七つの怪談「牛の首」#松竹梅雄
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登録日:2021/07/06 07:08最終更新日:2021/07/06 07:08 |
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55. 鏑矢 | |
2021/08/14 16:55 |
>ペンで書き写す 何を書き写しますか? 地図? 地図を正確に全部を書き写すのは不可能です。 (なんらかの技能が必要です) 逆に、手元に地図があって、目的を絞って大まかな場所等を書き写すだけなら、目的次第ではありますが、そんなに難しくはありません。 書き写すのが地図の話ではなくて、資料や記事の話でしたら、やはり内容にもよりますが、時間さえかければ書き写す事は出来ます。 具体的に何をしましょうか?
53. 鏑矢 | |
2021/08/14 09:41 |
(下のコメントからの続きですが、下のコメントは、さらにその下から続いてます。 ふたつ下のコメントから先にお読みください) 役人が廃墟で見た人骨の数はその村の全員の数に相当し、牛骨も飼われていた家畜の数と一致していた。先輩は、廃村の記録を破棄し、何も見なかった事にしろ、と助言した。 山奥で見たものや先輩の推測に底知れぬ恐怖を感じた役人は、言われた通りにしたが、日露戦争の時代、死の床にあって初めて、親族にこの不気味な話を聞かせた。 親族の誰かから、牛の村の話は世に漏れる事になったのだが、この時、せんばの推測の間違いに気づいた者がいた。 牛の村は共食いで壊滅したのか? そうではない。そもそも牛の村の話をした今日泊村の者たちこそ、隣村の民を牛追い祭りと称して狩り、全滅させたのだ。 そうでなければ、牛の村の全員の骨を誰が埋められるというのだろうか。 あるいは役人の先輩は、今日泊村の先祖達が咎人と知り、だが、その罪を子孫に問う事は出来ないと考え、廃墟の話そのものを闇に葬るよう助言したのかも知れない。 これが「牛の首」の話の真相であり、誰にも語られる事が出来ない理由であるという…。 以上が、それなりの時間を割いて梅雄君が見つけた記事になります。 郷土資料館では、新旧のこの辺りの地図なんかを見る事が出来ます。 撮影禁止となっておりますが、〈隠れる〉か〈写真術〉に成功すれば、バレずに撮る事が出来ます。 判定に失敗した場合は撮れなかったとなり、強行するなら、犯行が発覚し、画像は没収、出入り禁止となりますw さて、これからどうしましょうか?
52. 鏑矢 | |
2021/08/14 09:21 |
(前のコメントからの続きです) >天保飢饉の牛追い 明治初期、廃藩置県により、全国の検地と人口調査が行われた。この時、秋田の山奥に入った役人は廃墟と化した村を発見する。 廃村には凶々しい気を放つ巨石があり、その周辺から人骨と牛の頭骨が大量に発見された。 不気味に思いながら、役人は人骨と牛頭の数を記録し、検地して、その南にある今日泊という村に移動した。 今日泊村に宿をとった役人は、廃墟の事を宿の主人に尋ねる。 すると、主人は「関係があるかどうかはわかりませんが」も前置きをして、昔話を語った。 ーー天保4年ごろから数年に渡って全国を飢饉が襲った。 いわゆる天保の大飢饉である。 この地方の被害は特に甚だしく(はなはだしく)、家畜もすべて食らい、親兄弟で食物を奪い合う有様だったという。 この年の晩秋の深夜、今日泊村に異形の者が迷い込んできた。体は人間だが、頭は牛だったのだ。 