座敷猫さんの日記 「野兎の徒然綴り:TRPGのキャラクター」

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座敷猫日記
2017/06/30 03:41[web全体で公開]
😶 野兎の徒然綴り:TRPGのキャラクター
我輩はゲーム、とりわけ「RPG」で用いるキャラクターに、とても思い入れをしてしまう人である。
大抵は自分が使うキャラクターに対してだが、まぁ概ね誰でもそうだとは思う。NPC、ストーリーモードなどの物語NPCなんかにも結構惚れこむ事はあるけれども。
コンピューターRPGでは、コンシュマー系ならばデータとゲームマシンさえあれば半恒久的に、最近盛んなオンライン系ならば、自分で削除でもしない限りはサービス終了まで(垢バンなどがなければだが)思い入れ愛でて使う事が出来る。
育てたり修正したり、服を変えたり髪形を変えたり声を変えたり職業を変えたりと、最近のゲームは実に、様々にキャラクターを弄れて、長く愛着を持って使えることがとても気に入っている。
作る、と言う事はどこか、愛する、事にも似ている感じがする。キャラクターは作る訳だ。(無論、そこに有るがままを受け入れる事の方が、本質的な愛なのだが)

だから我輩は、TRPGのキャラクターを作ることが大好きで、だから大嫌いになった。
TRPGのキャラクターは、そも「使い捨て」である。
思い入れは持っていて良いし、愛着も持っていていいし、いつまで愛でていても構わない。
しかし、キャラクターが生きる場。つまり「使う場所」が、決定的に無いのである。
いや無論、ある。
誰かがシナリオを作れば、そこに即して「使う場所」が出来る。
キャンペーンともなれば、そこそこ長く「使う場所」を得ることも可能かもしれない。
だがしかし、それは極めて短い。
そしてよっぽど「他者依存」の人的環境に恵まれぬ限り、キャラクターの物語を最後まで綴る事は難しい。
もしも長いキャンペーンであれば高確率で、途中で「使う場所」を失う。
TRPGは「GM」と「プレイヤー」が必須だからである。シナリオは無くてもいい。即興でも出来る。
しかしこの2点の必要性が、キャラクターを結果使い捨てのものにしてしまう。

我輩はTRPGのキャラクターに強い愛着と思い入れをもってしまう。
それゆえに、この宿命的事実が致命的に悲しい。

小説や漫画などで、短編が大嫌いだ。(でも面白そうなのは読んでしまうんだけど)
短い時間の物語の中で、我輩はやはり登場人物に深く思い入れしてしまう。
しかし短編はいつも、「余韻」を残して、登場人物達の行く末は「脳内補完」となってしまう。
我輩はそれが切なくて、やっぱり悲しい。(切なくない短編もあるから、それは別腹となるが)

TRPGのキャラクターも結局はそれと似ていると思う。
シナリオという短編の後、「その後は脳内補完で」がほぼ大多数の、キャラクターの物語の行く末だろう。

たかがゲームのキャラクター。ゲームをするための「道具」「消耗品」と割り切る人も結構居るのかもしれないが、我輩はなかなかどうして、それが出来ない性分なようである。

今でも、最後まで走りきれなかったキャラクターを眺めて嘆息する事がある。
もっと、こう動かしたかった、こうやってみたかった。こうすれば仲間にこんな感じに貢献できたかも。こうやればこんな感じに仲間と楽しめたかも。
思い出になっているモノは確かにあるのかもしれないが、我輩は基本、切ない気持ちになるのが好きではないようだ。
切ない事は苦しい。
苦しい事は楽しくない。
実は向いていないのだなぁという事が、最近やっと判ったようだ。

それはともかく。
使い捨ての宿命にあるTRPGのキャラクターは、悲しい存在だと感じてしまう今日この頃なのである。
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レスポンス

Ququ
Ququ座敷猫
2017/06/30 22:35[web全体で公開]
> 日記:野兎の徒然綴り:TRPGのキャラクター
こんにちは! キャラクターだけど、リプレイ書いたらどうかな。プレイヤー視点でも、オンラインならログがあるから書きやすいかも。
そうすると、お話を何度でも読み返せるので、キャラクターは不滅です。
ハードディスクがとんだりしなければ…

今も、自分の駄文リプレイだって、楽しく読み返しています。それっきり見かねないプレイヤーも、その時ばかりは元気よく復活です。

どうにもオチがないなら、後日談を書いてみてはどうでしょうか。
きっとそれも楽しそう。

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