愛善院さんの日記 「真善美」

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愛善院
愛善院日記
2020/06/24 06:51[web全体で公開]
🤔 真善美
(当日記記事は、AF問題に対する意見を意図していません)


わたくしこと、吟士(詩吟を吟ずる者)でもあり、
常々、タイトルにした「真善美」を吟じるのだが
要するに「価値観」と言い換えてもよい。

さて、この価値観

多くの人が理解するように、
価値観というのは人それぞれである。

そろそろ、日本人も
その一歩先に歩を進めるのはどうか、
と思うことが、最近おおい。


価値観が違う、ということは、
「わたしのほうが真理に近い」
「わたしのいうことは善だ」
「わたしの美しさを思い知れ」
と、主張できるということである。

私にいわせれば
「あなたの価値観ではそうでしょうとも」
「でも、あなたの価値観は、あなただけのもののはず」
「あなたではない他者は、それに従う謂れも、
従わなければならない必要性も、本来はない」


ただ価値観をぶつけて木っ端微塵になるなら
止めはしないけれども、
価値観が人それぞれである以上は
価値観を押し付けたときに
拒絶を受ける。

その覚悟はそれなりにしておくほうが無難だろう。

ここで注意が必要だ。
あくまでも【拒絶】である、という点。

あいての価値観を「否定する」のではない。

あいての価値観を否定し続けると
価値観は人それぞれであったはずが
いつの間にか「自分の価値観に勝るものなし」になる。
極論、
あなたの価値観に世界が染め尽くされる。
それは平和かも? しかしパラノイアのような
面従腹背もまた起こるやもしれず。

そうではない。
あなたの価値観は、それはそれで良い。
しかし、わたしの価値観には必要ないので、拒絶する。
これはあなたの価値観を否定するものではない。

(もっとも、否定したところで、
他者の価値観など壊れるわけはないのだが)

あなたはあなたの価値観を大切にしたらよい。
わたしはわたしの価値観を大切にする。
互いに拒絶があるならば、
それはそこまでのことだ、さようなら。
互いに妥協ができるのならば、
そこをなんとかしさえすればよい、
互いに協力と努力をしよう。
互いに共有している価値観があるならば、
それをもとに手をつなごう。

これは、拒絶を受けたときも。
へこたれる必要は、実はあまりない。
どうせそれくらいでは、価値観は凹まない。

あいての価値観を
ぶっつぶそうと躍起になることは徒労にしかならず、
自分の価値観を押し付けて
あいての価値観の変容を試みるのは効果は薄く、
ならば、自分の価値観を大切にするように
あいての価値観をもまた、それはそれで良きことと。


もし、価値観が接触しそうなとき、
価値観の押し付けあいがおきたとき、
自分の価値観は「はぐれメタル」だと思うがよろしい。
逃げ足ははやいし、硬すぎてダメージを受けない。
ある程度変形自在だし、
座った目であいてを観察して、
無意味に口に微笑みを絶やさない。

会心の一撃をくらっても、
心の内側からいつの間にか沸いてくる。

自分の価値観というものは、
そういうものだと腹をくくっておく。

そして同時に、
あいての価値観も、
おびえていてHPも低い弱々しい生物かもしれぬ
と、思っておければなおよろしい。

どこぞのティッシュのCM文句ならば
その価値観の衝突の際に
「やさしく触れていいですか?」
というレベルで話しかけねばならない。

ナウシカとテトの出会いのように
最初の接触に痛みを伴うかもしれないが
「おびえていただけなんだよね」
くらいのつもりでおらねばならない。

あいてを、
噛みつきもしないG的昆虫のごとく見なし
なんらの価値観も持たないものだから
叩き潰しても構わんだろう?
という価値観もあるかもしれない。


一匹みたら、壊滅させるの難しかろうよ。
自分と違う価値観の人間を
全てG昆虫だと思い込めるようならば、
それは人間を辞める覚悟をするということでもある。

さてさて、
あなたは今日を正気で乗り越えることができるかな
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レスポンス

フィルヒョウ
フィルヒョウ愛善院
2020/06/24 11:24[web全体で公開]
> 日記:真善美
すごく良い文章でした!
面白かったです!

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