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🤔 心の在り処 きっと『心』の持ち方は、ひとりひとり違う。 後述するのは、私だけに限ったものなのではないかと思うし もしかしたら、近いと感じてくれる誰かが居るかも知れない とも思う。 *** 「心はどこにあるんだろう」 久しい昔にそう考えたことがある。 心臓がそう? 脳がそう?? 胃??? あ、胃のちょっと上に、何か乗ってたりする??? 苦しいとき、悲しいとき、寂しいとき 何処にあるか分からない『心』が存在を主張しだし 身体は痛み出す。 先にあげた臓器を筆頭に 首、肩、腕、手、胸、腹、背中、腰、足… 「苦しいんだ」「悲しいんだ」「寂しいんだ」 まるで叫び出すみたいに、ジリジリと、ガンガンと。 そうして、ゾワリゾワリ、ジワリジワリ、ゆっくりと 身体を動きまわっているような、 そんな気持ちの悪さを感じた時に、私は思った。 「あぁ、そっかぁ… 多分、心は『血の中』にあるんだ…?」 生物学的に、医学的に、正しいのかは知らないし ぶっちゃけ、今更もうそんなのは勉強する気力もないが。 ただ、スッと「納得した」って言うみたいに 全身が軽くなったのを覚えている。 だから元気な『心』を作るために 栄養のあるものを食べたり、綺麗な水を飲んだり 身体を動かしたり、休ませたりしないと、いけないのかなぁ。 などと、これまた医学的に合ってんの? とか疑問に思いつつ、そういうことにしておいた。 よく「時間が解決するよ」って言われるのだが 「うん、なるほどそうかな。」と思ってるうちに 本当に気持ちが軽くなったり 変わったりして、楽になって行ったりする。 実際「恨み」「憎しみ」「怒り」「悲しみ」などの 『負の感情』はとくに、 身体が手放そうとする(つまりは忘れようとする?)と やがて少しずつ出て行くのか薄れていく。 根強く「苦い思い出」として居座るものもあれば まるで忘れてしまったようになくなってしまうこともある。 「あぁ、嫌な気持ちが 悪い血と一緒に、出て行ったんだなぁ」 何かを置いて離れた感覚があるたび、ボンヤリそう思った。 そしてそれは、残念ながら『正の感情』もおなじらしい。 「幸せ」「楽しい」「嬉しい」「好き」「愛している」 どんなに大事にしたいと思っている気持ちでも なくなってしまったように感じることがある。 *** 『心』は、血なんだ。 そう思って楽になった気がしたのは 「自分が変わるのは仕方ないことだ」 って思えたから。 安心したのと同時に 私は自分の『心』に責任が持てなくなった。 古い血が死んで身体から出ていき 新しく作られた血は、多分まえの血と近いはずだけど なにかが違うかも知れない。 「この間あった時は 別なこと言ってなかった??(笑)」 「あ、そう? ごめん(笑) でも今は、こう思ってるんだ…」 こんなことがあったりする。。。 だからいま 『日記』の重要性を、非常に強く感じている。
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