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😰 わたしが楽しむための庭。 (当日記記事は、AF問題に対する意見を意図していません) とあるエジプト神話の神様の、み言葉。 「わたしが楽しむための庭なのだ それを、わたしは、私自身でつくりだした」 人間や他の神を そそのかしたり、おどかしたり、使役したり、 その他ありとあらゆる「他者への依存」をせず この神様は、自分が楽しみたいからそうしたのだそうだ。 ぶっちゃけ、スゴくね?www わたしたちが生まれる4000年くらい前の言葉だ。 人間生活は歯車のようなもので、 歯車には主軸がある。 いわく、 自分自身が動力となって他を動かす「自分軸」 他の動きから連動をうけて自分を動かす「他人軸」 どちらか一方に偏ると、たいへん生きづらい(ハズだ) ことに、TRPGに関しては、 片方だけであってはならない。 先に、私はエジプト神話の御言葉を引用した。 GMが自作シナリオをひっさげた状態に似る。 ここまでは、自分軸だ。 (時として「こんなシナリオ作って」もあるが、割愛) さて、その庭に、人間がやってくる。 その人間たちも楽しんだ。(シナリオ企画の成功) なら、神はお喜びだろう。 一部の人間は楽しんだ、しかし、一部は こんな庭がなければいいのに、と呟いた。 (シナリオの一部ダメ出し、企画の否定など) それならば神は悲しむだろう。 人間たちは、他のことに夢中で その庭には目もくれなかった。 (シナリオ崩壊) 神はひとりさびしく思うが、 それでも自分の楽しむ庭は損なわれていない。 TRPGは、他者を庭へ招かねばならない。 その時点で、自分の力だけではまわらなくなる。 どうしても他人軸の力は必要となる。 神とともに楽しむものはいないか、 となりあう人間と楽しむものはいないか。 神の望みをかなえ、 おのれの望みをかなえ、 他のおおくの人間の望みもかなえ、 この庭を目にしたものが、 同時に楽しみに至るために。 その庭は、もとは神が自身のために作った庭だ。 神自身が楽しむために。 その庭へ、楽しみを求めるならば あなた自身が楽しみ、また余力があれば 神を楽しませ、となりにいる人間をも楽しませて そこを楽園とする努力がついてまわるだろう。
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