愛善院さんの日記 「管理矯正という教育」

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愛善院
愛善院日記
2020/08/01 02:44[web全体で公開]
🤢 管理矯正という教育
いまさら私ごときが論じたところで
あまりにも詮なきこととは思うのだが、

TRPGをやる人間にとってのコレは
扱いが非常に難しい。

「みずからの縄でおのずから縛る」として
『自縄自縛(ジジョウジバク)』というが

自分で見えない縄を張り巡らして
気づかずに、または故意に
自分がそれに絡めとられる、という事態は
感受性が豊かな人間ほど

つまり、幼いうちから
首輪をつけられていた人間ほど

それから逃れようとして、
かえって身体に巻き付いたり
締め上げられたりするものなのかもしれない。

私は
「私の頭のなかに小さな私をすまわせている」
という喩えをよく引き合いにだすのだが、
ここに自縄自縛をくわえると

時限爆弾のついた
動かない机と椅子に両足を縛られ
目の前に集中できるような、
パズルだとか知恵の輪だとか
キューブだとかを置かれ、
縛られていることを忘れている
あわれな自分自身を幻に見ることができよう。

気の毒ではあるが、
まあ、それはそれで
ひとつの人間のありようなので
いまさらどうこうしようとも思わない。

時として、
自分にとって必要な縛りを課している場合も
多々あるであろうことをなんとなく思うからだ。



さて、机のうえに
集中すべき「キューブ」がある。
「謎」といってもいいし
「悩み」といってもいい。

解けるはずだろう、と思いながらも
どれほどやっても解けない、とも思う。

この場合の選択肢。
あなたなら、どうするだろう?

「もうちょっと集中すれば、あるいは」
と、思うだろうか?
「ちょっと気分転換すれば、もしかしたら」
と、思うだろうか?
「ちょっとだけ人の意見をきいてみたい」
と、思うだろうか?
「何かヒントはないかな」
と、思うだろうか?



私の場合は、
それを想像のおよぶ限り分析することから入る。
「もうちょっと集中したい」である。
このタイミングに、
他者のアドバイスが入るとブチキレる。

いや、さすがに歳が歳なので、そこまで激昂はしないが、
「いま、おまえの意見が何か役にたつの?
同じ机と同じ椅子で
同じ時限爆弾に繋がれているわけでもないのに?」
と感じることは間違いない。

これをやると、
たいがいの場合、自分の縄が身体に食い込む。


そういうときに
ちゃんとした師匠がいると良い
ような気がしたりするのだ。

「似たような机に、似たような椅子、
似たような時限爆弾を抱えながら、
それに似たキューブを攻略したことがある」
人物で、かつ
「私の頭のなかの私が、
それを攻略するための努力をしたことに理解できる」
人物であれば、それは望ましい。

現実に、そんなのはまず滅多にお目にかからないので
単に「自分が目指している方向に立っているらしい
尊敬できる」人物であれば、
それだけでも充分にすばらしい。


時に、まったく違う視点から。
「おまえの、この部分の縄は、必要なかろう。
それを達成するためには、こっちの縄のが適切だ」
とする、新たな縄で拘束を受けることがあるが、

そもそも、集中していたから
「自分が自分をどう縛っていたか」
すら自覚できていなかった場合は、
それすらもとてつもなく有効だったりする。


自分自身を管理するはずの縄が、
自分自身をとんでもない方向にねじ曲げているとき。

気づかなければいけない縄に気づけないとき。

というのが、
我々はしつけや教育の名のもとに
いつの間にか刷り込まれているために、
かなり高い頻度でおとずれる。

優雅な翼を持っていること、
縄そのものを解くために必要なものは
ちゃんと揃っていることに

自分では気づけないのだとしたら。

頭の外の私を少しだけ動かして、
誰かと会話をさせるのも手段のひとつだと思われる。
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