ゆうさんの日記 「【私的・超長文】シナリオ制作の自戒」

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ゆう
ゆう日記
2017/11/30 01:13[web全体で公開]
😶 【私的・超長文】シナリオ制作の自戒
CoCのシナリオアイディアをがんばって書き留めてる間ぼんやり考えてた事をアウトプットしておこうと思い立った。
超長文なので日記一覧見てる人には迷惑だと思いつつ書いちゃったからしょうがないごめんね。

【作家になろうとするな、演出家であれ。】
渾身のギミックや会心のエピソードを思いつくと、そこを強烈にフィーチャーしたくなる。
だが、プレイヤーはそれを求めているだろうか。いわゆる吟遊になるのではないか。
TRPGにおいてギミックやエピソードはプレイヤーが作る物語の舞台装置でしかない。
自分がすべきは、それをプレイヤーが体験したくなるように飾り立て、そしてここぞという場面で提示する事である。
君はそのスイッチを押しても、押さなくてもいい。

【怪奇であれ。されど日常であれ。】
現実では脅威も怪異も(少なくとも私の日常では)なく、ただ凡庸な少しの危険とわずかな疑念があるだけだ。
クトゥルフ神話のカルト教団や狂人、そして神話に語られる生物と概念はそこに衝撃を与える物事である。
だがその力は、日常に不意に差し込むには強烈すぎないだろうか。
探索者達は日常に生まれ、日常を生き、そして(おそらくつかぬ間の)日常へ帰るべきなのだ。
数多の真実の中に一つの嘘を混ぜ込むように、平凡な日常に一つの異常を溶かし込む。
パニックホラーをやるつもりでなければ、異常は日常を食むように侵すように演出する。
わずかな違和感が疑念に変わり、疑心に暗鬼を生ませ、探索者は演出以上の恐怖を自ら育てるだろう。

【フィクションであれ。されどリアルであれ。】
現実にはたくさんの制約がある。物理法則は身体を、道徳は心を縛り、常識は発想を狭窄させる。
物語での現実感は、想像力を阻害する物であってはいけない。
これは物理的にどうなんだろうという考証をする前に、それは愉快か否かを考えるべきだ。
しかしあまりに非現実的であってはいけない。
愉快であったのなら、それをいかに現実的「らしく」実現するかを考える必要はある。

【舞台上全ての物に動機を与えよ。】
何故探索者達はそれをしなければならないのか。
好奇心の赴くままなのか、生きるためなのか、何かを得るためなのか。
何故NPCはそうしたのか。
狂人は何故狂ったのか。カルトは何を目的とするのか。
何故それはそこにあるのか。
床に落ちた鍵は誰が何故そこに落としたのか。机の裏の暗号は誰が何故そこに書いたのか。
些細な動機があるというだけでそれは別の意味を生み、魅力を放つ。

【狂人は理解されぬから狂人である。】
愛する人間が避けられぬ理由で理不尽にも死んだ、生贄を捧げる事で蘇生する事ができる秘術を教えられたので他人を犠牲にしてでも生き返らせたい。それは万人が理解できる思いだろう。
万人に理解される人物は狂人ではなく、異常な選択肢を与えられただけの常人である。
狂人は常人に理解できぬ論理で動くからこそ狂人なのだ。
しかしただ荒唐無稽な異常行動をするだけの人物ではいけない。
狂人は彼の中だけにある統一された論理によって、あくまで彼の狂った道徳の中、歪んだ日常を送っているべきで、それこそが最も魅力的な狂人なのだ。

【ただ終わらせるな。されど奪え。刻み付けよ。】
過剰な罠はただ探索の停滞を招き、また秘められた真の恐怖を薄れさせるだろう。
だが危険な罠は探索者に緊張感を呼び、原始的な恐怖を呼び覚ます。
十分に危険である事を周知したうえで、遠慮なく凄惨な罠を仕掛けよう。
そして自ら危険とわかる場所に踏み込む勇者には十分な褒章を与えるべきだ。
それは決して安易な死であってはならない。誇り高きトロフィーを授与しよう。
例えば傷跡。彼の顔に残る傷はこの探索に命がけで挑んだ証明となるだろう。
例えば狂気。彼の持つ狂気が刺激される度この探索で受けた恐怖を思い出すだろう。

面倒くさくなったのでここまで。おしまい。
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