2022/9/24実施のセッション、『ケダモノオペラ体験版 - 少年と絵』でのセッションを物語的に書き残すリプレイになります。 リプレイというよりもセッション結果を基にした短編が正しいかもしれません。 https://trpgsession.click/session-detail.php?s=166369083574louisnene0711 ゲームマスター:UndoNene さん プレイヤー:ゆうひ (リプレイ筆者) 使用キャラクター: ・ケダモノ名:ハティ ・ケダモノ種:ヤミオオカミ ・権能:暴虐 ・欲望:審美 報酬 ・住処:ストーンサークル ※注意点※ ケダモノオペラ体験版-少年と絵の内容となります。 (再度遊べるという意味で)リプレイ性の高いシナリオとなりますが、ネタバレを避けたい場合は読まない事をお勧めいたします。 ※注意点おわり※ §0 プレリュード ──むかしむかし 機械が空を飛びはじめ、剣と魔法が昔語りとなった頃…。 大きな轟音が響く。森の木々がその音の衝撃でさざめき、リスやうさぎなどの小さな生き物たちは恐れ慄き逃げ惑い、鳥たちは不安な心もちを謡い合う。 ハティはその原因を目にしていた。空を飛ぶ機械が、尾ひれのついた黒い魚のような物体を落としたのだ。それが地面へと落下ししばらくたつと、伝わってきた音がハティ達の身にその衝撃の凄さというものを伝えてくる。 空を飛ぶ機械から放たれた魚の一匹が落ちる。またも衝撃と共に、建物が崩れる音が微かに伝わってくる。 「たしか、あそこには人間の聖堂があったな」 魚が落ちた場所をハティは思い出す。人間が自らの力を用い作った聖堂、彼らの信仰する者に捧げるために建てたものなのであろう。 空を飛ぶ機械もヒトが作ったものと聞いた事のあるハティは、なぜ彼ら人間がそんなものを壊すのか。そんな興味を持った。 ハティはそれを確かめ、聖堂が捧げる者に慰めや皮肉の言葉を投げ掛けるのも一興と思い、あす聖堂へ赴く事を決めた。 §1 失われた天井画 ハティは人々の間で『ケダモノ』と称されるヤミオオカミの一頭だ。 ケダモノというのは、ヒトを象った疑似餌を造りだし、時にはヒト交流し、時にはヒトを喰らう。そういった特徴をもった生き物である。 疑似餌を本物と思い込んでいる相手はケダモノの本体を知覚することはできないが、もし「仲間ではないかも」「ケダモノかもしれない」と疑われでもすれば、本体であるケダモノの姿は見えるようになる。 聖堂に近づく前に、ハティはその尾の先をヒトの姿に造りかえる。ヤミオオカミの姿のままで人間に怖れられ、黒い魚を差し向けられでもすればたまったものではない。 時代外れの剣士の姿をした疑似餌を操り、ハティは聖堂へと向かう。 町の外れにある聖堂に近づくと、ハティはむせるような臭いを感じる。町にも目をやると、消火によるものか、黒い煙がいくつか立ち昇っている。 妙なのは聖堂である。今ままで人間同士の争いは幾度とあったが、聖堂が壊される事はなかった。しかし今では、空を飲み込もうとするかの様に、その屋根をぽっかりと開けていた。 かつては美しかったであろう聖堂。今では扉は無く、壊れた天井からは燦燦と日が差し込んでいる。そんな聖堂の中央で、ひとりの少年が青空を見上げて立ち尽くしていた。 その少年が方から提げている鞄からはスケッチブックを顔を覗かせていて、ポケットには画材が差し込まれている。 ハティは少年に近づく。近づくハティの足音に気付いたのか、少年は振り返り照れくさそうに微笑みかけてくる。ハティはそんな少年にいぶかしげる表情を浮かべる。 「こんなところで何をやっている。崩れるとあぶないぞ。」 「この聖堂の天井画を見に来たんだ。・・・・でも壊れちゃったみたいで。」 遠い街から来た少年は、リュミエールの『天空の世界』というフレスコ画を見に来たのだそうだ。それは人間たちにとっても大層美しい天井画だったようで、この国の絵描きがみな憧れていたという事を教えてくれた。 「その、フラスコ画?というものが見たかったのか。しかし皮肉なものだな。彼らの神に捧げた聖堂であったろうに、それを自ら壊すとは。」 ハティは更に顔をしかめる。人間の信仰する神にいくばくかの同情と、自ら捧げものを壊す人間の行為に対してである。 「うん。残念ながらここも戦争で焼けちゃったんだね。天空の世界を僕は模写でしか知らないんだけど、それはそれは見事で」 「はぁ・・・・ひと目見たかったな。ひと目でいいから・・・・・・」 少年はスケッチブックの入った鞄を抱きしめ、ため息をつく。彼自身も絵を描くのだろうか。 話を聞いたハティの脳裏には、何かがよぎる。この聖堂の尖塔を別の場所で見かけたことがあるのだ。しかし、永遠を生きているケダモノの彼にとって過去を思い出すのは簡単ではない。 「そういえば”闇の森”の”夢が流れ着く岸辺”という、人々の記憶から物や建築物が実体化してあらわれる場所がある。」 「たしか、そこでこの聖堂と似たものを見た記憶がある。そこであればお前のみたかった天井画をみれるかもしれんな。」 ひとときの思索のあとからつむがれるハティの言葉を聞き、少年は興奮する。 「ええっ、この聖堂がもうひとつあるの?」 「でも”闇の森”って、昔話に出てくるケダモノの暮らす森だよね。神父さまは、ケダモノは恐ろしい悪魔だって言ってた。君はそこまに行ったことがあるの?」 「君は・・・・何者?」 ハティはまずった。と思った。このままでは黒い魚を差し向けられるのではないか。 「ああ、俺はその闇の森で狩りをしている。いくつかのケダモノにも遭った事があるが、すべてがすべてそういった者ではない。」 闇の森で狩りをして生きているのは嘘ではないし、他のケダモノと遭ったことがあるのも本当だ。我ながら上手く誤魔化せたのでは、とハティは自らを褒めた。 それを聞いた少年は、しばらく黙りこくった後につぶやく。 「でも・・・・あの絵を見れるんだったら・・・・!」 顔を上げ、少年はハティに対し願う。 「僕はパウロ。ねえ、お願いだよ。僕をそこまで連れてって・・・・!」 ハティは「まずった」と思った。 パウロは闇の森のケダモノ達を恐れている様子であるから、きっと闇の森を通り『夢が流れ着く岸辺』に行こうなどと思わないだろうと勘ぐっていた。咄嗟に闇の森で狩りをしていると言ったが、それが彼を勇気づけてしまったのであろう。 ハティは自分の正体をとぼけた過去の自分を恨む。 「そうは言っても、なぁ・・・・」 また困ったことに、パウロはなかなかの美少年だ。 目鼻顔立ちは整っており、クセのある髪がかわいらしい。細身ではあることも相まってか、麗しい雰囲気を漂わせている。 パウロはハティの審美眼に適っている。そんな者の頼みにハティは弱かった。 「仕方ない。連れて行ってやろう。ただし、報酬を返せ。それが条件だ。」 美少年に弱いハティであるが、ここだけは譲れなかった。頼みは聞いてやるが、その見返りは求めてきた。 「でも僕は両親が死んじゃって、残っているものは何もなくて・・・・」 パウロは徐々に語尾が弱くなっていく。 