1930年代にあった物、なかった物
カミカゲ交流[web全体で公開] 3 | |
登録日:2020/04/19 21:51最終更新日:2020/06/14 09:39 |
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コメント一覧
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4. カミカゲ | |
2021/09/01 18:53 |
昭和初期の車あれこれ。 ・・・たぶん、検索するとゴロゴロと出てくると思うので・・・あえて書くまでも無いのですがー ちょっと面白いテレビ番組を紹介します。 BS朝日水曜日22時から放送中の『昭和の車といつまでも』と言う番組がなかなか面白いです。 コンセプトとしては『同じ車に30年以上乗っている人とその車を紹介する』と言う番組なのですが その人に行く着くまでも旧車がゴロゴロと登場して割と面白いです。 この企画のの時代である1930年代の車もチラホラとみられ、最近ではダットサン、クライスラーのプリムスが登場してたりしました。 生憎、セッション中の放送なのでリアルタイムでは見れませんが、興味がある方は録画して見てみるといかがでしょう? 少しは昔の雰囲気を掴めるかもしれません。
3. カミカゲ | |
2020/08/23 12:09 |
昭和初期の飲み物あれこれ。 先日完結した「命消ゆる刻限」のセッション中にPCが美味しそうに飲んでた「コーラ」 あれ?この時代ってコーラってあったんだっけ?・・・と、ふと思いました。 と言うのも映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で煙草屋のおばちゃんが「これからはこれ」とコーラを飲んでいたシーンを思い浮かべ、コーラが流行るのはもっと先なのでは?と感じたので・・・調べてみました! 〇コーラ コーラの誕生は1880年代後半のアメリカ。最初は頭痛薬や胃薬として販売され、水で割って飲むシロップだったそうです。間違って炭酸水で割ったものを提供された事で炭酸飲料として定着したそうです。 (現在では世界で唯一のクラフトコーラである日本の伊良コーラが割って飲むシロップ) 日本では1910年代に初めて輸入販売されたそうで、戦後直ぐの1945年にはコーラの充填工場が建てられ、1950年代には日本国内での生産がスタートしたそうです。 そしてこの記事頭で話を出したALWAYS 三丁目の夕日の時代では様々なコーラが誕生し「コーラ戦争」が勃発したのだとか・・・ 〇ラムネ 明治・大正・昭和にかけて庶民的な飲料の代表はラムネだったようです。 当初はコルク栓だったのですが、今でもなじみ深いビー玉の瓶に変わり長く愛されて来たようですね。 ラムネの由来は江戸末期に黒船と共にやってきた「レモネード」がなまり「ラムネ」になった様です。 〇コーヒー コーヒーが入って来たのはこれも明治時代。当初はお茶に慣れていた日本人の口には合いませんでしたが 喫茶店の普及と共に庶民の生活になじんで行った様です。 ゴーストハンターの時代から少し先の戦時中は輸入は禁止されてますが、戦後は直ぐに解禁。 日本人には無くてはならない飲み物の一つとなったようです。 〇カルピス みんな大好き乳酸菌飲料のカルピスは大正時代に誕生した様です。 発売当初は化粧箱に入れられミロのビーナスがパッケージに描かれた瓶と今のイメージとは全く違う物で、高級品だったとか。 程なくしてお馴染みの水玉模様のパッケージとなり、庶民にも浸透して行った様です。 と、まだまだあるとは思いますが。ざっと調べてみた感じの1930年代で飲まれていたものを上げて見ました!
2. wpeke | |
2020/06/14 00:53 |
お酒の話 国産ウィスキーが市販されたのは 1929年 いまのサントリーホワイトで 大卒初任給が40円のところ4~5円だからかなりの贅沢品なのでしょうね~。 朝ドラでやってたマッサンのウィスキーは1930年にはまだ販売されておらず。 しかも 1933年までアメリカは禁酒法だから、いわゆるバーボンは表向きは製造されていないからかなりの貴重品だったのではないでしょうか~。
1. カミカゲ | |
2020/06/13 17:35 |
ラジオの歴史 ラジオ放送は1920年にアメリカで放送が開始され、1925年に日本でも開始されました。 ラジオ放送が始まった当初は『鉱石ラジオ』が主流で当時の価格で25円から40円と高価な物でした(ゴーストハンターの価格で言うと50ドルから80ドル) 真空管ラジオもありましたが、価格は70円から300円。輸入物だと家が一軒建つほどの高価な物だったそうです。 昭和初期になると価格も庶民に手が届く範囲となり、鉱石ラジオで約5円、簡易な真空管ラジオは50円程となります。 ラジオの普及に伴い、放送範囲が拡充し1930年代初めでは100万人、40年代に入る頃には400万人の人がラジオ放送を楽しんだそうです。 1930年代に普及したタイプに「ミゼット型」という形があり、「レトロなラジオ」と言って思い浮かべるのはこの形では無いでしょうか? 携帯型ラジオですが放送が始まり直ぐに発売された様ですが、初期のモデルは60㎝を越える大きさで『携帯』とはとても言えなかったそうです。 直ぐに小型化されたモデルが発売されたものの、重さは解消されず。高価な事もあったのかあまり普及しなかったそうです。 1930年代中には携帯できる大きさ・重さの物はあったようですが、電池では動かず、電源を取る必要があったようです。 1940年代初めに要約電池式の『携帯ラジオ』がアメリカで発売となり、真空管からトランジスタ式へと移り変わると共にラジオの小型化も進んで行くのは1950年代半ばとなってからでした。 そして、ラジオの形としてもう一つ車載型ラジオです。 アメリカでは1930年代初めには存在し、中頃にダッシュボード埋め込み式のカーラジオの発売を機に一気に普及が広まって行ったようです。 日本はと言いますと、元々乗用車の発展が遅れていたため、だいぶ後の戦後の1950年代前後から普及が始まったようです。 と、この様な結果から・・・1930年代では 〇ラジオは固定式なのが一般的。 〇携帯ラジオは、かなり特殊な物 〇車載ラジオは、日本では特殊な物 ・・・と言う感じになると思います!
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