不審に思った村人が捕まえようとすると、隣村(今は廃墟となっている村)の者が松明を持って大勢で現れ、鬼気迫る形相でこう叫んだ。 「牛追いの祭りじゃ、他言は無用」 彼らは牛人を捕らえ、闇の中に消えていった。 翌日、村中で昨夜の事が噂になったが、大飢饉のさなかで体力も気力も限界だった為、隣村での出来事を確認を行おうとする者はいなかった。 翌年、秋田藩より徳政令が出され、人々の暮らしは少しマシになった。その際に隣村に様子を見に行った者の話によると、すでに村は廃墟と化していたという。 以降、隣村は「牛の村」と呼ばれ、誰も近付かなくなった。 そして、明治の今では、この話を覚えている者も少なくなった。 廃墟と化した隣村の事を語った宿の主人の表情は硬く、雰囲気は重苦しい。 役人はその場での解釈を避け、仕事を終えて役所に戻った。職場の先輩に相談すると、先輩は天保年間の村台帳を調べながら考えを述べた。 「大飢饉のときに、餓死者を家族が食べたという例は聞いた事がある。しかし、その巨石のあった村では、遺骸だけでなく、弱った者も食らったのであろう」 「生きた人を食らう罪悪感を少しでも減らす為、牛追いの祭りと称して牛の頭皮を被せた者を狩ったのではなかろうか」 (次に続きます)
51. 鏑矢 | |
2021/08/14 08:24 |
>検索 では、梅雄君は、郷土資料館の受付で、パソコン、インターネットの使用の予約をしますと、準備にちょっとお時間をいただきます、っていわれて、10分くらい待たされてから、作業を始める事ができます。 …が、なかなか思うように進みません。 パソコン自体が古くて、速さが出ない事もありますが、そもそもの情報が少ないようで、どれもここに来るまでに調べた中で見た事があるような話ばかりです。 >〈図書館〉 打国村、あるいは今はもうない今日泊が、「牛の首」伝承と関係が深いと考えた研究者は過去にもいたようです。 しかし、実際に手がかりをつかんだものはこれまでおらず、村の者は何も知らないか、口が非常に堅いそうです。 >〈幸運〉 しかし、その今日泊がらみで少し目を引く記事を見つけます。 (次に続きます)
50. しらたま | |
2021/08/13 18:50 |
<@!図書館> 1d100<=75 → ( 7 )= :o:成功!:grinning:スペシャル! <@!幸運> 1d100<=80 → ( 48 )= :o:成功! 「ネットにはあるかあ?」検索検索ぅ!
49. 鏑矢 | |
2021/08/08 11:46 |
>ネットで調べる >集落、牛の首 集落って、打国村と今日泊村の事ですかね? そうでしたら、打国村と牛の首の検索で、引っかかってくるものがあるかも知れません。 〈図書館〉か〈コンピューター〉のロールを。 この〈図書館〉か(コンピューター〉のロールに成功したら、〈アイデア〉か〈幸運〉を振ってください。
47. 鏑矢 | |
2021/08/07 17:56 |
>秋田県の民話、昔話を集めた冊子 食べてすぐに寝ると牛になる話は、牛がらみではあひましたが、牛の首の話とは少々毛色が違うような気がします。 そして、この冊子の中には、これ以外に牛が関わってくる話はなく、「牛の首」となると掠りもしません。 「牛の首」の話は、やはりマクガフィンであり、流言飛語が飛び交うネットの中にしか存在しないのではないか、という気がしてきます。 >打国村、今日泊村の調査 目を引いたのは、打国村は落武者の集落だと伝えられているそうです。 打ち首→打国に訛ったとされています。 さて、これからどうしましょうか?
