくれる場所は、一口に言えばフリーキャンペーンのような形式だった。
わたしも他人も同じキャラクターを使い、複数回にわたって交流したり、
セッションを行わない時間で、茶番と称して互いのキャラクターを理解しあったり、
個別ハンドアウトの存在しない、同じ存在として触れ合うことが、わたしは大好きだったのだ。

そうして、さらに気づいたこともある。
シナリオの展開には全く関係しない以上、全く考えなくても問題のないもの、
キャラクターの効率的な育成を考えれば不要な要素(ほぼ確実にセッション中使わないが持つものなど)、
それらは、往々にして無駄と省かれたり、一部の人間からはエンジョイだのパーティーに貢献すべきだの叩かれることもある要素だ。

それでも、わたしはそれらは必要なものだと思っている。
その無駄は、いわばキャラクターに深みを出すスペースだ。必須とまでは言わないが、問題が表出しない限りは咎めるものではない。
少しの無駄を用意することで、とっておきの展開を共有できるのなら、それはとても割のいい投資だと信じている。

さいごに。
これだけ書き連ねたところでわたしの100の質問を覗いてみたら、これまでの話の総括のような答えが出てきてとても驚いた。
なので、そのまま利用して締めくくろうと思う。

Q99. TRPGの楽しさとは何ですか?
セッションを通して自分のキャラを好きになってもらい、相手のキャラを好きになる。
そういったプラスの感情を投げ合うことに尽きると思います。
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レスポンス

鴉山 響一
鴉山 響一サーラ
2020/01/08 01:15[web全体で公開]
> 日記:わたしにとっての楽しさの再発見

はじめまして。
大変興味深く拝読しました。
DX3を含めハンドアウト制のシステムの恐らく大半は、喩えるなら90分の映画を見ているような感覚なんでしょうね。熱い展開も、涙する場面もあるやもしれませんが、終わってしまえばそれまでといったフラットな余韻が残りがちです。

私は原則としてキャンペーンしか主宰しませんし、プレイヤとしても同様です。そして絶対に同一GMの管理下のもとでのキャンペーンにしか参加しません。いわゆる持ち回りキャンペーンの意味も意義も分かりますが、それでは担当するPCの、継続することによる立体性が構築できないからだと思います。

プレイヤキャラクタも人間である以上、他者との関係性の変化が感じられてこその愉しみではないかと思うからだと捉えています。

佳きキャンペーンセッションとともにあらんことを祈っています。

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