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😶 ものがたりの主軸 (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)夜型人間です。どうも。 新作が有料なのにも関わらず、ご好評いただき感謝感激雨あられです。容量守って楽しくプレイを。 さてそんなどうでもいい挨拶はぽいっとして。 別に話すことはないと毎回言っているような気もしますが、つぶやきなんですよねこれ。 なら某SNSいけやみたいな声聞こえますが140とか足りないし面倒だよってお話ですはい。 朝5時に某SNSでぼそぼそなんか言っていても「ああこいつ眠いんだな」と流し見てくだされば問題ありません。大体その時間帯は意識がやばいので。 今回のつぶやきは、文字を書くことについてですね。 なんやねんそれ、と思うでしょうけれども、結構何と言うか大事ですよ。人間書かないと漢字も出て来ませんからね。PC使う日々を続けていると思い出せなくてわざわざスマホで変換してみますからね。辞書は流石にその場にあれば引きますが、大抵はその場にはありませんからねえ。あ、辞書は好きです。電子辞書なんかは好きな頁に栞つけてライン引いてメモまで書いております。紙も辞書も書くスペースがあればいいのに。 と、まあ本に書き込むタイプというか、紙媒体を好む人種なので付箋が大量に貼り付けられた本が山盛りの部屋で呼吸しています。 逸れました。軌道を戻します。 自分、学業の都合上、聖書を所持しているのですが、案の定聖書にも書き込み、付箋貼り付けをしています。いや、テスト対策という面がありましたが、個人趣味の部分もあります。ネタの宝庫やんな!とばかり。 聖書というものは誰かが神の言葉をそのまま書き連ねたわけではなく御子の逸話や使徒らが書き残した信徒へ向けた手紙といったものを纏め上げたものですねえ。その為、人名が鬼のように出てきますが、まあそこはおいておいて。 紀元前以前の文献がどうして今という時代まで続いているのかは、まあ、書き残し続けた人類の勝利というのでしょうか。歴史上においては「書記」が出来る人間は超絶エリートだったわけです。まあ印刷とか義務教育とかなかったからね、文字書けたら天才ですね。 だから生徒会とかで書記を押し付けられても「書くの得意なエリートやんけ」とでも思って置けば楽ですよ^^ 古代をすっとばして、中世頃ですと学というのは教会のもの、修道院に属する人間は聖書を読む為、書き残す為に文字を覚えることが必要とされます。あ、ちなみにこの頃の共用語はラテン語です。現在の欧州各国の元素に近いのでラテン語ができたらなんとなく他の言語も読めるのではないでしょうか。ちなみに英語ができればドイツ語も若干読める部分が発生します。でも用語としての使い方が違う場合があるので気を付けましょう。ドイツ語はそもそもエービーシーとか発音しませんしな。当たり前ですがね。アルファベットはラテンの名残でしょう。 学を持てたのは一部の階級の人間、なら一般市民はどうやって神を賛美するのか、祈るのか。 文字が書けなくても?発声はできる。歌うことは可能、つまり聖歌、賛美歌というやつですね。難しい聖書の内容をかみ砕いて歌にすることによって神の偉大さをとかなんとか?記憶にあるのはこの辺ですわ。 そんな聖書さんですが、活版印刷という大発明によってちまちまちま修行僧のように書き写す必要なく大量生産できるようになりましたやったね!と、なると民も文字を読めないと困るじゃないですか。はい、学校もそれに応じてゆきますね。 と、流れるように来まして18世紀ともなればことは科学と啓蒙主義の世紀、義務教育の出来上がり。 まあそんなことはいいんです。問題は内容ですよ。 ぶっちゃけ前知識なしに読んでも「????」ってなりますよこんなん…。いや、創世記辺りならまだイメージもできるんですが、だんだんアレですから、ノアの子〇〇、~~~を、とかそういう風になってきますからね。誰が誰の子供か分かんなくなります。ごっちゃぁ。 