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😶 TRPGにとってフェアネスとは TRPGはゲームです。 ゲームですから、フェアであるか否かが問題になります。 アンフェアがまかり通るようなゲームは、短命になるでしょう。 それでは、しかし、TRPGにとってフェアネスとは何なのでしょうか。 まず注意すべきは、大きく分けて2種類のフェアネスが存在するということです。 プレイヤー-プレイヤー間のフェアネスと、 プレイヤー-ゲームマスター間のフェアネスです。 前者については別の機会にということで、ここでは後者に注意を絞ります。 ときに、ゲームマスターは神と比較されます。 ゲームマスターはその管轄するシナリオに対して神に等しい権能を有するという考え方です。 しかし、だからといって、脱出不可能な迷宮に冒険者たちを閉じ込めたり、 実はプレイヤーが何もしなくても事件が解決するようになっていた、などということをすれば、 そのゲームからフェアネスを感じるプレイヤーは極めて少なくなるだろうことが予想できます。 そして、そのゲームを続けたいと望む人は、もっと少ないでしょう。 TRPGとは別に、これに似た問題を昔から扱ってきた分野があります。 探偵小説(推理小説、ミステリ)です。 探偵小説を読むことの面白さは、わずかな手がかりから事件の真相(そして犯人)を 見出そうとする知的営為にあります。 手がかりと真相とが合理的に関係していなければ、知的な面白さは崩壊してしまいますし、 そのあたりをうまくやることは、探偵小説の世界でも「フェアプレイ」と呼ばれます。 なので、探偵小説の世界では、 ヴァン・ダインの二十則や、ノックスの十戒といったルールが語り継がれています。 もちろん、これらを遵守していれば面白い探偵小説が書ける……なんてことはないわけですが、 探偵小説を読み、また書くことの面白さをどうやったら守れるか、ということに、 先人たちが心を砕いてきたことがこれらのルールからは読み解けます。 私は、プレイヤー-ゲームマスター間のフェアネスとは、 この探偵小説のフェアネスに近いものだろうと考えています。 つまり、制約の中で事件の真相に迫り、課題を解決するという知的な面白さを守ること、 それがフェアネスであり、そのための行いがフェアプレイです。 例えば、マンチキンは嘲笑の対象ですが、 これは自分のキャラクターがあまりにも有利に取り扱われることを望んでいるからで、 制限の中で課題を解決するという知的な面白さを壊してしまうというのが原因の一つです。 「私のキャラクターはヨグ=ソトースの分身なのであらゆる時空を 見ることができます。つまり犯行の様子も見ていたのです」 などと言い出したら、知的な面白さなどあったものではありません。 ウィルさんの記事で言及されていた「ムズイムズイ病」も、 初めから解決不可能な課題に対して知的な面白さを感じられるかと考えれば、 探偵小説的なフェアネスの問題として捉えることができます。 一方、「一本道症候群」は、「そもそも課題の体を成していない」という 問題を抱えていることがわかります。 ゲームマスターが、言ったことを安易に翻すのも、フェアネスにとって問題です。 「部屋の床に魔方陣が描かれている」と説明を受けたのに、 後から「あれは嘘で、ただの落書きだった」などと言われたら、知的な課題はおじゃんです。 インセインのように、ミスディレクションがルールとして認められているゲームも存在しますが、 それにしても、「ハンドアウトの記載事項はシナリオ中の事実と矛盾させない」といった 超えてはならない一線は存在します。 自分のシナリオは、マスタリングは、フェアだろうか? 多くのゲームマスターは、そんな迷いを抱えているものと思います。 解決不可能な課題になることを恐れて、難易度をどんどん下げてしまうという こともあります(私がそうです) しかし、難易度を下げ過ぎれば、課題そのものが消滅してしまい、やはりアンフェアです。 万能の解決策はありません。 だからこそ、あなたが知恵を絞って書いたシナリオには価値があるのです。
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