見かねたハティはパウロが持つスケッチブックに気付く。 「お前、絵を描くのか。」 「うん。でも、まだそんなに上手くは描けなくて。」 ハティにとっては『上手い絵』とやらはどうでも良かった。そうであれば、パウロが語る美しい天井画のあるこの聖堂に、ハティはあしげく通っていただろう。 「別に上手くなくとも構わん。お前がお前の持つ技術をもって、俺に報酬を渡してくれればそれで良い」 ハティにとっては報酬を返す者が、自分の持つものを駆使し返してくれるものに価値を感じている。ハティはそれを集めているのだ。 「絵がもっと上手くなったらそれをあなたにお礼として渡すよ!それじゃだめかな・・・・」 「それで構わん。」 ハティは報酬が本当に返ってくるのだろうか若干不安になりながらも、ぶっきらぼうに応える。 「それじゃあお願いするね。えっと・・・・」 「ハティだ。」 そんなやり取りをし、二人は青天井の聖堂を後にする。 §2 蜘蛛の群れ 二人は”闇の森”に足を踏み入れる。木々が拵える古い樹皮が、この森の歴史の古さを物語っている。 何者も居ないのではないかと思わせるような静けさの中、時々聞こえる鳥や獣の喚声が二人を驚かせようとしてくる。 パウロはそれに怖じ気る事はあっても、素直にハティの後ろに付き従う。怖れを感じては居るようだが、『天空の世界』をひと目みたいという興味か、ハティが居るという安心からか、それともそのどちらともなのか。 少なくとも怖れが彼の足を止めさせる事はない。 時としてパウロが露出した木の根につまづいたりツタに足をとられたりするところを、ハティがその度に手助けをしながら二人は森の奥へと進んでいく。 手が掛かる事にハティは若干うんざりしながらも、これも報酬のためと歩みを進める。 しばらくすると森がだんだんと濃くなり、巨大な植物が生い茂っている場所へ入っていく。気が付けばその植物たちの間を光り輝く精霊たちが飛び交っている。 そんな幻想的な光景を目の当たりにしたパウロは 「すごい・・・・! まるで昔、お母さんに読んでもらった童話の本みたいだ。」 「こんな光景が見れるなんて思いもしなかったよ。」 と、ハティに興奮を伝えてくる。 ハティからすれば森でよく見かける光景であり見慣れたものであった。それに、自分へ捧げられた報酬でもなければ、彼は特別な興味を抱く事はない。 「そうか? それは良かったな。」 「まあなんだ。そんなに良いものならば、ここで絵でも描いてみるか?」 そう言い傍らのパウロに目をやると、そこにパウロの姿はない。 慌てて見回すと、足に絡んだ蜘蛛の糸によってパウロは樹上に吊り上げられている。それを合図にするかのように、あたりに10匹ほどの蜘蛛たちが現れる。 その背後にいるのは、ひときわ巨大な蜘蛛のケダモノ。アラクネとその子供たちだ。 ヒトの気配を感じて、アラクネが罠を張っていたのだ。 「またお前か。 懲りんな。」 そう言うとハティは影に身を潜める。 影から影へ飛び交いながら子蜘蛛たちを仕留め、影海から虎視眈々とアラクネを狙う。 その動きはヒトというにはとてつもなく機敏で、獲物を狙うオオカミの様であった。 狙った獲物と供に居たのがケダモノであったこと、そして自分が不利な状況にある事をアラクネは察したか、影に居るハティへと声をかけてくる。 「げせんな。ケダモノであるお前が、なぜ喰いもせずあの人間を守る?」 「いかにもうまそうだ。これほどの魂の匂いは、数百年ぶりに嗅ぐ。それにとても美しいじゃないか。」 「お前が食べぬなら、よこせ。さらに子を産むために、よき魂を喰らわねばならんのだ。」 アラクネの提案に対し、影からハティは威嚇する。 「知った事か。」 「そいつを離さんとこちらにも考えがあるぞ。」 そういって、明らかな殺意をアラクネへと向ける。 「ヒトの子を飼って、永遠の退屈を慰めるか? くだらん・・・・実にくらだん」 「おまえと戦うためには、もっと子を呼び集めねばな・・・・」 そう吐き捨てると、アラクネは去っていく。ハティは辺りに蜘蛛がもう居ないか見渡した後、蜘蛛の糸からパウロを助け出す。 パウロを地面に降ろし目立った傷がないか確認していると、パウロはおもむろに口をあける。 「伝説のとおりだ。ケダモノはやっぱり、人間を食べるんだね。」 「あの大きな蜘蛛が言っていたけど、君もケダモノなんだね・・・・?」 パウロの当然の投げ掛けにギクリとしながらも、ハティはとぼける 「ああ・・・・ 影に隠れて隙を探していたんだがな。」 「そこにトカゲのケダモノが居てな。そいつと俺は友達なんだが。」 「トカゲは蜘蛛にとって天敵なようで、そいつに対して言っていたんだ。」 実際にトカゲのケダモノの知り合いはいる。ここには居なかったが。パウロから怖がらないようにまたとっさに取り繕う。 「そうなんだ・・・・ でも助かったよ。」 「はぁ、ちょっと疲れちゃったね。それにおなかも減ったかも。」 パウロはそう言って、ハティにもたれかかる。言葉以上に消耗しているようだ。 ぽつりぽつり と雨が降り始める。空を見上げると、雲海が辺りを覆っている。遠くからは、雷の轟まで。 もう少し進めばハティの住処がある。そこまで行けば疲れ切っているパウロを雨風に曝す事も無く安全に休息できるだろう。 ハティはパウロを背中に抱え、住処へと向かう。 §3 あらしのなかで 木々の密度が薄くなるところで、大きな石が意味ありげに群立している。その巨石達は輪となっておりストーンサークルを形成している。 それこそがハティの住処である。森の中へどのようにこれらの巨石を持ち込んだのか。今を生きる人間達には到底理解できないだろう。 ストーンサークルには部屋のように囲われた空間がある。雨風を遮る事ができる事ができるそこは、ハティが寝床として使っている石室だ。ハティはそこへパウロを降ろし寝かせる。 外は激しい嵐で巨大な石ですら雨の叩きつける音を防ぐ事はできない。 ハティが話しかけてもパウロはうわごとの様な答えしか返さない。熱っぽくはあるが、ヒトの身体に疎いハティであっても、その様子がおかしい事に気付く。 単に長旅の疲れが出たという類のものでなく、身体は病に蝕まれ弱っているようだ。 よくもまぁこんな身体で森を歩こうなどと思ったものだ。何とも愚かだな。そんな感想を抱いたハティは石室を見渡す。 そこにはかつて人間達から報酬として捧げられた品々が、立てかけられたり敷き詰められたりなどしている。どれもケダモノであるハティにとっては下らないものだが、そもそもが脆弱な身体を持つ人間が愚かなりにも自らの技術でもって作り上げたものだ。 闇の森に住む小人どもでも物を作り生きてはいる。ただそれは人間が言う所の「豊かさ」とは異なり、鳥が寝床を作る様なものである。 それに対して人間はどうだ。鳥に憧れ尊敬し、今では自らも機械で空を飛んでいると聞く。羽虫や兎を捕らえるためでも無いのにそんなものを作るのだというのだ。飛ぶことに価値を見出し、実際にそれを糧にしているというから愚かだ。 