44. 鏑矢 | |
2021/08/06 09:03 |
(前のコメントから続いてます。 下のコメントからお読みください) >郷土資料館 >牛の首 梅雄君が、郷土資料館で「牛の首」について何かないかと歩いておりますと、多少、毛色の変わったものを見つけます。 秋田の民話、昔話を集めた冊子で、地元の有志によって昭和の頃に作られたもののうちのひとつでした。 >食べてすぐ寝ると牛になる その昔、山中に美女がひとりで住んでいた。 裏手には牛が何頭もつないであって、暮らし向きはよさそうだった。 山を越えようとする者がその小屋を見つけ、一晩の宿を乞うと、美女は快く招き入れ、肉鍋と酒をたくさん振る舞ってくれる。 「うまいうまい。しかし、一見の旅の者にこんなごちそうを…」 旅人が恐縮しながらそういうと、美女は微笑んで答える。 「人も通わぬ、この寂しい庵を訪ねてくださった方への感謝の気持ちです」 肉は裏で飼っている牛を屠殺したものらしいが、それにしても気前がよい。それにかよわい女が、どういった手際で牛一頭をさばいたのだろうか。 腹を満たした旅人はすぐに睡魔に襲われ、それを察した美女は隣室の布団へ案内する。 そして…翌朝、目を覚ましたとき、旅人は裏手につながれている自分に気づく。体は牛に変化し、もはや助けは求められない。旅人は山妖の罠にかかったのだ。 さらに時が経ち、次の旅人が庵を訪ねると、あの美女が包丁を持って牛たちの前に現れる。いや、美女だったものは恐ろしい形相の老婆と化していた。鬼婆は新しい旅人のため、かつての旅人を慣れた手つきで解体していくのである。 神通力で鬼婆ほ悪業を知った高僧・久蛮は、友人の力士比内灘に相談を持ちかけた。 比内灘は、あえて美女の庵に立ち寄り、歓待を受けた後、食べてすぐ寝てしまった。しかし、彼は関取なので、牛にならなかった。 翌朝、比内灘は久蛮に教わった経文を唱える。 「うんさば、うんさば、だたねせが!」 すると、たちまち鬼婆は正体を現した。比内灘が得意の張り手をかまして退治すると、牛にされていた旅人たちは、人間の姿に戻ったという…。 >郷土資料館 郷土資料館は、ガラガラで、利用者はほとんどいません。 また、図書館と同様にインターネットに接続パソコンがあります。 こちらも予約制のようですが、前述の通り、郷土資料館はガラガラなので、すぐ使えそうです。
43. 鏑矢 | |
2021/08/06 08:41 |
>郷土資料館 では、梅雄君は、教えてもらった郷土資料館に向かいます。 図書館→郷土資料館での調査は、2、3日かかったと思ってください。 郷土資料館は、小さめですが、図書館と同じで、こんな田舎のものにしてはそれなりにしっかりとした建物で、和洋折衷の外観をしており、白っぽい防火レンガを使用して建てられているそうです。 料金は300円ですw さて、中を見学しますと、パネルや模型などを使って分かりやすく展示してあり、養蚕業で栄えたこの地方の歴史なんかがよく知れる(〈歴史〉の判定に成功した時と同様に、経験チェックを得られます)んですが、御洲町はともかく、打国村や今日泊村については、近隣の村として他の小さな集落と同じようにちょっと紹介されているだけで、あまり詳しくありません。 打国村、今日泊村の調査として〈図書館〉の判定をお願いします。 御洲町の目に付いた情報としては、隠れキリシタンの集落で、昔は土着化キリスト教の信者がいた、という事くらいでしょうか。 木製の古く小さな十字架が展示されており、荊の冠をかぶったキリストが磔にされたりしております。 続きますw
41. 鏑矢 | |
2021/08/02 06:12 |
「牛の首事件?」 司書のおじさんは不思議そうに首を傾げましたが、まぁ、それはそれとして、という感じで言葉を続けます。 「この辺りの事について調べるなら、郷土資料館に行ってみてはどうですか? ここから15分ほど歩きますけど、充実してますよ?」 …と教えてくれます。 体よく追っ払われている気もしますが、さてどうしましょうか?
39. 鏑矢 | |
2021/07/31 18:46 |
>〈図書館〉 >牛の首事件 打国村と今日泊村における牛の首事件は、事件そのものがなかった事にされた。口外したものは必ず殺されるそうです。 村には箝口令が敷かれ、警察には賄賂を握らせたといえ事でした。 記録が残ってないという事そのものが、あの噂の信憑性を増すような気も、そもそもが与太話なんだという事を意味しているような気もしますw 牛の首や、事件についてはけっこう文献を当たりましたが、ほとんどーーというか、まったくありませんね。 今から思い返すと、梅尾君が図書館で見つけた記事は、インターネットからの記事の転載だったような気がします。 >〈幸運〉 梅雄君が熱心に文献による調査をしておりますと、司書のおじさんが話しかけてきます。 優しそうな感じですが、長時間居座る怪しげな風貌な男を警戒しての事だったかも知れませんw おじさんは、何を探されてますか? …と尋ねて来ました。 さて、どうしましょうか?
38. しらたま | |
2021/07/31 13:04 |
<@!図書館> 1d100<=75 → ( 48 )= :o:成功! <@!幸運> 1d100<=80 → ( 80 )= :o:成功! 「ここらへんはこの前見たのとかわらないなァ。牛の首のはねえんか」