それでもある種有名なのは箱舟のノア、十戒のモーセ、古代王ソロモン、その父ダビデ……とかその辺ですか?ダビデやソロモンの時代ですと歴史的観点から見ても正しいとされる記述が目に入ってきます。すっげーな。 その辺りの時代の地図が聖書に付随されてますしね。 活版印刷技術によって大量生産の一途を辿り、そして軍事開発からのPC及びインターネットの普及化。漢字が書けない~なんてほざくやつが此処に一人生まれている。悲しきかな悲しきかな。 まあど忘れとかなのでちょいと書けば「ああいやこうじゃない」ってなりますけどね、流石に。あの最初にやる英語でフレンドの綴りをなかなか覚えられない(FriendのところをFirとかそんなに間違える)やつですよね。 まあ日本語は悪魔の言語とか言われるくらいに世界的に見ると難解と言われているそうなので、日本語を習得している時点で素晴らしい言語能力を持っているはず……はず……。まあこちらとしては漢文のレ点とかほんとブチギレレベルでわかんねぇから!とかなりますけどね。そしたら古文も面倒くせぇと思いますけどね。 言葉に文句を言っても仕方ありません。人類の発明ですからね。ヒトという生き物は単体では脆弱の一言に尽きる。群体で生きることを定められた生き物、むしろそういう進化をしてきたので、仕方ないのですが、その都合を考えれば言葉が必要なことはおのずと分かりますね。原始の時代には死者を悼むという行為があったことを考えると「仲間」という単語概念の誕生は相当早かったでしょうなあ。ロマンがありますね。 そして言葉、文字というのは少なからず人という生物に対しては様々な効用があります。 犬とか猫も言葉理解しているだろ?とか思ったりしますし、同様の方もいらっしゃるでしょうがアレは言葉というより音の波形理解の領域かなあと考えますね。あと手の動きとかを反復で覚えているとかね。 こうして文字を書けば読む人間が必ず発生する。音楽というある意味制限のなか言葉を繋げることも、まさに思いを乗せることもありますね。 物語というものはまさにその中でも一等、人の目に触れることが多く、かつ、選ばれるものと愚考する次第です。 ま、要するにここから本番ですよこのつぶやき。 物語を書くということはそれすなわち相応の語彙力が必要とされる上に、始まりから終わりまでを描く創造のセンスも必要ですね。小説家になりたいと思っているお若い方がいるならまず語彙力上げて行こうね。 一つの事象をかみ砕いて民草にどれほど分かりやすく解説できるか、解説しながらも物語の雰囲気を損なわずに続けられるか、くぅ~なんだこのマゾゲーは。 そういう点では聖書なんか物語にして分かりやすくしたるぜ!みたいな感じでノアの箱舟とかそういうのも広まったんでしょうけど。 いや、ほんとマゾゲーかなって思います。 自分は、趣味が「創作」という分類なので、何かしら作っています。 今はCoCというシステムなどがメインになっていますが、勿論過去小説を連ねています。絵も描きます動画も作ります、音楽もやりました。 ところがどっこい、絵とかは書き上げれば自分では一目で完成品だと思えるじゃないですか。 小説は違うんですよねぇ…終わらせられないのです。ある程度の要素をキャラに詰めていくじゃないですか。 そうすると終わらせるのが惜しくなるし、過去も未来も創造したくなって仕方なくって。そういう点で自分は小説家というものへの適性はないでしょうな。職業診断系何度やってもクリエイター系にしかなりませんけどね。いじめかよ。社会の外れ者かな?ウッ刺さるわ。 そういう意味では、CoCというシステムでシナリオを書く、というのは幾分楽です。 終わりは「事件解決」とか「探索者の生存」とかでいいんですよ。事が終わればいいんです。NPCの行方とかどうだっていい、いや、よくはないんですけど、個人的に書く側としては打ち止めしていい程度なのがNPCなので。 まあ打ち止めしてよくねぇNPCがいますけどそれはそれはキャンペーンシナリオとして公開できる。くぅ~味を占めております。おいしい! 