他の生き物では狩りや住処づくりが出来ない無能なぞ掃き捨てる。だが狩りすらできない機械を作る無能を、人間は掃き捨てるどころか誇りと感じている始末だ。 このパウロに至ってもそうだ。たかが絵ごときに必死の思いで闇の森に足を踏み入れた。絵に対して「感情が沸き起こる」だとか「学べるものがある」などと人間どもは嘯くが、そんなものに何の意味があるのだろうか。 ハティはパウロをみやる。その細い身体で荒い呼吸に肩を上下させている。これでは絵なぞ描けるはずもなく、報酬をハティに渡す間もなく憔悴し死にいたるだろう。そんな予測を建てたハティは本来の姿であるヤミオオカミの姿をあらわし、大きな口で、パウロにぱくりとかぶりつく。 外はすっかりと晴れ、嵐があったことが嘘のようだ。鳥たちは晴れ間に飛び立つ羽虫を、この機を逃すものかとばかりにせっせと捕食している。 疑似餌であるヒトの姿に戻っているハティは石室から外をみやる。屋根から垂れた雨水が地面に小さな穴をあけ、そこにまた雨水が垂れ落ちてゆく。 ハティがしばらくそうしていると、彼の背後で蠢くものがある。ヒトというにはあまりにも小さいそれは口を開きこう呟く。 「あれ・・・・ハティ。僕は寝ていたみたいだね・・・・」 その声を聴きハティは頭をそちらの方へ向け、目線をそれに向ける。そこにはヒトの子供の中でも細身で、華奢ではあるが麗しい雰囲気を漂わせた少年が絨毯にくるまれている。絨毯には刺繍がほどこされており、オオカミの意匠も施されていた。 「起きたか。」 「それを喰え。少しは良くなる。」 パウロの横にはこれまた豪華絢爛な装飾の施された皿が置かれており、その上には焼かれた一羽の兎肉が盛られている。世の陶器好きが見たら怒り狂いそうな光景だった。 盃もありそれには水が張られているが、どうも生臭く雨を貯めたようにしか思えない。 「ハティが僕を治してくれたんだね・・・・ありがとう。」 まだ疲れているのか、横になりながらパウロは続ける。 「ケダモノは魔法を使えるって聞いたけど、本当なんだね。」 そのパウロの言葉に対し、ハティは「あー」という声を発した後にとぼけるかのように応える。 「そうだな。お前を蜘蛛から助け出した時も言ったが、俺にはケダモノの知り合いが居る。」 「そいつに頼み込んでお前の病を治してもらった。感謝するならそいつに感謝するんだな。」 ハティの返事を聞き少し考え込んだあと、パウロは目線を逸らしながら話し出す。 「あのね? ハティ。僕、君に黙っていたことがあるんだ。」 なんの話だ。そんな顔でハティはパウロに顔を向ける。 「僕、普通の病気じゃないんだ。」 「僕の町に降り注いだ爆弾には、毒があったんだ。家族も友達も家も学校も、僕がスケッチブックに描いたものはみんななくなっちゃった。僕の身体、お医者様にもどうしようもないんだって。」 「だから・・・・だから最期にあの絵がひと目見てみたかったんだ。」 「でも僕は長く生きられないから、君に報酬を返す事なんてできない。だましてごめんよ・・・・」 バクダンとはあの空飛ぶ機械から落ちてきた魚のことだろうか。そういえば魚の内臓のあった場所に香辛料を詰め味付けされた料理を振舞われたな。そんな事を思い出しながら、ハティはパウロの話を聞いていた。 「報酬は返してもらわんと困る。それが俺にとっての絶対的な条件だからな。」 「じゃあ代わりに僕を食べてよ。こんな僕の肉なんて、おいしくないかもしれない。でも、僕あの絵が見られたら、君に食べられてもいいよ・・・・」 「知った事か。それに俺はケダモノじゃないからお前なぞ喰わん。お前がくたばったらケダモノの知り合いに喰わせるだけだ。」 脆弱であろうとも、自らの持ち合わせるもので生き抜こうとするのが人間であろうが。ハティはパウロの言葉に苛立ちを覚えながら、その憔悴しきった様子から、彼に天井画を見せられないのではという焦りを感じる。 「先が短いなら急がねばならんな。もう出るぞ。」 そう言って香辛料で防腐処理された皮袋の中に兎肉を放り込み腰に提げ、パウロを背負う。そして獣の臭いがする石室から出て夢が流れ着く岸辺へと急ぐ。 §4 外(と)つ川の氾濫 闇の森をハティとパウロの二人は進む。正確には、パウロを背負ったハティが焦ったように黙々と森を進めている。 「そういえば、今さっきのは君のおうちなの?」 背負われているパウロが顔をハティへと向けて声をかける。 「ん? ああ。あれが俺の住処だ。」 「俺が初めてもらった報酬だ。美しくかわいらしい少女のお願いを聞いた見返りでな・・・・ そんな事はどうでも良い。急ぐぞ。」 ハティは話題を打ち切り、それを誤魔化すかのように更に足を急がせる。 ひととき進んだふたりは思わぬ障害に行き当たる。通り道を塞ぐかのように、囂々と音をたてて川の水が横切っているのだ。 おそらく嵐で、闇の森を巡る外つ川が氾濫したのだろう。ここを通らねば海岸にはたどり着くことはできない。 そのままパウロを背負ったまま川を渡れば、水に濡れたパウロは更に弱ってしまうだろう。ケダモノの姿であれば彼を背負ったまま飛び越える事もできるだろうが、それではパウロにケダモノである事がばれてしまう。 人間ではなくケダモノであることがバレたらパウロを怖がらせてしまうのでは・・・・いや、パウロは報酬を渡してくれなんじゃないだろうか。そう怖れたハティは近くに小人が住んでいる事を思い出す。 奴らに橋をかけさせる。それならば解決するではないか。パウロはハティを近くの木に寄りかからせ急ぎ小人の住処へと向かう。 パウロから見えなくなった頃合いをみてハティは疑似餌を元の尻尾へ戻す。より素早く森を駆け抜けたハティはあっという間に7人の小人が住む場所へとたどり着く。 「おい、お前ら。川に橋をかけろ。」 丸太を運んでいた小人達に言いすごむ。突然のヤミオオカミの来訪に小人達は目を白黒させ、斧や端材などの思い思いの武器を手に取る。 「きゅ 急になんだね! それにお前さんのいう事を聞く理由がない!」 小人の一人が抗議する。 「そうか。ならば理由をつくってやろう。」 そう言い終わると、ハティの毛川が月光を浴びたかのように白く輝く。ヤミオオカミとしての力を増している状態であり、小人達も変化に震え上がる。 突如として抗議してきた小人へと飛び掛かる。「ぎゃあ!」という叫び声が轟いた同時に、ハティの美しく輝く毛皮が返り血で染まる。 痛みで声も出せなくなった小人が地面にうずくまっている。 「お前たちもこうはなりたくないだろう。」 小人達が橋を作るのに十分な理由が出来上がったのだ。 小人達は必至な形相で橋を作る。暴虐そのものであるハティを恐れながらもてきぱきと組み上げてゆく。 ハティは小人に対して普段は感傷を持たないが、この時ばかりは彼らに苛立ちを募らせた。なぜ彼らは人間と違い理不尽に立ち向かおうとしないのだ。橋を簡単にかける技術は持っていても、「要らぬから」と彼らはそういったものを作ろうとしない。 