ポール・ブリッツさんの日記 「とある戦車戦ゲームの話」

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ポール・ブリッツ
ポール・ブリッツ日記
2018/05/04 21:19[web全体で公開]
😶 とある戦車戦ゲームの話
今から30年ほど前、マニア向けのシミュレーションゲーム専門誌で、とある議論があった。

ネタにされたのは某社の精密戦車戦ゲーム。恐ろしいほどに微に入り細を穿ったルールで、戦車同士の戦闘が忠実に再現されていた、往年のファンなら「ああ、あれか」と分かるゲームである。

それに、あるマニアがかみついた。くだんのゲームには欠陥がある。戦車のルールは精密かもしれないが、「歩兵」のルールが存在しないではないか! というものだった。

数誌を巻き込んだこの論争がどう落ち着いたのかについては当時の文献を持っていないのでよく知らないが、その論争に対する感想の読者投稿の内容についてはよく覚えている。

感想者の意見では、「果たしてそのゲームのデザイナーは、戦場における「歩兵」の存在を軽視していたからルールに存在しないのか? いや、そうではないだろう」というものだった。

精密な戦車戦闘のゲームを作る際には膨大な量のルールを書かねばならず、また、プレイする側も膨大な量のルールを覚えてそれをチェックしなければならない。それはプレイヤーに対してかなりの負担だ。そんな中、同等の複雑なルールが必要となる「歩兵」をゲームに入れることは、プレイヤーがプレイするにあたって障害にしかならないから、デザイナーは「あえて」ゲームから歩兵のルールを「省略」したのではないか、とそこでは指摘されていた。

「シミュレーション性」と、「ゲームとしてのバランス」と「プレイアビリティとしてのバランス」の微妙な拮抗の上に、シミュレーションゲームは成り立っている、という当たり前のことに、わたしはその時気づかされた。

微妙な拮抗ということを守るためには、「ルールの省略」だけではなく、「論理的に考えると明らかにおかしなルールを追加する」などの処理も必要だろう。いま、目の前にあるゲームが、入念なテストプレイのもとに作られていたとしたら、それはそうしたデザイナーの彫琢作業の結果だ、と考えて間違いない。

ことはTRPGでも同様である。「シミュレーション性」と「ゲームとしてのバランス」と「プレイアビリティとしてのバランス」の微妙な拮抗の上にTRPGのルールは成り立っている。それをいじることで微妙な拮抗が崩れたら、それはルールとしては正しくても、ゲームとしては正しい選択とはいえまい、と、わたしは考える。
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レスポンス

鴉山 響一
鴉山 響一ポール・ブリッツ
2018/05/04 23:13[web全体で公開]
> 日記:とある戦車戦ゲームの話


まさか35年も経過してあの「クロスレヴュー」を思い出す日が来るとは思いませんでした。もう全くもってその通りです。

私がAD&D1eに固執して遊んでいる理由もそこにあり、「そこそこのリアリティ」が感じられると同時に「プレイアビリティ」が優れているからにほかなりません。加えるならば「勝手知ったるルール群なので新たに覚える手間暇が必要ない」ことですかね。

余談ですが、当時私はバンダイの「最前線」で遊んでおりました(笑)。
PI-TG001(平岡AMIA)
PI-TG001(平岡AMIA)ポール・ブリッツ
2018/05/04 21:49[web全体で公開]
> 日記:とある戦車戦ゲームの話

ゲームって何のためにやるか、っていうことを考えるのが大事ですよね…
普通は遊んで楽しむわけで会って、むちゃくちゃに考証がしたいって人はあんまりいないでしょうからね…
そういう方もいくらかはいますが、そもそもいくらリアルにしたって時の運の現実世界では通用しない気がします。

やっぱりゲームって、非日常を非日常的に楽しむのが一番かも。

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