遊牧家族さんの日記を全て見る
みんなの新着日記を見る
😶 仏教を用いてエネミーの動機を読み解く TRPGのセッションにおいては、PCと対立するエネミーがしばしば必要になります。 動物や機械、自然災害などの、これといった動機を持たないエネミーならばよいのですが、 時としてエネミーに人間的な動機が必要になることがあります。 エネミーの動機があまりに理不尽だったり、PCと対立することとの間に整合性が見られないような場合、 「果たして対立する必要はあったのだろうか?」とPLに疑問を持たれかねません。 そうしたセッションの満足度は下がるでしょう。 逆に、筋の通った動機をエネミーに与えることができれば、 「悪さをしていたから倒したけど、あいつも可哀想な奴だ」と哀れんでもらえたり、 「その動機は理解できるが許せない。絶対に倒す」と全力を挙げてもらえたりします。 ゲームシステム上で動機が重視されることはあまりありませんが、 セッションの満足度に影響するため、おろそかにしてよいものではありません。 では、どうすればエネミーに筋の通った動機を与えることができるでしょうか。 私は、仏教における四苦八苦をもとに、エネミーの動機を考えています。 「苦」とは、普段言うような苦しみとは違い、「ままならぬこと」という意味を持ちます。 もちろんこの世界はままならぬことだらけなわけですが、仏教はこれらを次のようにまとめました。 生苦:どのように(いつ、どこで、誰の子として等)生まれ生きるかは、ままならない 老苦:老いてゆくことは止められない(逆に、早く老いることもできない) 病苦:病気になるならないは、思い通りにならない 死苦:死なないことはできない 愛別離苦:愛するものともいずれ別れる 怨憎会苦:憎しみに出会うこともある 求不得苦:望むものは得られないものである 五蘊盛苦:人の感覚と精神とは不自由なものである 五蘊盛苦については、もう少し解説が必要です。 五蘊とは、人間の感覚や精神の働きを分類する考え方で、 色:物質 受:感受 想:表象 行:意志 識:認識 これら五蘊への執着が苦につながるとされています。 さて、これらの苦―ままならなさを前にしたとき、ヒトとして何をするか、が考えるべきポイントです。 釈迦は、そもそもこれらの苦は、煩悩によって引き寄せられていると説きます。 煩悩は「悪い考え」とか「心の穢れ」とか説明されることが多いのですが、 ここでは悪い意味の「こだわり」であると考えましょう。 たとえば先に挙げた求不得苦(望むものは得られないものである)にしても、 その望むものへの「こだわり」がなければ、そもそも苦ではなくなります。 ですから、釈迦の教えは、これら煩悩―「こだわり」と向き合い、なくしていくことにつながります。 とはいえ、今の私たちは修行者になろうとしているのではありません。必要なのはTRPGのエネミーです。 釈迦の教えを踏み外し、「こだわり」と向き合わずに苦をなくそうとすれば、それがそのままエネミーの動機になります。 例えば、他人の苦しむ様に快楽を覚えるサイコパスというエネミーがいたとして、 彼は、「他人の苦しみが甘美である」という感受に執着しているわけですから、 五蘊盛苦のうち受を代表していることになります。 亡くなった身内を甦らせるために生贄を集める邪教の神官は、愛別離苦の代表ですし、 不老不死を求めて死苦に挑戦するエネミーは枚挙に暇がありません。 自分のエネミーはマンネリかな? と思うようなことがあったら、 今まで自分が書いてきたエネミーを四苦八苦にあてはめてみて、 あてはまらなかった苦を次回使ってみる、 といった使い方をしてもらえれば幸いです。
> 日記:仏教を用いてエネミーの動機を読み解く 仏教(´・ω・`)!
コメント欄:(最大1000文字)
web全体で公開 友達まで公開 本人にのみ公開 ※投稿するにはログインが必要です。