人間から酒がもらえるからと作る事はあっても、そこから発展させようなどとは一切しない。彼らだって人間のようになりたいのではないのか。 そこまで考えて、はっとしたハティは何を呆けた事をと頭を振る。小人は小人なりの生き方があるのだ。それを否定する理由がケダモノであるハティにあるはずもない、 小人が橋を完成させる頃合いをみて、人間の疑似餌を作り出す。木に寄りかかりながら健やかに寝息をたてているパウロの姿をみてほっとし、その背にパウロを抱える。 小人が橋を作りきりへとへとになっている横を通り抜けハティ達は橋を渡る。横を通り抜ける際に、何も言うなとばかりに小人を睨みつける。 橋の中腹を過ぎたあたり、うたた寝をしていたパウロの鞄からスケッチブックが滑り出る。それに気づいたパウロは「あっ!」と声を上げ、滑り落ちていくスケッチブックへと手を伸ばす。 しかしパウロの伸ばした手は虚しくも空を切り、川へ落ちてしまったスケッチブックはそのまま流されてしまった。 「僕のスケッチブックが!」 「・・・・もう間に合わん。諦めろ。」 理不尽なほどの濁流がパウロの大事なものを流していく。 §5 夢が流れ着く岸辺 ハティとパウロが”夢が流れ着く岸辺”に辿りつく頃には、夜空に満月がのぼっている。広大な砂浜には無人の町が広がっており、ひとつひとつの建物は見事なものだが、考古学者が見ることがあれば時代も文化もバラバラだという感想を持つだろう。 世界に産まれ死んでいった人々の夢が織りなした、奇妙なオブジェ。 夢・・・・ ねぇ。そう思いながらハティは辺りを見渡す。ハティにとってよく分からないないものばかりだが、きっとこれらに価値を見出す者がいたのだろう。それらは何故かハティにきらきらと輝いている様にも見えたが、その素晴らしさを分からない自分にとって無縁なものだとハティは結論付けた。 このどこかでハティは聖堂を見たはずだが、この海岸はハティからしてもあまりにも広大であり、探すのも苦労するだろう。 さてどうやって探したものか。そう思い悩んでいると背後から気配を感じる。 ハティが後ろを振り返ると、森から無数の影が迫ってきているのを目にする。 森中から集められたアラクネの子供たちだ。 あの時のアラクネはパウロのことを諦められて居なかったようだ。 「パウロ!走れ!」 ハティは疑似餌からパウロを降ろし、海岸の先へと向かって逃げるように命じる。 何がなんだか分からないパウロはその言葉に従い、砂浜や瓦礫に足を掬われながらも走りだす。 「しかしこれはどうしたものか。流石にこの場所でこの数は骨が折れる。」 小さな蜘蛛たちの奥には一層大きな蜘蛛がこちらへと向かってきている。パウロを襲ったアラクネだ。 とりあえず奴をやらねば。そう思いハティは疑似餌をしまい込み建物の影へと飛び込む。 影と影を縫うように移動しながら、一匹 また一匹 と子蜘蛛達をその爪や咢で蹴散らしてゆく。 その動きにアラクネが翻弄される様子を捉えたハティは、今だ。と食らいつく。 人間の女の甲高い悲鳴を上げるアラクネに対し、ハティはその大きな口でくらいつき一思いにぱくりと食らいつく。 悲鳴を聞き恐慌したのか、子蜘蛛たちは散り散りになり森へと逃げ帰ってゆく。それを見やり安心したハティはその尻尾を疑似餌に変えハティを追う。 §6 月光の天井画 パウロの足跡をたどるハティ。足跡の先にはあの聖堂があった。海沿いに佇んでいるその聖堂の屋根は月光に照らされてきらきらと輝いている。 入り口には重厚な扉があり今は押し開かれている。ハティが扉をくぐると中は薄暗く、中央となる場所では華奢で細身の少年が、息を切らせたのか健やかな様子で肩を上下させている。 ステンドグラスからは煌々と差し込む月明り。 そこに天井の楽園がうかびあがっていた。 この幻想の天井画は、これまでこの絵を見上げてきた人々の夢がつくりだした結晶である。きっと本物以上に、きらきらと輝いているのであろう。 ハティすらも感慨にふけていると、近づくハティの足音に気付いたのかパウロは声をかけてくる。 「すごい・・・・すごいな、本当に。これがリュミエールの描いた天国なんだ。」 「僕もいつか、こんな絵を」 パウロは見つめ続ける。誰かが思い紡いできた夢を。 それは本当の天井画そのものではないかもしれない。だが、そこにあるのは間違いなくパウロが求め続けているものだ。 「そうしてもらわんと困る。報酬のために俺はここに連れて来たんだからな。」 ハティは鼻をふんっ。と鳴らす。 「今すぐは難しいけど・・・・でもいつかきっと僕は描くよ!」 「ありがとう、ハティさん。僕の夢をかなえてくれて」 パウロの言葉にハティはとぼける 「夢なんてものは俺には分からんがな。さぁ町に戻るぞ。」 絵を描くため、そして報酬のため、二人は町へ戻る。 §7 とぼけたけだモノ 戦争孤児であるパウロは貧しくも追い続けた。芸術家としての、人々に夢を与えられるような素晴らしい絵を描くという夢を。 彼の才能は多くの人に感銘を与えたようで、後世に語り継がれるほどの画家としての名声を得た。 そうして一枚の絵を描き上げた。その絵は誰に見せる事も無く、ただ見せる時が来るのを待ち続けた。 パウロの元に時代錯誤の格好をした男が訪れる。画展の手伝いをしている女性は変わった風貌の男を怪しく思いながらもパウロを呼び出すと、パウロはその男を見て感激の涙を流すのだ。 涙を流しながら立ち話をするパウロを気恥ずかしく感じた彼女は応接間で話すよう促す。時折、男の後ろを見ながら話していたパウロについて「結構な歳なもので」と男へ詫びながらお茶をだしていると、自室に戻っていたパウロが一本のアートチューブを持ち出す。 「報酬は確かに。」そう答えると男は画展を後にするのだった。 パウロを聖堂から町へ送り返したあと、ハティの眼は日に日に悪くなっていった。パウロの毒を食べたのが原因だろうか。 概ねの輪郭を捉える事はできるが、細かい模様などを見分けるのは難しい。絵画を楽しむなどもってのほかだろう。もっとも、ハティにとっては絵画の良さは分からないものだから、大した問題ではない。 人間が自分の技術でもってハティへ捧げる事に価値を感じているのだ。そうして手に入れた新たな報酬を石室の壁に貼り付ける。その絵をとぼけた瞳で見つめ続ける。 「どうだ!これが新しい報酬だ!」 威勢良く自慢するハティを前にトカゲのケダモノは少し困った顔をしている。 「そう言われてもなぁ・・・・ わしにも絵画はわからんし。」 石室の壁に貼り付けられた絵画を眺めながら、どう褒めたものやらと、うーん。うーん。とトカゲは思い悩む。 「それにしてもお前さんは人間の作る物が好きだのう。」 「好きなんじゃない!当然の報酬だ!」 ヤミオオカミのハティはとぼけた。
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圧倒的文才…!! ゆうひさんのヤミオオカミ”ハティ”は愛嬌があって、とても好きなヤミオオカミさんです。 素敵な物語を紡ぐお手伝いが出来て光栄です!
