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😶 私だよ (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)火の鳥を古本屋で買ってぼちぼち読んでいまして、火の鳥の外典やりたいなーってなって、 ふと、ひとくち卓の「ひとくちララバイ」を見返したくなりました。 「(悲痛な役割を負う人の存在は)変わらないよ、匣の外に需要がある限り」 「誰かが匣を作り、誰かに見せる」 「お前だよ」(文字色が変わり、あたかも画面の前の私達を見るような演出) 悲痛な役割を当てられたPCが、自分自身を私達に操られる人形だと知ってしまったらどうするか。 登場人物を理不尽な事件に叩き落とすシナリオを書いたり、神話生物が跋扈したり魔法や忍者や超人や怪獣が跋扈する危険な世界にキャラクターを作っては放り込む私達。 ポケモンの新作が出たら旧作のポケモンを引っ越しさせて、今まで操って冒険してきた主人公は置いてけぼり。 キャラクターとして存在することがなければ。 私達がキャラクターを作らなければ、苦しむことはない。 楽しみもないが、悲しさもない。 冷蔵庫の女たちも、サイコロステーキ先輩も、エリック・デア=フォーゲルヴァイデも、復活編のレオナもひどい目にはあわない。 物語を始めた時点で詰んでるキャラもいるだろう。 現実もフィクションも地続きです。 楽しくて、悲痛。 自意識が目覚めれば、喜怒哀楽を自覚せざるをえない。 誰もが他人の目に見られ、観測され、ときに遠くから睥睨される役者。 テレビのモニターもライブ配信も漫画のコマも小説の文字列も、何ら変わらない。 少なくとも今の私に、火の鳥を悪し様に言えるような資格はない気がします。 彼女も、「火の鳥」という物語も全て手塚治虫の被造物なのですから。 画面の外から読みついでいるギャラリーもまた、火の鳥を睥睨する火の鳥なのですから。 (初出5/4 友人のみ公開 5/5 加筆し公開)
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