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😶 目星の成功の一例 現実でも、「目星成功したな」という体感、経験、皆さまあるかと思います。 というより、ほぼ毎日のように職務なりで、「こちらからやった方がいい」などと「目星をつけて」動いているかと思います。行動に伴い、そういう感度は上がっていくと、そう考えています。 本日、ちょっとした所用で祖母の家を訪ねました。自宅から15分もあれば徒歩でもあっさり着く距離とは言え、何も用事がないのに行くのは気が引ける、と、少し足が遠のいていたところの所用でした。 久々に祖母の家の周辺を歩きますと、ところどころ自分の記憶と違うところがある。あそこは酒屋じゃなかったっけ、あそこはカフェじゃなかったよね?などと思案しながら歩く。 その途中で井戸を見かけ、ふと思うことがありました。普通なら、昔なら「井戸あるなあ」ぐらいのものですが、そこの井戸はある程度のいわく付きと言いますか、ある程度の名のある井戸であることをふと思い出し、由来を思い浮かべば、それはもっと広いものに繋がっていく。 それを思い出して、「あ、これネタに使えそう」と頭の中にその井戸の存在を刻みました。 昔はなんとも思わず、おっきい井戸だなあーとしか思わない、水道から水が簡単に出てくる世代の人間としては、井戸というのは不思議な存在とも言えますが、自分に関わりのない以上、公園などにある、その筋の人間以外には意味の分からないオブジェ類と同じな訳です。 幼少期は私はその井戸を地域にあるやつ、程度に思っていませんでしたが、成長しある程度の知識と経験とで、その井戸が「歴史的に価値有りと判断できる」ものとして理解できたわけですね。目星成功、アイデア成功、ってところです。 私が住んでいる街は比較的、都会と言えるでしょうが、やはり中心部から離れて過去の面影のある場所に赴けば、ちょっとした寒気の要素があるとも言えます。お化けいそう、みたいな。やーいお前んち、おっばけやーしきー!みたいな。 知恵を付ける、というのは結局自分で何かに気付けるようになる、何かを思うようになるということと繋がると思うわけですが、かといって勉強一辺倒ではこうはならない。難しいところですが、そういうふうに成長できるような環境に恵まれるという幸運は、クリティカルでも出したんでしょうかね。 やばい、幸運使い切ったな、これ。
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