2022/9/24実施のセッション、『ケダモノオペラ体験版 - 少年と絵』でのセッションを物語的に書き残すリプレイになります。
リプレイというよりもセッション結果を基にした短編が正しいかもしれません。
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ゲームマスター:UndoNene さん
プレイヤー:ゆうひ (リプレイ筆者)
使用キャラクター:
・ケダモノ名:ハティ ・ケダモノ種:ヤミオオカミ
・権能:暴虐 ・欲望:審美 報酬
・住処:ストーンサークル
※注意点※
ケダモノオペラ体験版-少年と絵の内容となります。
(再度遊べるという意味で)リプレイ性の高いシナリオとなりますが、ネタバレを避けたい場合は読まない事をお勧めいたします。
※注意点おわり※
§0 プレリュード
──むかしむかし
機械が空を飛びはじめ、剣と魔法が昔語りとなった頃…。
大きな轟音が響く。森の木々がその音の衝撃でさざめき、リスやうさぎなどの小さな生き物たちは恐れ慄き逃げ惑い、鳥たちは不安な心もちを謡い合う。
ハティはその原因を目にしていた。空を飛ぶ機械が、尾ひれのついた黒い魚のような物体を落としたのだ。それが地面へと落下ししばらくたつと、伝わってきた音がハティ達の身にその衝撃の凄さというものを伝えてくる。
空を飛ぶ機械から放たれた魚の一匹が落ちる。またも衝撃と共に、建物が崩れる音が微かに伝わってくる。
「たしか、あそこには人間の聖堂があったな」
魚が落ちた場所をハティは思い出す。人間が自らの力を用い作った聖堂、彼らの信仰する者に捧げるために建てたものなのであろう。
空を飛ぶ機械もヒトが作ったものと聞いた事のあるハティは、なぜ彼ら人間がそんなものを壊すのか。そんな興味を持った。
ハティはそれを確かめ、聖堂が捧げる者に慰めや皮肉の言葉を投げ掛けるのも一興と思い、あす聖堂へ赴く事を決めた。
§1 失われた天井画
ハティは人々の間で『ケダモノ』と称されるヤミオオカミの一頭だ。
ケダモノというのは、ヒトを象った疑似餌を造りだし、時にはヒト交流し、時にはヒトを喰らう。そういった特徴をもった生き物である。
疑似餌を本物と思い込んでいる相手はケダモノの本体を知覚することはできないが、もし「仲間ではないかも」「ケダモノかもしれない」と疑われでもすれば、本体であるケダモノの姿は見えるようになる。
聖堂に近づく前に、ハティはその尾の先をヒトの姿に造りかえる。ヤミオオカミの姿のままで人間に怖れられ、黒い魚を差し向けられでもすればたまったものではない。
時代外れの剣士の姿をした疑似餌を操り、ハティは聖堂へと向かう。
町の外れにある聖堂に近づくと、ハティはむせるような臭いを感じる。町にも目をやると、消火によるものか、黒い煙がいくつか立ち昇っている。
妙なのは聖堂である。今ままで人間同士の争いは幾度とあったが、聖堂が壊される事はなかった。しかし今では、空を飲み込もうとするかの様に、その屋根をぽっかりと開けていた。
かつては美しかったであろう聖堂。今では扉は無く、壊れた天井からは燦燦と日が差し込んでいる。そんな聖堂の中央で、ひとりの少年が青空を見上げて立ち尽くしていた。
その少年が方から提げている鞄からはスケッチブックを顔を覗かせていて、ポケットには画材が差し込まれている。
ハティは少年に近づく。近づくハティの足音に気付いたのか、少年は振り返り照れくさそうに微笑みかけてくる。ハティはそんな少年にいぶかしげる表情を浮かべる。
「こんなところで何をやっている。崩れるとあぶないぞ。」
「この聖堂の天井画を見に来たんだ。・・・・でも壊れちゃったみたいで。」
遠い街から来た少年は、リュミエールの『天空の世界』というフレスコ画を見に来たのだそうだ。それは人間たちにとっても大層美しい天井画だったようで、この国の絵描きがみな憧れていたという事を教えてくれた。
「その、フラスコ画?というものが見たかったのか。しかし皮肉なものだな。彼らの神に捧げた聖堂であったろうに、それを自ら壊すとは。」
ハティは更に顔をしかめる。人間の信仰する神にいくばくかの同情と、自ら捧げものを壊す人間の行為に対してである。
「うん。残念ながらここも戦争で焼けちゃったんだね。天空の世界を僕は模写でしか知らないんだけど、それはそれは見事で」
「はぁ・・・・ひと目見たかったな。ひと目でいいから・・・・・・」
少年はスケッチブックの入った鞄を抱きしめ、ため息をつく。彼自身も絵を描くのだろうか。
話を聞いたハティの脳裏には、何かがよぎる。この聖堂の尖塔を別の場所で見かけたことがあるのだ。しかし、永遠を生きているケダモノの彼にとって過去を思い出すのは簡単ではない。
「そういえば”闇の森”の”夢が流れ着く岸辺”という、人々の記憶から物や建築物が実体化してあらわれる場所がある。」
「たしか、そこでこの聖堂と似たものを見た記憶がある。そこであればお前のみたかった天井画をみれるかもしれんな。」
ひとときの思索のあとからつむがれるハティの言葉を聞き、少年は興奮する。
「ええっ、この聖堂がもうひとつあるの?」
「でも”闇の森”って、昔話に出てくるケダモノの暮らす森だよね。神父さまは、ケダモノは恐ろしい悪魔だって言ってた。君はそこまに行ったことがあるの?」
「君は・・・・何者?」
ハティはまずった。と思った。このままでは黒い魚を差し向けられるのではないか。
「ああ、俺はその闇の森で狩りをしている。いくつかのケダモノにも遭った事があるが、すべてがすべてそういった者ではない。」
闇の森で狩りをして生きているのは嘘ではないし、他のケダモノと遭ったことがあるのも本当だ。我ながら上手く誤魔化せたのでは、とハティは自らを褒めた。
それを聞いた少年は、しばらく黙りこくった後につぶやく。
「でも・・・・あの絵を見れるんだったら・・・・!」
顔を上げ、少年はハティに対し願う。
「僕はパウロ。ねえ、お願いだよ。僕をそこまで連れてって・・・・!」
ハティは「まずった」と思った。
パウロは闇の森のケダモノ達を恐れている様子であるから、きっと闇の森を通り『夢が流れ着く岸辺』に行こうなどと思わないだろうと勘ぐっていた。咄嗟に闇の森で狩りをしていると言ったが、それが彼を勇気づけてしまったのであろう。
ハティは自分の正体をとぼけた過去の自分を恨む。
「そうは言っても、なぁ・・・・」
また困ったことに、パウロはなかなかの美少年だ。
目鼻顔立ちは整っており、クセのある髪がかわいらしい。細身ではあることも相まってか、麗しい雰囲気を漂わせている。
パウロはハティの審美眼に適っている。そんな者の頼みにハティは弱かった。
「仕方ない。連れて行ってやろう。ただし、報酬を返せ。それが条件だ。」
美少年に弱いハティであるが、ここだけは譲れなかった。頼みは聞いてやるが、その見返りは求めてきた。
