佐竹@修行僧さんの日記を全て見る
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😶 曇りのない目で見てほしい 夕方起床の佐竹です、こんにちは。 少し思うところがありまして、日記を書きたいと思います。 まず、物事の本質とは、それに関わった人にしか分かりません。TRPGにおいていえば、その卓がどのような雰囲気だったか、どのように進行したか、どのように終結したかは、参加したKP・PLにしか分からないことです。 そして、人によって物事の受け取り方が違うことも考慮するなら、どこで何が起こり、どうなったか、という物事の起承転結は、同じ参加者でも大分捉え方は違うし、誤解だって生まれるでしょう。 そんなつもりなかったのに、なんてことはいっぱいあります。誰もが100%正解の分析・把握ができるわけではありません。特に、相手がどういう意図で発言・行動したかを完璧に理解できる人なんていないはずです。 事の発端となった人は、実に個人を特定しやすい形で相手を評していました。しかし、それは本当に必要なことだったのでしょうか。個人同士での対話では終わらせられないようなことだったのでしょうか。 先ほども言いましたが、事の真相は当事者にしか分からず、なおかつたった一人の当事者の意見では真の全体像を把握することは困難です。下手をすれば印象操作の末、関係のない人達にあらぬ誤解を招き、無駄な諍いを生むことだってあり得ます。 たった一人が叫んだ言葉を、一体何人が真実と受け取ったか。現場を見てもいないのに。人伝に得ただけの情報なのに。 私は、個人間でも解決できるであろうことをわざわざ公衆の面前に晒し上げ、あまつさえ周囲から同情を啜るやり方を実に卑怯で浅ましいと感じました。 疑いの目は常に必要です。本当にこの人の言っていることは正しいのか。自分を守るために他人を貶めるようなことを言っていないか。 別に特定の誰かに限った話ではありません。人間だれしも魔が差す時はあります。だからこそ、人は常に相手を疑い、細心の注意を払いながら行動しなければならないと私は思うのです。 ひとまず、私が言いたいのはこんな感じです。 長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方々、ありがとうございます。
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