愛善院さんの日記 「されど愛しきは地球(コミュ化すべきか)」

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愛善院
愛善院日記
2020/08/11 00:35[web全体で公開]
🤔 されど愛しきは地球(コミュ化すべきか)
久々におばあバージョンの愛善院でお送りします。


昨日だったか50年前だったか、
日記の記事にルール粗案を提示した
【されど愛しきは地球(仮)】


面白がってくれる人は
何人かいらっしゃるだろうことは実感したが
コミュニティにするほどのものかどうか。
そもそも、PLやってもいいというかたが
何人いらっしゃることだろうか。


……
そもそもこのゲームの発端は
実はここ最近のコロナ禍で
私のところに
統合失調症や鬱(軽度)の相談者が増えたことにある。
(重ねて、
私は心理学や精神分析に関しては何の資格も持たない
自称「言語心理学のひと」であることも明記する)


この最近の相談者にみる統合失調は、
どうも

「重すぎる責任に耐え兼ねて」
または
「責任を担わせてくる存在を急激に喪失して」

その相談者を責め立て、脅す
というような幻聴・幻覚・妄執が多いようだ。

簡単には(少なくとも若い世代は)
ガミガミ言ってた上司が
リモートワークで距離ができたことによる空白を
埋めるための作用なのではないか

と、仮説づけられるような気がしている。


【されど愛しきは地球(仮)】は、
会話を中心とした「心理ゲーム」を基調とする。

人間として実際に活動する「自分」を
架空の宇宙人が「自分」を操っている、というように
自分自身の日常を客観視しながら
他のPLと話題を共有し、
それに関して「宇宙人」同士として
意見や感想や賛辞をしあうものを想定している。

PLの自分自身が地球人PCであり、
このキャラクターはどう考えて行動したのか、を
宇宙人PCとして分析しあうのである。

さらに、
自分たちのまわりにある日常も
宇宙人の目には不思議な慣例も。

つまるところ
ある種の自己カウンセリングである。


私は、しょっちゅう
「私の頭の中の私」という言い方をするが、
客観的事実を分析する自己と
主観的実態を感じとる自己とが分離しているため
こういうことになる。

要は、
私を操る私と、
世界や宇宙を実感する私とを
ちょびっとずらして存在させている。

日頃からこれをやっていると
たぶん、疲労困憊はなはだしいものなのだろうが



これが週1回のゲームならばどうか?
という思いつきが始まりであった。



……本当に
やりたいと思う人はいるんだろうか?
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