「でも僕は両親が死んじゃって、残っているものは何もなくて・・・・」
パウロは徐々に語尾が弱くなっていく。
見かねたハティはパウロが持つスケッチブックに気付く。
「お前、絵を描くのか。」
「うん。でも、まだそんなに上手くは描けなくて。」
ハティにとっては『上手い絵』とやらはどうでも良かった。そうであれば、パウロが語る美しい天井画のあるこの聖堂に、ハティはあしげく通っていただろう。
「別に上手くなくとも構わん。お前がお前の持つ技術をもって、俺に報酬を渡してくれればそれで良い」
ハティにとっては報酬を返す者が、自分の持つものを駆使し返してくれるものに価値を感じている。ハティはそれを集めているのだ。
「絵がもっと上手くなったらそれをあなたにお礼として渡すよ!それじゃだめかな・・・・」
「それで構わん。」
ハティは報酬が本当に返ってくるのだろうか若干不安になりながらも、ぶっきらぼうに応える。
「それじゃあお願いするね。えっと・・・・」
「ハティだ。」
そんなやり取りをし、二人は青天井の聖堂を後にする。
§2 蜘蛛の群れ
二人は”闇の森”に足を踏み入れる。木々が拵える古い樹皮が、この森の歴史の古さを物語っている。
何者も居ないのではないかと思わせるような静けさの中、時々聞こえる鳥や獣の喚声が二人を驚かせようとしてくる。
パウロはそれに怖じ気る事はあっても、素直にハティの後ろに付き従う。怖れを感じては居るようだが、『天空の世界』をひと目みたいという興味か、ハティが居るという安心からか、それともそのどちらともなのか。
少なくとも怖れが彼の足を止めさせる事はない。
時としてパウロが露出した木の根につまづいたりツタに足をとられたりするところを、ハティがその度に手助けをしながら二人は森の奥へと進んでいく。
手が掛かる事にハティは若干うんざりしながらも、これも報酬のためと歩みを進める。
しばらくすると森がだんだんと濃くなり、巨大な植物が生い茂っている場所へ入っていく。気が付けばその植物たちの間を光り輝く精霊たちが飛び交っている。
そんな幻想的な光景を目の当たりにしたパウロは
「すごい・・・・! まるで昔、お母さんに読んでもらった童話の本みたいだ。」
「こんな光景が見れるなんて思いもしなかったよ。」
と、ハティに興奮を伝えてくる。
ハティからすれば森でよく見かける光景であり見慣れたものであった。それに、自分へ捧げられた報酬でもなければ、彼は特別な興味を抱く事はない。
「そうか? それは良かったな。」
「まあなんだ。そんなに良いものならば、ここで絵でも描いてみるか?」
そう言い傍らのパウロに目をやると、そこにパウロの姿はない。
慌てて見回すと、足に絡んだ蜘蛛の糸によってパウロは樹上に吊り上げられている。それを合図にするかのように、あたりに10匹ほどの蜘蛛たちが現れる。
その背後にいるのは、ひときわ巨大な蜘蛛のケダモノ。アラクネとその子供たちだ。
ヒトの気配を感じて、アラクネが罠を張っていたのだ。
「またお前か。 懲りんな。」
そう言うとハティは影に身を潜める。
影から影へ飛び交いながら子蜘蛛たちを仕留め、影海から虎視眈々とアラクネを狙う。
その動きはヒトというにはとてつもなく機敏で、獲物を狙うオオカミの様であった。
狙った獲物と供に居たのがケダモノであったこと、そして自分が不利な状況にある事をアラクネは察したか、影に居るハティへと声をかけてくる。
「げせんな。ケダモノであるお前が、なぜ喰いもせずあの人間を守る?」
「いかにもうまそうだ。これほどの魂の匂いは、数百年ぶりに嗅ぐ。それにとても美しいじゃないか。」
「お前が食べぬなら、よこせ。さらに子を産むために、よき魂を喰らわねばならんのだ。」
アラクネの提案に対し、影からハティは威嚇する。
「知った事か。」
「そいつを離さんとこちらにも考えがあるぞ。」
そういって、明らかな殺意をアラクネへと向ける。
「ヒトの子を飼って、永遠の退屈を慰めるか? くだらん・・・・実にくらだん」
「おまえと戦うためには、もっと子を呼び集めねばな・・・・」
そう吐き捨てると、アラクネは去っていく。ハティは辺りに蜘蛛がもう居ないか見渡した後、蜘蛛の糸からパウロを助け出す。
パウロを地面に降ろし目立った傷がないか確認していると、パウロはおもむろに口をあける。
「伝説のとおりだ。ケダモノはやっぱり、人間を食べるんだね。」
「あの大きな蜘蛛が言っていたけど、君もケダモノなんだね・・・・?」
パウロの当然の投げ掛けにギクリとしながらも、ハティはとぼける
「ああ・・・・ 影に隠れて隙を探していたんだがな。」
「そこにトカゲのケダモノが居てな。そいつと俺は友達なんだが。」
「トカゲは蜘蛛にとって天敵なようで、そいつに対して言っていたんだ。」
実際にトカゲのケダモノの知り合いはいる。ここには居なかったが。パウロから怖がらないようにまたとっさに取り繕う。
「そうなんだ・・・・ でも助かったよ。」
「はぁ、ちょっと疲れちゃったね。それにおなかも減ったかも。」
パウロはそう言って、ハティにもたれかかる。言葉以上に消耗しているようだ。
ぽつりぽつり と雨が降り始める。空を見上げると、雲海が辺りを覆っている。遠くからは、雷の轟まで。
もう少し進めばハティの住処がある。そこまで行けば疲れ切っているパウロを雨風に曝す事も無く安全に休息できるだろう。
ハティはパウロを背中に抱え、住処へと向かう。
§3 あらしのなかで
木々の密度が薄くなるところで、大きな石が意味ありげに群立している。その巨石達は輪となっておりストーンサークルを形成している。
それこそがハティの住処である。森の中へどのようにこれらの巨石を持ち込んだのか。今を生きる人間達には到底理解できないだろう。
ストーンサークルには部屋のように囲われた空間がある。雨風を遮る事ができる事ができるそこは、ハティが寝床として使っている石室だ。ハティはそこへパウロを降ろし寝かせる。
外は激しい嵐で巨大な石ですら雨の叩きつける音を防ぐ事はできない。
ハティが話しかけてもパウロはうわごとの様な答えしか返さない。熱っぽくはあるが、ヒトの身体に疎いハティであっても、その様子がおかしい事に気付く。
単に長旅の疲れが出たという類のものでなく、身体は病に蝕まれ弱っているようだ。
よくもまぁこんな身体で森を歩こうなどと思ったものだ。何とも愚かだな。そんな感想を抱いたハティは石室を見渡す。
そこにはかつて人間達から報酬として捧げられた品々が、立てかけられたり敷き詰められたりなどしている。どれもケダモノであるハティにとっては下らないものだが、そもそもが脆弱な身体を持つ人間が愚かなりにも自らの技術でもって作り上げたものだ。
闇の森に住む小人どもでも物を作り生きてはいる。ただそれは人間が言う所の「豊かさ」とは異なり、鳥が寝床を作る様なものである。