私が事件の発生、その流れと背景の説明と解決策の掲示をやっておけば、あとはKPとして立つ方々が風呂敷を広げて、探索者を誘って畳んでくれるんですよ。終わるんですよ。いやぁ~。 もちろんKPさんが表現するために必要なピースを示しておく必要性はあるのですが、全てが全て作者がしなくてええんですわ。 事件の糸口をつかむ主人公とか書かなくてもいいんですよ。噛ませ犬も自分でセリフ考えなくていいんです。うわ楽やんけ。うわぁ。 しかも公開したら自分の知らないところでシナリオをやってくださってダメージを受けたりロストしたり、はたまた運命的な結末を迎える人たちが発生するんです。 これを愉悦と言わずして何といえばいいのか。自分には代替の言葉はありませんね。 さて~愉悦であります~ということを告白して何なんだ貴様は!というところではありますが、また違うお話を一つ。 物語を終わらせるのが苦手な自分の描いたシナリオの主人公は、探索者か?と問われますと、 答えは、違う、否―――探索者は主人公ではないと言ってしまえる場合が大半なんですね。 あ、これ、新作の「灰汁ノ清水」のトレーラーにめっちゃ薄く書いてあるんですけどね。 別に探索者は主人公じゃないんですよね。ほら、事件が起こってます!ってニュースになっても大半は「ふーん」で終わるし。無理矢理押し込む形になるし。 当事者、加害者、被害者には成り得ますがそれらは全て主人公とは言えないので。 ですが物語には主人公……か、主軸が必要であります。てかないと書けないよね。 では拙作「素晴らしい世界によろしく」で一つ考えてみましょうかね。 えー、素晴らしい世界によろしく、はもはや数年前の作品になりますが現在においてもご好評頂いており大変喜ばしい次第です。 まあ少々SFチックやなあとは思いますが。ちなみに元ネタはありませんよ。しいて言うなら夢。自分でそういう夢見たんですよ。世界がなんかめっちゃ荒廃しとる!なのにめっちゃ植物生えとる!水ない!脱水で倒れる!水や食料を求めた闘争!世紀末!を、夢で見ました。いやほんと冷汗で起き上がったときには何のルルイエからの啓示かと思いました。寝ぼけ眼で某SNSに呟いて寝直して起きて見直したら酷い変換ミスとケアレスミスの嵐でメモが仕事しねぇ……みたいなレベルでした。 あらすじとしては、太陽の膨張が「なぜか」現在において発生し、地球を飲み込まんとす、そのなか人類は最後の足掻きとして知性の塊である学者を著名から無銘まで書き集め、科学によって解明しようとする……も、……そのなかの一人の化学者が、その「なぜか」を理解して、もう一人きりの世界で抗おうとした結果、の後のお話です。 うーん、なんというか、「なぜか」は、CoC的に行っちまえば、神王の夢見が大変ご機嫌斜めでしたというだけの話になりますね。実際それで、NPCの彼は「神の気紛れ」とかなんとか言ってたはずです。 だけど普通そんな神話知識を持たない人間は「なぜか」を理解できないんですよね。それは探索者だってそうですね。 だから彼の話を訊いて、彼の思いの問に応えて、還らせてもらわんと探索者的にはそこの一点になる。ぶっちゃけそうすると滅びた世界なんて救おうとか思いませんよね。この時点で探索者は主人公ではありません。 では知っているNPCの彼は主人公か?と訊かれると否です。彼は探索者が旅をする為の構成パーツでしかありませんのでね。都合よくつかわれて、どうぞ。 では彼、を支配していくあの神格はどうか?いやああの神格は普通に楽しみたいだけですよね?主人公ではありません。 はてさて、そうすると還る世界が主人公?滅びた世界が主人公か? ここが難しいポイントなんですがね、ね、なんというか、もはや主人公を定義するということがあほらしく思えてくるレベルのお話。あとがつっかえて居るのでどん、と出しますが、個人的には、「あの湖」が主人公です。 あの空間に立ち、とある世界の終わりを訊いて、還る。その為だけにある空間。なので。 はい、はい、無駄話が上限に迫りました。 強制終了致します。
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