愛善院さんの日記 「1と0。その間の無限」

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愛善院
愛善院日記
2020/06/25 22:09[web全体で公開]
🤔 1と0。その間の無限
(当日記記事はAF問題に対する意見を意図していません)



クズ卓の動画であったと思うが

KP「鍵がかかっています」
PC「おれはかかってないと思うね」
KP「鍵がかかっています」
PC「かかってない!」

というやり取りがあったと記憶している。

これだけ単純明快な
テーゼとアンチテーゼも、そうそうあるまい。
(むしろ、実際に繰り広げられたら貴重すぎて発狂しそうだ)


しかし、ものごとを極めて率直に二元化すると
こういうものであることは多い。

ある単語があり、
それをポジティブとするかネガティブとするか
というのもそんな感じであろうか。

例えば「陽キャ」とかいう単語がある。
世間の一般的な解釈とすれば、
これはポジティブなものだと思われるのやもしれない。

が、言語学的にいえば、
こんなのはシニフィアンにすぎない。
ひとりひとりの言語フィルターを通せば
純然とポジティブな意味にもとれるし
頭がポカポカした人くらいの意味の
ネガティブな嫌味であったりすることもある。

よくネズミの国では
「大切なお客様」という言葉を使うのだが、
これなども、
世間の人々のフィルターを通せばポジティブなわけだが
あの国だけの言葉のネガティブな側面は
「問題行動を起こしがちな常連」のこと、
とかいう、都市伝説もある。

「ポジティブ」「ネガティブ」だけに限らず、
われわれ人間はよく二元化をしていたりする。

ある方針に対して「賛成」「反対」
これは原始的ではあるが普通に政治だ。

ある行動をするのに「吉」「凶」
これもまた、原始的ではあるが生活型の宗教事象だ。



では、鍵のかかったドアは?
クトゥルフであれば「鍵開け」などと
すぐに閃くものであろう。

「自動成功」か「自動失敗」

それ以前に
「KPが鍵が壊れていると提示する」か
「KPが何をしても開かないと提示する」

……

世の中の出来事の全てを二元化することができれば
世の中は相当に整理整頓されることであろう。

しかし、そうではない。
(かつてのキリスト教カトリック社会が挫折している)

「ポジティブ」と「ネガティブ」の間
「賛成」と「反対」の間
「吉」と「凶」の間
「イイね」と「わるいね」の間
「好き」と「嫌い」の間
そこには、ありとあらゆる価値観がある。

「真」と「偽」の間には「嘘も方便」
「聖」と「俗」の間には「入道」
「正」と「邪」の間には「できごころ」
「善」と「悪」の間には「デスノート」
「光」と「闇」の間には「りんご」
「美」と「醜」の間には「母の日の似顔絵」


「自動成功」と「自動失敗」の間に「ダイス」


さて、では。
「自分」と「自分以外」の二元化をしたとき
アウフヘーベンとジンテーゼとは何であろう?


こねくりまわして
一応、答えらしいものは得て来たつもりではあるが
いろんな人の価値観が、どんなことを考えるのか
興味深いところである。
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