それに対して人間はどうだ。鳥に憧れ尊敬し、今では自らも機械で空を飛んでいると聞く。羽虫や兎を捕らえるためでも無いのにそんなものを作るのだというのだ。飛ぶことに価値を見出し、実際にそれを糧にしているというから愚かだ。
他の生き物では狩りや住処づくりが出来ない無能なぞ掃き捨てる。だが狩りすらできない機械を作る無能を、人間は掃き捨てるどころか誇りと感じている始末だ。
このパウロに至ってもそうだ。たかが絵ごときに必死の思いで闇の森に足を踏み入れた。絵に対して「感情が沸き起こる」だとか「学べるものがある」などと人間どもは嘯くが、そんなものに何の意味があるのだろうか。
ハティはパウロをみやる。その細い身体で荒い呼吸に肩を上下させている。これでは絵なぞ描けるはずもなく、報酬をハティに渡す間もなく憔悴し死にいたるだろう。そんな予測を建てたハティは本来の姿であるヤミオオカミの姿をあらわし、大きな口で、パウロにぱくりとかぶりつく。
外はすっかりと晴れ、嵐があったことが嘘のようだ。鳥たちは晴れ間に飛び立つ羽虫を、この機を逃すものかとばかりにせっせと捕食している。
疑似餌であるヒトの姿に戻っているハティは石室から外をみやる。屋根から垂れた雨水が地面に小さな穴をあけ、そこにまた雨水が垂れ落ちてゆく。
ハティがしばらくそうしていると、彼の背後で蠢くものがある。ヒトというにはあまりにも小さいそれは口を開きこう呟く。
「あれ・・・・ハティ。僕は寝ていたみたいだね・・・・」
その声を聴きハティは頭をそちらの方へ向け、目線をそれに向ける。そこにはヒトの子供の中でも細身で、華奢ではあるが麗しい雰囲気を漂わせた少年が絨毯にくるまれている。絨毯には刺繍がほどこされており、オオカミの意匠も施されていた。
「起きたか。」
「それを喰え。少しは良くなる。」
パウロの横にはこれまた豪華絢爛な装飾の施された皿が置かれており、その上には焼かれた一羽の兎肉が盛られている。世の陶器好きが見たら怒り狂いそうな光景だった。
盃もありそれには水が張られているが、どうも生臭く雨を貯めたようにしか思えない。
「ハティが僕を治してくれたんだね・・・・ありがとう。」
まだ疲れているのか、横になりながらパウロは続ける。
「ケダモノは魔法を使えるって聞いたけど、本当なんだね。」
そのパウロの言葉に対し、ハティは「あー」という声を発した後にとぼけるかのように応える。
「そうだな。お前を蜘蛛から助け出した時も言ったが、俺にはケダモノの知り合いが居る。」
「そいつに頼み込んでお前の病を治してもらった。感謝するならそいつに感謝するんだな。」
ハティの返事を聞き少し考え込んだあと、パウロは目線を逸らしながら話し出す。
「あのね? ハティ。僕、君に黙っていたことがあるんだ。」
なんの話だ。そんな顔でハティはパウロに顔を向ける。
「僕、普通の病気じゃないんだ。」
「僕の町に降り注いだ爆弾には、毒があったんだ。家族も友達も家も学校も、僕がスケッチブックに描いたものはみんななくなっちゃった。僕の身体、お医者様にもどうしようもないんだって。」
「だから・・・・だから最期にあの絵がひと目見てみたかったんだ。」
「でも僕は長く生きられないから、君に報酬を返す事なんてできない。だましてごめんよ・・・・」
バクダンとはあの空飛ぶ機械から落ちてきた魚のことだろうか。そういえば魚の内臓のあった場所に香辛料を詰め味付けされた料理を振舞われたな。そんな事を思い出しながら、ハティはパウロの話を聞いていた。
「報酬は返してもらわんと困る。それが俺にとっての絶対的な条件だからな。」
「じゃあ代わりに僕を食べてよ。こんな僕の肉なんて、おいしくないかもしれない。でも、僕あの絵が見られたら、君に食べられてもいいよ・・・・」
「知った事か。それに俺はケダモノじゃないからお前なぞ喰わん。お前がくたばったらケダモノの知り合いに喰わせるだけだ。」
脆弱であろうとも、自らの持ち合わせるもので生き抜こうとするのが人間であろうが。ハティはパウロの言葉に苛立ちを覚えながら、その憔悴しきった様子から、彼に天井画を見せられないのではという焦りを感じる。
「先が短いなら急がねばならんな。もう出るぞ。」
そう言って香辛料で防腐処理された皮袋の中に兎肉を放り込み腰に提げ、パウロを背負う。そして獣の臭いがする石室から出て夢が流れ着く岸辺へと急ぐ。
§4 外(と)つ川の氾濫
闇の森をハティとパウロの二人は進む。正確には、パウロを背負ったハティが焦ったように黙々と森を進めている。
「そういえば、今さっきのは君のおうちなの?」
背負われているパウロが顔をハティへと向けて声をかける。
「ん? ああ。あれが俺の住処だ。」
「俺が初めてもらった報酬だ。美しくかわいらしい少女のお願いを聞いた見返りでな・・・・ そんな事はどうでも良い。急ぐぞ。」
ハティは話題を打ち切り、それを誤魔化すかのように更に足を急がせる。
ひととき進んだふたりは思わぬ障害に行き当たる。通り道を塞ぐかのように、囂々と音をたてて川の水が横切っているのだ。
おそらく嵐で、闇の森を巡る外つ川が氾濫したのだろう。ここを通らねば海岸にはたどり着くことはできない。
そのままパウロを背負ったまま川を渡れば、水に濡れたパウロは更に弱ってしまうだろう。ケダモノの姿であれば彼を背負ったまま飛び越える事もできるだろうが、それではパウロにケダモノである事がばれてしまう。
人間ではなくケダモノであることがバレたらパウロを怖がらせてしまうのでは・・・・いや、パウロは報酬を渡してくれなんじゃないだろうか。そう怖れたハティは近くに小人が住んでいる事を思い出す。
奴らに橋をかけさせる。それならば解決するではないか。パウロはハティを近くの木に寄りかからせ急ぎ小人の住処へと向かう。
パウロから見えなくなった頃合いをみてハティは疑似餌を元の尻尾へ戻す。より素早く森を駆け抜けたハティはあっという間に7人の小人が住む場所へとたどり着く。
「おい、お前ら。川に橋をかけろ。」
丸太を運んでいた小人達に言いすごむ。突然のヤミオオカミの来訪に小人達は目を白黒させ、斧や端材などの思い思いの武器を手に取る。
「きゅ 急になんだね! それにお前さんのいう事を聞く理由がない!」
小人の一人が抗議する。
「そうか。ならば理由をつくってやろう。」
そう言い終わると、ハティの毛川が月光を浴びたかのように白く輝く。ヤミオオカミとしての力を増している状態であり、小人達も変化に震え上がる。
突如として抗議してきた小人へと飛び掛かる。「ぎゃあ!」という叫び声が轟いた同時に、ハティの美しく輝く毛皮が返り血で染まる。
痛みで声も出せなくなった小人が地面にうずくまっている。
「お前たちもこうはなりたくないだろう。」
小人達が橋を作るのに十分な理由が出来上がったのだ。
小人達は必至な形相で橋を作る。暴虐そのものであるハティを恐れながらもてきぱきと組み上げてゆく。
