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😶 島化の恐怖! タイトルの「島化」と言うのは僕の造語です。 古参には「鳥取化」と言ったら分かりやすい? 今回はそんなお話。ちょっとした昔話ですので、まあ適当に読んでやって下さい。 TRPGを始めて間もない頃、右も左も判んない。色んな事が面白くて、あれよあれよとのめり込む。 人、それを沼と言う。 ようこそ! そうやって遊び続けて行くうちに人間だもの、欲が出てきます。 GMやってみたい! とかは大多数の人が最初に持つ欲求かな? 次にもっと上手くなりたい! なんて思うようになったり。 遊びだって向上心や理想があるから続きます。 僕なんかは「リプレイに書いてあるようなセッションが遊びたい!」なんて理想があってそれに近づきたいと思ってます。 で、だ。 そんな欲望に従って遊んでいく内にフト気がつくんですよ。 「あれ? なんか僕の遊び方ってちょっと他人と違うんじゃない?」 と。 他人と違っていてそれで良い、ってのが真実なんですがそこはそれ。 欲望に従って遊んできた経緯があるので、なかなか折合いを付けるのが難しいワケです。 人と違う事を必要以上に重大に捉え、気付いた時に卑下したり、排除しようとしたりするって潮流は、なので、必然と言えます。 このオンセンでたまに発生するイデオロギーの対立(笑)なんてのはTRPGシーンにおいて過去幾度となく起こっている訳です。 さて。 そんな思想の違いと言うかアプローチの違う人と同卓した(そして大概は良い思い出を作れなかった)人はどうするかと言うと、大まかに二つに分かれると思います。 受け入れるか、拒絶するか。 プレイスタイルが違うからそれはそれで仕方ない。歩み寄る方向でなんとか遊べないかと考える派。 せっかく遊ぶのにわざわざツマンナイ思いをする必要はないよね。プレイスタイルの合う人と遊ぶようにする派。 僕自身は後者ですね。 セッションに集中したいから「わかってる」人間と卓を囲むのが一番楽しいよ? そうは言っても公の場であるコンベンションや、オンセンでのフリー卓を立てる場合はそうも言ってられません。 色んな人間がやってくる前提の場で遊ぶのに、自分の我だけを通すのには限界があります。そして、我だけを通す人間の周りにはいつしか人はいなくなります。 よって、譲れない部分は譲らずに、譲れる所は譲っていくと言う前者のプレイングが要求される訳です。 これを間違えるとちょっとマズイ事になってしまいます。 コンベンションの場で自分の遊び方を優先し、「わかるヤツだけ来れば良い」というスタンスで卓を立て続けた結果、その「わかるヤツだけ」しか卓に集まらなくなり、ハウスルール採用、プレイグループ内でしか通じない隠語の発生、身内ならではのノリ。と言う蠱毒化。一見さんお断りの卓が、コンベンション内で形成されてしまったのです。 そしてこの影響は、その卓だけに止まりませんでした。 たまにそのプレイグループの人間が別卓に入ったら、その卓の常識を持込んで卓の空気を悪くする。 TRPG初心者が間違って蠱毒卓に入ろうものなら二度と来ない。 やがてそのプレイグループとの接触がしたくないプレイヤーがコンベンションに来なくなる。 そして残ったのはその蠱毒の壺、ただひとつ……。 僕も逃げ出した一人なのであまり悪くは言いたくないんですが、アイツラを排除出来てたらなぁ、と今でも悔やんだりします。 そしてこの経験があって、僕は今でも固定のプレイグループをなるべく作らないようになってしまい、固まったプレイグループに対して、恐怖にも似た拒否感を持つようになった、と言うお話でした。 僕にも仲の良いプレイヤーってのは当然います。ただ、「仲間」意識は強いんですが「身内」感はあまり持たないように気を付けています。 固定されたプレイグループは言わば「家」です。 その家にはその家のルールがあり、家族を形成する空気があります。 ただ、忘れないで欲しいのはその家の常識はその家だけのものだと言うこと。 家は居心地が良いけど家に篭っているのはあまり健全な状態とは言えないですね。 外には色んな世界が広がっています。 そいつを忘れないようにしたいものです。
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