星屑さんの日記 「0 か 100 で世界は出来ていないけれど。」

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星屑
星屑日記
2024/06/28 15:36[web全体で公開]
🤔 0 か 100 で世界は出来ていないけれど。
今回も例によって独り言の様な徒然とした呟きですので閲覧注意ですの。
まぁ私の日記は大体がそうなので今更かもしれませんが……。



さてさて、今回のお話はキャラクターを動かすという事について。


TRPGに限らずですがRPが必要なシステムに触れる時、必ず参加者はキャラクターを描写する場面があります。
それは紙やワード系情報として記録され演じるにあたって参考にされる雛型が出来上がるわけですが……それを考えるとき、初心だったころの私達がまず真っ先に詰め込むのは願望だったのではないでしょうか。そのシステムで各々の「理想ムーブ」を再現したいという願望。それはそのシステムに対する理解を深める原動力になり、作品への愛情を深めてくれます。それこそが演じる事の楽しさだという方も少なからずいらっしゃる事でしょう。

私はそれを否定はしません。
それは私の中にもある欲求であり、数多くの動画で魅せられる場面の何れにおいても重要な要素であり、決して人類が失ってはいけないものの一つだとも考えているからです。

しかし、多くのRPプレイヤー、特にTRPGプレイヤーが既にご存じのようにPCというのは理想を詰め込めば詰め込むほど、それからはかけ離れた存在になっていきます。とある女神の気分次第で他人を癒す事が得意なはずのPCが誰かを傷つけ、戦う事が得意なはずのPCが大したことが無いはずの相手に成すすべなく蹂躙される。KPであれ、PLであれそんな頭を抱えるような場面に遭遇した経験をされた方は珍しくはないのではないでしょうか。

そしてそれは気まぐれではなく必然でも起こりえます。一例として挙げれば複数PLが参加するセッションにおいて方向性が被ったPCが二人いればその特性の重複具合に応じて其々の場面を喰いあう事は想像するに難くはありません。双方で紳士協定を結ぶにしろ、バチバチに対抗するにしろ共存することは可能ではありますが、当初思い描いていた物語とはまた違った形になることは避けられません。ではどうすればよいのでしょうか。


①まず誰もが思いつくのは理想をごり押しするという方法でしょう。思いついても実行するかは別として。
「このキャラはこういうキャラだから、こう動いてこうなるの!」と貫き通す事は楽ではありますし、そもそもそういう風に設計しているのだからそうなって当たり前でしょうという考え方は理解できなくもないです。往々にして悪として扱われやすいこの意見ですが、多くの名作と言われる小説や映画等では名シーンを彩る重要なファクターであることも珍しくはありません。譲れない部分という物は絵になりますしその人を象徴する美点になる事も多く、どんな場面であっても絶対に悪という訳ではないという事でしょう。普段は敵の悪役が彼らなりの美学に基づき主人公一行を助けてくれる……そういったシーン皆様好きでしょう?私は大好きです。特に恋愛分野では。それが最初から頑なであればあるほど、そういったシーンは映えるという意見に関して頷いてくださる方々は多少なりとも存在するのではないでしょうか。

とはいえ、これははっきり言って多くのプレイヤーに嫌われます。極度のロマンチストは物語では許容されますが現実を見ていなければ道端でただ邪魔をする障害物にしかなりえません。下手をすればシナリオ上の敵よりもよっぽど悍ましく、嫌悪される存在になりうるという現実を認識すればその考え方だけでは先に進む事が出来ないという事に気が付かざるをえないでしょう。自分一人で遊ぶ遊戯でない以上、他人への配慮は絶対に必要です。信頼関係があるからこそ我儘を言い、それを通し、許容する場面を描けるのです。その前提となる信頼や許容は他人を慮る事が出来なければ決して築かれる事はありません。


②最初から忖度したキャラクターをお迎えする。という回答もあります。俗にいうサポートキャラ志向の強いPLだとこういったタイプの子をお迎えする方は多いのではないでしょうか。天才型ではなく秀才型、一癖も二癖もある他PC達の間で細かい調整をし、間を取り持ち、物語の結末に向かって舵を取る。KPとしてはお話中に一人は居てくれると本当に助かる人財(敢えてこの表記をさせていただきますが!)であり、PLとしても凄く助かるタイプのキャラクターと言えるでしょう。

けれど、これはやりすぎると危険です。物語的には意思決定が遅くなり、手遅れになったり懐疑的になりすぎたりといった場面が多くなります。(これが全ての要因というわけではないことを明言しておきますが!!!) それに人間関係というのはどうしても癒着しやすいようにできていますから、長くなればなるほどそういった許容は一方に負担が大きなものやその機会が頻度になってしまうといった例が珍しくなくなっていきます。これではまるで現実の人間関係じゃないか。現代社会は忖度忖度で疲れてしまっているのに、娯楽のはずのこの場所でも同じように忖度しなければいけないなんて余計に疲れてしまう。これは娯楽で、違う世界なのだからもっと気楽に遊びたい。……どこかの瞬間でそう思う時間が必ず来る事は避けられません。そうやって疲れてしまいその道から去って行ってしまう人が数多くいる事もまた、事実です。特に日本人はそうして不満を溜めて何も言わずにそっと去って行って二度と関わらなくなってしまう気質が強いので尚更に。(こういう所はTRPGは海外発祥のゲームなのだなと時々感じる部分かもしれません)


タイトル通り現実は0か100ではありませんが敢えて分けるとしたらこの二つになるでしょうか。
何方にもメリットデメリットがあり、どちらもいなければいけない存在でもあります。そして殆どの場合ではこの両方が同じ人間の中に存在すると言えるでしょう。


では敢えて分類するならば、はたして私はどちらのplayer(祈るもの)なのでしょうか。


こうしてPLは沢山の物語の中で理想と現実の狭間を行ったり来たりしながら自分の中でベターと思えるバランスを探し求める自分だけの旅に出ます。理想とシステムという現実の間で上手にバランスをとる事で物事をスムーズに進めるという考え方はどんなシステムであっても有効で、入れ込んだシステムに最適なバランス感覚を維持できるプレイヤーは自然とベテランと呼ばれるようになっていきます。その枠内で理想を詰め込み最高の自分を演じる事が出来たなら、それは誰しもが成功者であると言えるでしょう。

金剛石もみがかずは珠のひかりはそはざらむ……と唄う場面も人生ではあったりしますけれど、研磨になるかそれともただの傷になるかの境目はその旅をそこで終わらせるか否かなのかなと、最近は思うようになりました。(あの歌自体は自己研鑽の重要さと美しさを謳ったものですがそこは目を瞑ってくださいまし。)その時々は辛かったり、後悔したり、けれどそれらを経験してもなお、その世界に居続けたいと思えるような感動に出会ったりと、時に道を交差し、平行にしながら私達は其々の旅を続けるのでしょう。


そうしていつしか、妥協でも我儘でもない、美しい宝石の様なPCとその物語が生み出されると信じて。









度々登場する文面ではありますが、この日記はあくまで私の意見や感想であり特定の人物や団体を揶揄するものや、正解を定めるものではありません。

私INTP型のイキモノ故、共感や賛同のみならず反論反駁も大歓迎ですがこれが正解なんだ……と落ち込んだり、こんな意見を持つなんてけしからん。という方はどうかご自身の心を大事にしつつ自衛していただければと思います。モ〇ダー貴方疲れているのよ。

誤字脱字誤用に関してはお姉さま口調で優しく厳しくご指摘いただければ喜びます。日本語は生涯お勉強中なので。
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