ハティは小人に対して普段は感傷を持たないが、この時ばかりは彼らに苛立ちを募らせた。なぜ彼らは人間と違い理不尽に立ち向かおうとしないのだ。橋を簡単にかける技術は持っていても、「要らぬから」と彼らはそういったものを作ろうとしない。
人間から酒がもらえるからと作る事はあっても、そこから発展させようなどとは一切しない。彼らだって人間のようになりたいのではないのか。
そこまで考えて、はっとしたハティは何を呆けた事をと頭を振る。小人は小人なりの生き方があるのだ。それを否定する理由がケダモノであるハティにあるはずもない、
小人が橋を完成させる頃合いをみて、人間の疑似餌を作り出す。木に寄りかかりながら健やかに寝息をたてているパウロの姿をみてほっとし、その背にパウロを抱える。
小人が橋を作りきりへとへとになっている横を通り抜けハティ達は橋を渡る。横を通り抜ける際に、何も言うなとばかりに小人を睨みつける。
橋の中腹を過ぎたあたり、うたた寝をしていたパウロの鞄からスケッチブックが滑り出る。それに気づいたパウロは「あっ!」と声を上げ、滑り落ちていくスケッチブックへと手を伸ばす。
しかしパウロの伸ばした手は虚しくも空を切り、川へ落ちてしまったスケッチブックはそのまま流されてしまった。
「僕のスケッチブックが!」
「・・・・もう間に合わん。諦めろ。」
理不尽なほどの濁流がパウロの大事なものを流していく。
§5 夢が流れ着く岸辺
ハティとパウロが”夢が流れ着く岸辺”に辿りつく頃には、夜空に満月がのぼっている。広大な砂浜には無人の町が広がっており、ひとつひとつの建物は見事なものだが、考古学者が見ることがあれば時代も文化もバラバラだという感想を持つだろう。
世界に産まれ死んでいった人々の夢が織りなした、奇妙なオブジェ。
夢・・・・ ねぇ。そう思いながらハティは辺りを見渡す。ハティにとってよく分からないないものばかりだが、きっとこれらに価値を見出す者がいたのだろう。それらは何故かハティにきらきらと輝いている様にも見えたが、その素晴らしさを分からない自分にとって無縁なものだとハティは結論付けた。
このどこかでハティは聖堂を見たはずだが、この海岸はハティからしてもあまりにも広大であり、探すのも苦労するだろう。
さてどうやって探したものか。そう思い悩んでいると背後から気配を感じる。
ハティが後ろを振り返ると、森から無数の影が迫ってきているのを目にする。
森中から集められたアラクネの子供たちだ。
あの時のアラクネはパウロのことを諦められて居なかったようだ。
「パウロ!走れ!」
ハティは疑似餌からパウロを降ろし、海岸の先へと向かって逃げるように命じる。
何がなんだか分からないパウロはその言葉に従い、砂浜や瓦礫に足を掬われながらも走りだす。
「しかしこれはどうしたものか。流石にこの場所でこの数は骨が折れる。」
小さな蜘蛛たちの奥には一層大きな蜘蛛がこちらへと向かってきている。パウロを襲ったアラクネだ。
とりあえず奴をやらねば。そう思いハティは疑似餌をしまい込み建物の影へと飛び込む。
影と影を縫うように移動しながら、一匹 また一匹 と子蜘蛛達をその爪や咢で蹴散らしてゆく。
その動きにアラクネが翻弄される様子を捉えたハティは、今だ。と食らいつく。
人間の女の甲高い悲鳴を上げるアラクネに対し、ハティはその大きな口でくらいつき一思いにぱくりと食らいつく。
悲鳴を聞き恐慌したのか、子蜘蛛たちは散り散りになり森へと逃げ帰ってゆく。それを見やり安心したハティはその尻尾を疑似餌に変えハティを追う。
§6 月光の天井画
パウロの足跡をたどるハティ。足跡の先にはあの聖堂があった。海沿いに佇んでいるその聖堂の屋根は月光に照らされてきらきらと輝いている。
入り口には重厚な扉があり今は押し開かれている。ハティが扉をくぐると中は薄暗く、中央となる場所では華奢で細身の少年が、息を切らせたのか健やかな様子で肩を上下させている。
ステンドグラスからは煌々と差し込む月明り。
そこに天井の楽園がうかびあがっていた。
この幻想の天井画は、これまでこの絵を見上げてきた人々の夢がつくりだした結晶である。きっと本物以上に、きらきらと輝いているのであろう。
ハティすらも感慨にふけていると、近づくハティの足音に気付いたのかパウロは声をかけてくる。
「すごい・・・・すごいな、本当に。これがリュミエールの描いた天国なんだ。」
「僕もいつか、こんな絵を」
パウロは見つめ続ける。誰かが思い紡いできた夢を。
それは本当の天井画そのものではないかもしれない。だが、そこにあるのは間違いなくパウロが求め続けているものだ。
「そうしてもらわんと困る。報酬のために俺はここに連れて来たんだからな。」
ハティは鼻をふんっ。と鳴らす。
「今すぐは難しいけど・・・・でもいつかきっと僕は描くよ!」
「ありがとう、ハティさん。僕の夢をかなえてくれて」
パウロの言葉にハティはとぼける
「夢なんてものは俺には分からんがな。さぁ町に戻るぞ。」
絵を描くため、そして報酬のため、二人は町へ戻る。
§7 とぼけたけだモノ
戦争孤児であるパウロは貧しくも追い続けた。芸術家としての、人々に夢を与えられるような素晴らしい絵を描くという夢を。
彼の才能は多くの人に感銘を与えたようで、後世に語り継がれるほどの画家としての名声を得た。
そうして一枚の絵を描き上げた。その絵は誰に見せる事も無く、ただ見せる時が来るのを待ち続けた。
パウロの元に時代錯誤の格好をした男が訪れる。画展の手伝いをしている女性は変わった風貌の男を怪しく思いながらもパウロを呼び出すと、パウロはその男を見て感激の涙を流すのだ。
涙を流しながら立ち話をするパウロを気恥ずかしく感じた彼女は応接間で話すよう促す。時折、男の後ろを見ながら話していたパウロについて「結構な歳なもので」と男へ詫びながらお茶をだしていると、自室に戻っていたパウロが一本のアートチューブを持ち出す。
「報酬は確かに。」そう答えると男は画展を後にするのだった。
パウロを聖堂から町へ送り返したあと、ハティの眼は日に日に悪くなっていった。パウロの毒を食べたのが原因だろうか。
概ねの輪郭を捉える事はできるが、細かい模様などを見分けるのは難しい。絵画を楽しむなどもってのほかだろう。もっとも、ハティにとっては絵画の良さは分からないものだから、大した問題ではない。
人間が自分の技術でもってハティへ捧げる事に価値を感じているのだ。そうして手に入れた新たな報酬を石室の壁に貼り付ける。その絵をとぼけた瞳で見つめ続ける。
「どうだ!これが新しい報酬だ!」
威勢良く自慢するハティを前にトカゲのケダモノは少し困った顔をしている。
「そう言われてもなぁ・・・・ わしにも絵画はわからんし。」
石室の壁に貼り付けられた絵画を眺めながら、どう褒めたものやらと、うーん。うーん。とトカゲは思い悩む。
「それにしてもお前さんは人間の作る物が好きだのう。」
「好きなんじゃない!当然の報酬だ!」
ヤミオオカミのハティはとぼけた。