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😶 【雑記】プレイスタイルについて考える こんにちは。生活習慣の乱れが激しい佐竹です。 昼夜逆転生活を直そうと、最近は遅くとも三時過ぎには寝て、十一時までには起きようとしているのですが、いかんせん季節が季節なので布団から出られません。気づけば午後一時になっていた、なんてことがザラにあります。 さて、今日は自分のプレイスタイルといいますか、探索者の傾向みたいなものを少し考えてみようかな、なんて思います。 私は基本的に、堅実なキャラクターを目指しています。地道に探索し、人と真摯に接し、道徳や倫理を重んじる、そんなありふれた探索者が私のデフォルトです。 というのも、TRPGに触れるようになってから二年、やはり人間どうしても自分の本質から離れることはできないもので、とどのつまり自分以外のものにはなれないのだと思い知ったからです。 私はどうにも、洒落を解することはできても、洒落を返すことがあまり得意ではありません。いわゆる本質的にマジレス人間なのです。個性豊かで突飛なキャラクターは好ましくとも、自分がそのようになることはどうしてもできず、結局いつも通りの没個性に落ち着いてしまうんですね。 なんとか個性あるキャラクターを作り出せないものかと考えに考えたのですが、どうやら外側を張りぼてするだけで上手いこといかないようで。 そんな時に、師の言葉を思い出しました。 師はいつも探索者を作成する時、「探索者はプレイヤーのガワでしかない。考えて選択するのはいつだって自分自身だ」と言っていたのです。 人間にはそれぞれ先天的、乃至は環境によって培われていった後天的性質が備わっています。誰一人として同一の育ち方をしているわけではなく、したがって誰一人として完全に同一の性質を持ち合わせてはいないのです。 人間は誰しも個性を持っていて、それは他者のものとは代替できないと考えるなら、わざわざ探索者の設定を作りこみ過ぎる必要性ってないのかなと、最近は思うようになりました。 たとえその探索者の職業と能力値、技能値だけを決めて素のままセッションにのぞんだとしても、きっとプレイヤー自身の個性がいかんなく発揮され、それはそれで味になるのではないでしょうか。 勿論、探索者の設定を作りこむことは自由だと思うんです。個人の楽しみ方ですしね。 けど、作りこんだ設定に雁字搦めにされて、シナリオ中本当にしたかった選択肢がとれなくなってしまったら、それはもうプレイヤーとして本末転倒なのではないでしょうか。それを差し引いても、自身の作った設定に入れこむあまり他のプレイヤーの方々に迷惑をかけてしまったりなど、注意する点は多くあります。 私は何度か自分とは性格の違うキャラクターやネタに走ったキャラクターをやってみたことはあるのですが、どうも上手くいかないのです。 それはやはり、自分の本質とキャラクターの性格が合致しない、理想とした性質を、本質的に自分が持ち合わせていないからなのだと思い至りました。 私はどうしたって「真面目ちゃん」からは抜け出せないので、それならそれを売りとしてプレイヤーをやっていた方が、よほど建設的なのではないかというのが現在の結論です。 ……まあ、どんなにキャラクターを作りこんでいても、物語に没入するクライマックスになるとどうしても地に戻ってしまう、というのが本音なんですけどね。 柄にもなく長い日記を綴ってしまった、やめやめ。 ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。 またどこかのセッションでお会いしましょう。
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